第10話 長旅ご苦労
全てが燃える夢を見た。肺が焼けるほど熱い、セリアの炎よりも熱い炎が、家も学園も、街も空も人も、目に見えるものを全て焼いていた。セリアの優しい炎とは違って、その炎はオレの大事なものを奪おうとする。それを許すまいと大人達が消火しようと水を被せるけれど意味はない。その炎を誰が点けたのか、オレは知っている。みんな知っている。けれど誰がその炎を消したのか、それは誰も知らなかった。
夢の炎に飲み込まれるかと思ったとき、気付けば外は明るくなった。久しぶりに嫌な夢を見たな。そしてこの夢を見たときは決まって身体が重くなる。人の身体が重くなるのは、何かを背負ってるときか体調が優れないときだけだ。熱を出したときは決まってこの夢を見る。オレの幼い頃の記憶と今の記憶が混ざるせいで、当時よりも悲惨な景色を眺めることになった。今日は寝起きから最悪だ。
「おはよう!起きたんだね。うなされてたけど、大丈夫?」
「………色々と言いたいことはあるんだけど……まずここは男子寮だぞ?」
目を開けた先にはルーシュが座っていた。セリアは見当たらない。もう昼になる時間だからどこかに行っているのだろうか。
「セリアさんが許可してくれたのよ。熱が出てるなら一人にはできないって。セリアさんは校長先生に会いに行ったわよ。約束は守らないとって言ってた。」
約束と言えば……セリアの生きていた時代について話しているのだろうか。……ダメだ。イマイチ頭が回らない。オレは水とルーシュが切ってくれたりんごを食べた。
「今日が休日で良かったよ。序列戦でこんなに疲れるなんて……情けないったらありゃしない。」
「緊迫した戦闘の中で昇級したんだからそんなもんだよ。それにセリアさんから聞いたけど、あの“とっておき”の技は結構無理してたんでしょ?ギリギリになってまで私に勝とうとしてくれたのは嬉しいよ。」
「ははっ。上から目線だな。オレがいつか同じことを言ってやるよ。」
「それは楽しみだね。ならそれまで負けずに待ってるとするよ。」
「あ!ミラ、起きたのね!具合はどう?」
「良いって言ったら違うけど、だいぶ楽だよ。一日休めば治ると思う。」
校長室から帰ってきたセリアが、扉を開いて部屋に入ってきた。何か楽しそうな顔をしているが……校長と面白い話でもしたのか?よく見れば右手に手紙のようなものを持っている。
「ミラは今学園でやらなきゃいけないことってあるの?」
「今……は別にないかな。なんで?」
「レイジさんが連絡してくれたから会いに行こうと思うの。あの子ったらこっちに来ようとしたみたいだけど、それなりの立場があるみたいだからね。私達がこの紹介状を持って向かうことになったのよ。ついでだしミラにはそこで魔物といっぱい戦ってもらうわよ。」
「予想はつくけど、あの子っていうのは?」
「ユリハよ。獄境の王に会いに行くわ。校長から休みの許可は取っておいたからその辺りは心配しなくていいわよ。」
「獄境!?私も行く!私も連れてってください!」
「ルーシュはダメだろ。流石にまた無断で休んだら教官がお怒りになるぞ。……っていうかもう怒ってんだろ。」
「そうだけど………。」
天転召喚のときに、ルーシュは既に無断欠席をしているからな。そのことで鬼教官にはだいぶキレられたと聞いたし……ルーシュのためにも今回ばかりは連れていけない。
「ごめんね、ルーシュ。私も一応レイジさんにお願いはしてみたんだけどさ、普段のこともあってルーシュは認められないって。特に許可をしたらレイジさんが鬼教官に怒られるからって拒否されちゃった。家族旅行ってわけでもないしね。」
「校長はそれでいいのか……。まぁ自業自得だよ。お土産は買ってくるからルーシュは留守番しててくれ。」
「………私、真面目に生きようかな。」
「急に悟りを開くな。無理だし。」
「“無理だし”!?!?」
ルーシュはたぶん、普段から授業をサボったりしているのだろう。今さら真面目な人間になれるとは思えないし、なってほしくもない。ルーシュは今のままが一番良いんだ。
