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最期の会話は友人とのくだらない賭け事だった

作者: 冷瑞葵

 地面が揺れた。少し大きい。


 石の壁で囲まれたリビングを出て、玄関近くの四角く切り取られた穴から外の様子をうかがう。


 外にいる人々は一瞬視線を四方にやって、すぐ興味をなくしたように下を見て歩き出した。細かい揺れはまだ残っているが瞬時にみんな日常へと戻ったようだ。


「今のは地底地震かな?」


 空を見渡してそう判断を下す。

 闇の訪れを予告するような鮮やかな橙と紺色の空。美しいグラデーションのほかに何もない。


 唯一奇妙なのは遠くのほうで大きな雲がもくもくと体を伸ばしていることだ。


「いいや、今のは隕石地震だね。賭けてもいい」


 僕の隣に割り込むようにして、うちに遊びに来ていた友人も窓の外を眺めた。ちょうどトイレから出てきたところらしい彼は服の裾で手を拭きながら空を眺め、少し不思議そうに首を傾げた。


「へー、いいよ。いくら賭ける?」

「……言い値で」


 僕の挑発に彼はそう返答した。大した自信だ。僕は顎に手を添えて考えた。


 地震には3つの種類がある。そのうちの1つは極稀でほとんど起こらない――起こってはならない地震なので、今僕が選ぶべき答えは2つに1つと言っていい。つまり、地底地震と隕石地震。


 プレートの沈み込むエネルギーが暴発したものが地底地震だ。

 これは古来からある地震で、長年の研究によって高い精度で予知される。今回くらいの大きさの地震であれば、前日のうちに注意喚起がされていてもおかしくない。特にそういうニュースは見なかったから、地底地震の可能性はやや下がるか?


 隕石地震は、宇宙から隕石が落ちてきて地面が揺れたものだ。月と地球との距離が離れるに伴って、年々隕石地震の頻度は上がっていると聞く。

 しかし、隕石地震であれば特有の特徴がある。火球だ。地面が揺れる直前に空が光る。地面が揺れたあとも、破片が空に残っていて流れ星のように観測されることも少なくない。

 今回は空に隕石の欠片が見当たらないことを確認した上で地底地震であると判断した、が。


「……光ったのか」

「なーんだ、気づいちゃった? ピンポーン。だからお前の負けー!」


 僕の友人は嬉しそうだ。歯を見せてケタケタと笑い、それでもなお賭け金を要求してくる。僕は少しばかり彼の友人になったことを後悔した。くそったれ。意地の悪いやつめ。


「ちょっと待ってろ。今勝ち筋を見つけるから」

「いやいや無理だって。大人しくなんか奢ってー?」

「うるせえ」


 僕は形勢逆転の一手を探して窓の外を見た。何かないか? こいつをギャフンと言わせるようなもの。


――おかしい


 幻聴。自分の声が聞こえた気がした。まるで他人の声が脳に直接届くみたいに。


 カメラのレンズを絞るように急に注意が一点に集中する。街の四方に目をやると、妙な解像度で街の様子が頭にインプットされていく。

 この一瞬は息も友人のことも忘れていた。


 なんだ? 何か変だ。いつもと様子が違う。人々が忙しない。


――なんだあれ


 何気なしに遠くの雲のほうを見た。雲はさらに体を伸ばし、キノコのような形で高く上っている。


――なんだあれ


 1秒もしない間に同じことを何十回も問うている感覚がある。非現実的な恐怖が全身を覆い尽くし、「そんなはずない」と薄情な理性が頭を振る。暴走した感情が全身でせめぎ合って、眼球は異様に冷静に観測を続けた。呼吸が荒くなる。空気が冷たい。指先が冷たい。息を吸えない。苦しい。目を逸らしたい。受け入れられない。受け入れたくない。嫌だ。「そんなはずない」と呟いた自分の声は分厚いヴェールの向こうの囁きのようにか細く消えて、かえって恐怖を増幅させた。


「……2人とも()けかも」

「は?」

「どうしたらいい?」

「なに?」

「どうしたらいい? どうしようどうしようどうしたらいい。どうしたらいいんだっけ、えっと」


 思考は停止している。口だけが勝手に動く。


 「あぁ、逃げなきゃ」と口が動いた。「どこに?」と返答したのは自分自身だ。「外」「リビング」「いや、ここにしゃがんだほうがいい」と案を口々に出すのも、全て自分の声だった。


 「逃げろ」。その言葉が最も確からしいように思えた。「逃げろ逃げろ逃げろ」。


「おい、どうしたんだよお前――」


 友人の声が途中で止まる。友人は窓の外を見つめたまま固まっていた。

 窓の向こうでは、消滅の壁が向こうから街を飲み込んでいく。あぁ、もうすぐそこまで来てる。


「逃げよう!」


 僕の友人は賢かった。僕の手を引っ張ってリビングのほうへと足を踏み出す。氷のように冷たい手は小刻みに震えていて、足も覚束ないようだった。

 僕の震える足は全く動いてくれなくて、ただ口だけはまた「逃げよう」と勝手に動いた。


「――間に合わない」


 ようやく思った通りの言葉を紡げたと思えば、その内容は非常に情けなく弱々しいものだった。


 何かもっと気の利いたことを言えたらよかったな、いや、口より先に足が動いてくれれば、あるいは。

 そんなことを考える僕はもう何も言うことができなくて、見開いた目で見る友人の顔は悪夢を絵にしたような絶望を映していた。


 玄関先に立ちすくんだ僕らを風と熱が拐った。


――ごめん


 最後に意味も持たず口が動く。友には届いただろうか。


 3種目の地震は地上地震。唯一人為的に起こる地震。

 起こることが許されない地震だった。

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