期待されていた王太子はいなくなった
本当は別のムーンで出したかったけど限界でした。
「レイラっ!!」
数か月ぶりに見た殿下は一見全く変わっている様子は見えなかった。
「よかった!! 君はいたんだねっ!!」
泣きながらしがみ付いてくる様を見て、やっと噂通りなんだと判明した。
殿下はそばに居て声を掛けてくる人々に全く反応せず、私の前に立って、抱き付こうとした公爵令嬢に視線を向けることもなく、私だけを見ていたのだ。
「よかった……急に、誰も居なくなって知らない世界に置いてかれたのかと思った……」
不安げに縋ってくる殿下。それがかつて我が国の将来は安泰だと期待されていた王太子だったのだろうか。そんな面影は見えなかった。
「レイラ。いつもお疲れさま」
「アルベルド王太子殿下……」
洗濯籠を手にしていたレイラは籠を持ったまま慌てて頭を下げる。
「籠を持ったまま頭を下げると危ないよ」
殿下はそっと籠を奪っていく。
「働き者だね。でも、無理しないで」
「いえ、当然ですので……」
亡くなった母は殿下の乳母だった。乳母の子供として共に遊んでいたが、乳母が急死して、本来なら私は実家に戻るはずだったが、母が乳母としてお城に上がっている間に愛人と愛人との間に生まれた子供を家に住まわせて女主人として振舞わせていたという事実が発覚した。
実家は住み込みでいた妻と娘を引き取るつもりはなく、そもそも妻の給金を愛人との生活で使い切っていたという事実に、実家は取り潰し。
父方も母方も、
『魔力持ちならともかく魔力を持たない子供なんてね……。そもそも夫(妻)が原因で家を取り潰されたんでしょう』
自分の子供に非が無い。そんな相手の血を引く子供など引き取りたくないとはっきり言われて、途方に暮れていたのを城で下働きをすればいいと王妃殿下の鶴の一声で言われて下働きをしている日々。
問題を起こした貴族の家の子供にしては優遇されていると日々感謝しかない。
「うん。レイラは真面目だね。偉いよ」
微笑んで告げてくる言葉に胸が躍る。
「殿下。そろそろ……」
「そうだった。じゃあ、邪魔して悪かったね」
手を挙げて去って行くその後ろ姿にしばらく見とれる。
優しい方だ。乳兄弟というだけで王太子殿下であるアルベルドさまが気に掛けてくださるなんて……。
(期待しちゃだめ)
その優しさに感謝しつつ、何度も言い聞かせている言葉をそっと心の中で今日も呟くのだった。
「貴方がレイラね」
洗濯を干し終わって、中に戻ろうとしたら声を掛けられた。
そこには貴族令嬢とその侍女らしき存在。いくら王城とはいえ、来客が来るような場所ではないところに見えた令嬢に訝しげるが普段通り来客や大臣などが見えたら頭を下げる習慣なのでしっかり頭を下げる。
「どこにでもいる平凡な子じゃない!!」
綺麗に巻いたロールを揺らして不快気に見てくる令嬢。
何を言っているのか理解できないが、ここで尋ねるのは禁じられているので令嬢の様子をじっと待つしかできない。
「アルベルド殿下がわたくしの名前をレイラと似ているねと話をするので興味が湧いたけど、こんな娘と同じにされるのも不愉快だわ」
忌々しいと舌打ちされて侍女と共に去って行く。なんだったのかと首を傾げるしかない。
「レイラちゃん? どうしたの?」
「ハンナさん」
同じ下働きの女性に声を掛けられて籠を抱えて中に戻る。下働きの休憩室で先ほどの話をすると、
「ああ。あの方はセイラ・マクレガー公爵令嬢と言って、アルベルド王太子殿下の婚約者候補だね」
「婚約者……候補……」
急に聞かされた言葉に胸が痛む。
「同盟関係の王族と婚姻になるか国内の貴族と結婚するかともめていたからやっと婚約者候補でも考えられるようになって良かったわね」
「公爵令嬢になりそうなのね」
「ご令嬢は魔力持ちだし、魔力至上主義の貴族なら当然そうなるわね」
世間話のように話をしているハンナ達。
「レイラちゃんもこれで身分不相応の関係に諦め付くでしょう」
ひそかに想っていたことに気付いていたのだろうそっと釘を刺された。
貴族のみ魔力を持つ。魔力が強ければ強いほど重宝される。特に有事の際に一番最初に動く王族は魔力の強さ、質を求められているので特に慎重に選ばれる必要がある。
「そう……ですね……」
よく会いに来てくれているから誤解しそうになっていた。そうだ。私は乳母の娘であるが、実家は問題を起こした家だ。気さくに話し掛けてもらえる存在ではない。
そもそも貴族の血を引いていたが魔力を持たない自分がそんな対象に入れるわけもない。
そうだ。このままでいられないのだ……。
(少しずつ距離を置かないと……)
それから殿下に遭遇しないように慎重に行動をし続けた。そんな頻繁に遭遇するわけではないけど、遭遇したら必ず声を掛けてくださる優しい方だから。
そのまま疎遠になるのを狙っていたのだが、
「なんで避けるのかな?」
いきなり殿下に捕まった時は心臓が飛び出るかと思った。
「レイラ」
「……婚約おめでとうございます。婚約が決まったのなら婚約者以外の女性と親しいところを見られたら困りますよ……」
だから距離を置きましょうと伝える。
「えっ、レイラはレイラだよ。なんで距離を」
「私は身分の差こそありますが女性ですよ」
だから駄目なんですよと伝えるとそっとその場を後にする。場合によっては城勤めもやめさせてもらおうかと迷っていたが、それから数日後、殿下が式典の最中に倒れたという情報が城内を駆け巡った。