「で、出発は明日で二週間滞在ね。その間に魔物を狩って狩って狩りまくって五星級まで引き上げるわ。それと一ヶ月後に法帝会議があるみたいだから、帰ってきてから二週間くらいでそれに参加するわよ。」
「ハードスケジュールにも程があるだろ。たったの二週間で五星級だって?昨日四星級になったばかりなのによ。」
「なんとかなるわよ。……いや、なんとかするの。ミラは五星級までなら順調に魔力を増やせるだろうしね。私はもう少しレイジさん達と話してくるから、ルーシュちゃんはミラの面倒お願いね。」
「はい!任せてください!」
そう言ってセリアはまた部屋を出て行った。嵐のようだったな……。獄境に行くことを伝えるためだけに帰ってきたのか。まぁ明日出発なら今日の夕方とか夜とかに言われても困るんだが。………いや、昼から言われても結構困るな。……別に用意するものもないし構わないか。
「そうだ。これだけは言っておかないと。……ミラ、序列六位おめでとう!これから序列を奪おうとする人達がミラに挑戦しにくるだろうけど、頑張ってね!」
「そういえばそうだな。ルーシュも準優勝おめでとう。」
序列を奪う決闘、“争奪戦”は、下位のクラスの者はいつでも、何度でも挑むことができる。そして序列持ちと同じか上位のクラスの者には、その権利は年に一度しか渡されない。争奪戦で挑戦者が勝てば序列を明け渡すこととなり、それ以下の序列の者は繰り下がることになる。例えばオレが争奪戦に負ければオレの序列は七位となり、元八位の者は序列を失うことになる。ルーシュが負けたとしても新しい序列二位が生まれ、ルーシュは三位に、それ以下は一つずつ降格する。大抵の場合は序列八位か七位あたりに挑戦する者が多いために上位が変動することは少ないが、能力の相性などによってはその限りではない。それらを考慮してもルーシュやジンリューなどに関して言えば勝てる者はいないと思うが、オレやカミュールは上級生に目をつけられるだろう。まぁ連戦の場合には拒否権があるので、結局オレ達に挑む者は多くないだろう。
だが上位の序列が変動すること自体は珍しいことでもない。争奪戦においては滅多にないと言っていいが、序列内での“決戦”では序列は稀に変わる。決戦を行う権利は上位の序列持ちの数だけ得られるため、オレの場合は最大で五回挑むことができる。序列を上げればその分の決戦を挑む権利は減るわけだが、決戦か争奪戦によって序列が落ちた場合にはその権利が増えることはない。だからそういった場合に備えて、ほとんどの者は学年末までは権利を消費することはない。
「序列を持ってる人は、みんな生徒会に入るのがしきたりだよ。生徒会役員になれば少しは忙しくなるけどその分自由に動けるようになるし、私でもなんとかできるくらいの簡単な仕事が多いだけ。そんなに難しいことじゃない。」
「……勧誘か?そういうのは先生か会長がするもんだと思ってたんだけど……ルーシュだったら断れないとでも思われてんのか。」
「ふふっ。イヤ?」
「…………獄境から帰ったら返事をするよ。それまでは待っててくれ。」
この状況で考えることでもないが、正直快諾したいわけでもない。オレは楽にいたいんだ。生徒会なんて面倒なイメージしかない。………ルーシュの言う通り彼女が問題なく務めてるということはそんな面倒じゃないか。……いや、問題はよく聞くから会長が尻拭いをしているのか。
「じゃあ良い返事を期待してるよ。私も仲良い人が増えると嬉しいからね。」
「そう言われるとな……。生徒会には序列持ち以外はいるのか?」
「一応は生徒会補佐っていう立場で何人かいるよ。庶務をしてくれる人は多いに越したことはないからね。」
……となると案外仕事は少ないのか?引率だとか風紀の取り締まり、企画・運営とかそんな仕事だけなら割と楽……ではないけれど、その引き換えに学園内の自由や多少の権力を得られるなら美味しい話なのかもな。
「ルーシュはいつ自分の部屋に帰るんだ?」
「セリアさんが戻ったらかな。ミラのことだしたぶん無いだろうけど、もし体調が悪化したら大変だしね。」
「そっか。………あんま話すこともないけどな……。」
「寝てなさいよ。病人なんだから。」
「………じゃあ帰るときに起こしてくれ。」
「うん。分かった。」
オレは重い身体をベッドに落とし込み、オレは目を閉じた。ルーシュが近くにいるという安心感からか、今度は夢を見ることなく深い眠りにつけた。気づけば日が暮れていた。目を開けば鋭い光が部屋を包み、セリアがオレの横に座っていた。
「…………ルーシュは……?帰る前に起こしてくれって………。」
「私が戻ったときに帰ったわよ。ミラに声は掛けてたけど全然起きないから。頑張ってきてねって言ってたわよ。」
「そうか……。そんなに寝てたのか。」
「まぁいいじゃない。そのおかげですっかり良くなったでしょ?」
確かによく寝たおかげで身体は随分軽くなったが……まぁいいか。会おうと思えばルーシュとはいつでも会えるんだし。
「校長先生とは何を話してたんだ?」
「神話学者さん達の質問攻めにあっただけ。私の記憶の範囲で答えてきたわ。まだ終わらないでしょうけど。」
「……大事じゃないのか?このまま獄境に行ってもいいのか?」
「歴史は大事だけど、今を生きてる人達の方がずっと大事だからね。さぁさ、早くご飯食べて寝なさい。今日寝てたくらいじゃ体力は回復しないでしょ?」
オレはセリアから渡されたお粥を食べ、再び瞼を閉じた。起きたばかりなのでしばらく暗い空間を眺めているだけだったが、目を閉じていれば少しずつ意識も閉じていった。
朝は一瞬で訪れた。体力はすっかり回復し、いつも以上に調子が良かった。人生で初めて、万全な状態で四星級の魔力を実感できた。朝日にも負けないくらいに滾る力に、これほどまでに感動するのはオレくらいだろう。オレのこの感動は、たぶんオレにしか分からない。
朝日が昇り始めて部屋を少し片付けたあと、オレはセリアの案内に従って獄境大陸のユリハ様の元へと向かった。転移門を利用して聖都から中央大陸の西端へ、そして西大陸を経由して南大陸へと向かった。転移門を使えば移動にも時間がかからないため、南大陸までは一日も経たずに到着した。ここはかつて魔界と呼ばれていただけあり、魔素が他の土地よりも濃く強い魔物が多い。そのためオレは冒険者に登録し、今日の夜まではひたすらに魔物を狩り、得た魔石を換金していた。
魔物というのは高濃度の魔素が一ヶ所に集まると生まれる怪物のことだ。魔物を倒せばその魔素は自然に還ったり結晶化した魔素、“魔石”に変化する。また一部は討伐者の魔力として吸収されるため、効率良く魔力を増やすことが可能だ。冒険者はそんな魔物を狩ったり依頼を受けたりする仕事で、冒険者証を持っていれば魔石をギルドで換金することができる。オレは今はD級冒険者のためそれなりに制限はあるけれど、とりあえず魔物の狩場に入れるというわけだ。
翌朝、まだ日が昇らないほどの時間に起き、早々に空港へと向かった。獄境大陸は南大陸以上に魔素が濃く、転移門は安定しないため作れなかったらしい。距離が離れているのも理由の一つだとか。だから半日ほど飛行機の中で静かにしている必要がある。……頭の中でセリアと話せるだけまだマシか。
いざ獄境へ着いてみると、そこはまるでこの世とは別の世界のように思えた。昼間なのに薄暗い闇に包まれており、空気は異様に重かった。そして空港から2時間ほど移動して見えた城は、なんとも壮大なものだった。
「……人間の少年が訪ねてくるという話は聞いている。グランデュース殿だな?念のため紹介状の確認をさせてもらう。」
城門まで赴くと、門番が一人立っていた。人間とは少し違う雰囲気だった。かつて人間と争っていたという魔族の末裔か。……実在していたんだな。オレはセリアから受け取っていた紹介状を渡した。
「ふむ。……確かに魔皇様の筆跡だ。長旅ご苦労。城内は私が案内しよう。私はシュバルトと申す。」
「グランデュース=ミルアルトです。よろしくお願いします。」
オレはシュバルトさんの後ろについて、ユリハ様がいるという部屋に向かった。扉は大きく重厚感があった。黒を基調とした城の中でも一際黒く輝いている扉から感じる異様な雰囲気は、その部屋の中から溢れ出す異常な魔力のせいだろう。シュバルトさんがノックをして名乗ると、部屋の中から心地の良い高さの声が返ってきた。扉の先には、一人の少女が座っていた。