そして、それから殿下の意識は戻ったが一向に公務に出ることもなく数か月が過ぎた――。
「アルベルド王太子殿下には複数の毒が使用されました」
「複数の毒……」
殿下をくっつけた状態で椅子に座っている私に医師が説明する。
「レイラ? 急に何言っているの? 毒? というかどこ見ているの?」
殿下が不思議そうに首を傾げている。
「どんな毒を使われたのか何しろ複数の毒薬……中には殿下のお手付きを狙ったものが用意した媚薬も含まれていて、それらが式典に同時に出されていました」
そんな偶然があるものなのか。いや、あったらしい。
アルベルド王太子殿下に婚約者が決まったら王位が完全に回ってこないと考えた魔力の強い王族がこぞって手を回していたとか。
「アルベルド王太子殿下は命こそ助かりましたが、自身の魔力がその毒を中和した際の副作用で……人間が見えなくなってしまっています」
「何ですか、それ……」
そんなことあるものなのだろうか。
「起きて早々。周りに人が居るのに必死に従者やメイドの名を呼び続けて、怯えた顔で人が居ないかと城内を駆け回っていて、異常に気付いた者たちがすかさず殿下の動きを封じ込めたことで事なきを得ましたが、おそらく一歩公の場に出ていたら噂はすぐに広まっていたでしょう」
二日目も探しに行こうとして拘束されている事実に動揺していた。
「手紙など執筆でお伝えしようとしましたが、手紙の存在にも気づかずにならば触れてみればと試したが、すり抜けるような感触でこちらの接触も出来なくなっていました」
「………………」
「レイラ? どうしたの?」
私と医師の話が全く聞こえていないのだろう。私の顔が青ざめたのを心配そうに覗き込んでいる。
「レイラっ⁉」
「………殿下には私から説明してみます」
医師に伝えると殿下に医師から聞いた話をすべて伝える。殿下は私のつたない説明でも真剣な表情で聞いていて、
「……ああ。それでみんないないのか……いや、違うか。いるのに見えていないんだな」
何処か納得出来たという顔になって辺りを見渡すが、誰一人視線はあっていない。
「――居るんだな」
「アルベルドさまっ!!」
側近が声を上げる。だけど、耳元で叫ばれたのに全く聞こえていないのか表情一つ変えない。
「そうか……」
私の顔の変化だけでいることを悟った殿下は、私の身体を強くつかんで離そうとしない。
「そうか……」
思い詰めた顔。やっと理解できたという思いとどうなるか分からない不安。それらの感情の入り混じった顔で、
「………こんな状態ならいつ回復するのか。いや、そもそも回復するか分からない。王太子の座は弟に譲るように進言してくれ」
「アルベルドさま……」
「……今の自分に王族として相応しいと思えないんだ」
吐き出すような悲鳴に思えた。
ドアが開いて側近が外に出ていく。
「殿下……」
「出て行ったのか。――それすら俺には分からないんだな」
弱り切った声。
「レイラ……君はずっと居てくれるよね」
縋るような力強く掴む手。
「はい……います……」
離れようと思っていたけど、こんな状態の殿下から離れる事は出来ない。
(仕方ない)
仕方ないと思っているが捨てようとした想いが喜んでいるのも事実。そのことに罪悪感を感じつつ、せめてこの邪な気持ちを抑えて、ずっとお側に仕えていよう。
そう思った。それなのに……。
「ねえ、レイラは本物だよね。偽者ではないよね」
療養のためにと別宅に移動した殿下は不安げに私に尋ねてくる。周りには護衛などもいるが殿下の目には見えていない。
「本物ですよ。何でいきなり……」
「ああ。そうだね。――君以外の人が見えたと思って喜んで声を掛けたら彼らに自分が見えていないという夢を見てね」
汗びったりで怯えたような言葉。
「……私はいますよ」
それは今の護衛達の状況だと思いつつもそっと触れて確かめてくださいと手を差しだす。
「ああ、本当だ……」
手を掴んででそのまま抱きしめられる。
「ああ、でも、これも夢だったりはしないだろうか……」
怯えているのか身体が小刻みに震えている。
「――ならもっと確かめてください」
安心させるために告げた言葉だった。少なくてもそのつもりだった。
「なら、そうさせてもらおう」
その言葉と共に唇が重ねられて、すいつくされるような勢いで身体に力が入らなくなってくる。
「だ、駄目……」
「レイラ。男性に向かって、好きなだけ触れていいと許可を出してはいけないよ」
こうやって貪られるだけなんだから。
「でっ……」
「誰もいないからいいだろう」
殿下の目には私以外映っていない。だけど、それを伝えたらどんな想いを抱くのか分からなかったのでそれを伝えないで、これ以上制止するのを止めてしまった。
ああ、やっと手に入った。
ベッドで眠っている彼女の髪を撫でながら笑う。
「まさか、婚約者候補が現れたらいなくなろうとするなんて……」
俺にはレイラしかいないのに。
「いるんだろう」
相変わらず見えないし、気配は感じない。だけど、自分の傍には常に誰かがいると思っているので告げてみる。
「魔力持ちの子供はレイラとしか作れないだろう。離そうとするな。――そう伝えておけ」
一人でしゃべっている怪しい存在にしか思えないが、そんなの昔からだ。
(毒に感謝だな)
おかげで彼女と自分だけの世界が手に入ったのだから。
毒の影響と魔力の副作用で起きたのは事実。まあ、自分の都合のいい展開になったのはもしかしたら願望が叶った形かもしれないが……。