表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/9

第八帖:数行分の感謝を

 人間誰しも、特別な感情を抱いた作品を持っているものだろう。そうでない人も、自分自身の物語に、ある特別な感情を抱いているのかもしれない。


 だとしたら、私の魂が帰る場所が、その物語なのだと思う。そう思わなくてもいいし、そうではないかもしれない。それでも、そう信じたいことだってあるだろう。


 今回の旅程は、試しに高速バスというものを使ってみた。そこで、高速バスによる移動中の経過も、ここに記しておこうと思う。


 今回の旅の始まりの地は名古屋駅高速バスセンターだ。特別近いというのでもないが、この辺りは、私は浅からぬ縁のある地だ。古い縁といってもいいかもしれない。そういう場所だから、旅の時にはたいていこの辺りを玄関口として利用している。


 青雲に 馴れ親しんだ ビルの間も わが背とともに 高く澄みたり


 さて、青春時代を過ごしたこの辺りの地理はある程度分かっているので、早速バスセンターから出発する。私は、長旅ではたいてい新幹線を利用するので、こういう経験は初めてなのだが、徒歩で行く時のビル街と、バスで移動するときのビル街では、少しだけ目線が高くなる。そうすると、思ったよりも「知らなかった景色」というのが見えてくる。

 実は高架下の隙間から差し込む日が眩しいことや、遠くに見える名古屋城の姿が自分の目線からは低く見えることなど。名古屋周辺でもそうなのだから、知らない街に行けばもっと世界が「高く」見えるのだろう。


 彼方には 朝を背にする 名古屋城 馴染みの空に しばし別れを


 さて、高速道路に乗りしばらくすると、ビル街が山肌へと変わっていく。こういうのを見ると故郷を思い出したりもするが、目下の景色はそれとは少し違っている。同じ場所ではないのだが、どこか懐かしい、目にも優しい景色が広がっていた。

 山並みには枯れ枝と常緑樹の浅い緑色とが混ざりあっている。枯れ木の枝先から覗く電線にも、言いようのない懐かしい風情がある。目下には、収穫を終えた田畑。そこに疎らに家々が立ち並び、センチメンタルな気分を掻き立ててくれる。


 寒波くる 木々も葉衣 欲しげなり 我が外套は 彼に似合わず


 ・・・と思った矢先、対向車線でサイレンの音が。運転は、ご安全に!!


 やがて、伊吹山が彼方に見える。標高の高い山肌は控えめな雪化粧が。そして、そこに掛かる雲と霧。さながら白の反物を、二重に重ねたよう。


 松小立 迫る居高き 伊吹山 白の衣を 重ねけるかな


 気が付けば米原。昨年滋賀の石山寺を訪れたのは、まだ温かいころだっただろうか。あの頃たくさん旅行に行ったものだが、その代償は苦しい気持ちだったかもしれない。というのも、環境ががらりと変わり、とにかく仕事から離れたくて仕方がなくて、旅行に出かけるということがあったからだ。「物語の先で」生き続ける私が、紫式部ゆかりの地で物語を夢見る時間は、どれほど私の心を慰めたのだろうか。


 旅衣 うら悲しける 心うちは 石山寺を 訪ねてぞ問う


 長いことバスに揺られる間に、空は霧がかかって低くなり、路には雪の白がちらほら。少し寒くなり、足元も底冷えする。バスは福井県に差し掛かる。

 そういえば、去年は福井県にも行った。越前武生だ。そして、今日の休憩地点である南条サービスエリアは、越前市のあたりにあるはずだ。


 南条サービスエリアに到着。あそこにあるのは、雪化粧の杉木立が真っすぐに天を支える、日野岳だろうか。


『ここにかく 日野の杉むら うずむ雪 小塩の松に 今日や まがえる』


 紫式部の歌集『紫式部集』にある歌だ。ちょうどそのように、日野岳は美しい雪にうずまっている。あの時は越前武生の紫式部公園から、『空気遠近法』もあったか、はるか遠くにそびえる様を見て、色彩が白んだ中に霧がかかっていたはずだ。それを、少しだけ近くから見る。壮大で、なぜか懐かしくも思う不思議な高揚感に見舞われた。

 この奇縁に感謝を。


 わずかな時間だが、サービスエリアを散策する。紫式部おるやん!古い友人に会ったような妙な懐かしさがある。記念撮影をしておこう。


 浅からぬ (えにし)と知らむ 頼もしき 真木の柱の もとの藤壺


 そして、屋外には恐竜が。福井といえば恐竜化石だから当然だが、そこにいたのはフクイティタン。「福井の巨人」という名にふさわしく、大柄で首の長い恐竜だ。記念撮影をと思い近づくと、「グォォォォ!」と、低い声で鳴き、首を持ち上げてくれた。彼なりのサービスだったのだろうが、驚いてシャッターチャンスを逃してしまった。ごめんね。


 やがてバスは、石川県に入る。運送会社と工場の群れが並び立つ。しかし、振り返れば、そこは一面の海。天候が悪く、波が高かったのだが、それが防波ブロックに激しく打ちかかる様は映画の冒頭を思わせるものだ。それだけでも、内陸に住む人には珍しいのだが、そのような激しさと打ち付ける雨の中でも、松は負けじと青い葉を輝かせている、自然の厳格さと、それに抗うように見える木々の悠然とした佇まいに、物書きは心惹かれるものだ。


 雨凍てし 波打つ浜の松原や (ひろ)外崎(とさき)の 風に打ち克て


 まもなく金沢駅へと到着する。初めに向かうのは、やはり観光パンフレットの並ぶ金沢市観光案内所だ。

 普段ならちょっとした道案内程度なのだが、今日に限ってはここは目的地の一つでもある。映画のキャラクターと記念撮影をパシャリ。さぁ、金沢駅の外へ向かおう。


 まず、金沢で出迎えてくれるのは、大きなドームの中にある広場を見守る鼓門だ。

 金沢は蓄音機の博物館があるくらい、音楽と親しみ深い町らしい。長い歴史を持つ町だ、そういうこともあるのだろう。だからこそ、鼓の門でお出迎え。まことに粋なことだ。そして、この造形もねじれも見事な鼓門を潜って、金沢観光をスタートしよう。


 今日の目的地は一つ。そう、金沢が誇る最大の観光スポットの一つ、日本三名園が一つ「兼六園」だ。美しい庭園を散策しながら、物思いに耽る時間を楽しもうではないか。

 まず初めに訪れたのは、金沢城公園と隣り合った尾山神社。まずは神に挨拶をするのが礼儀というもの。境内の前田利家像もそう言っておられます。そして、神社からほど近い鼠多門から玉泉院丸へ向かい、廻遊式庭園を眺める。本来ならばそのまま城内へ入れるのだが、今は特殊な事情があって、回り道をしなければならない。そう、金沢城も、地震の被災地の一つなのだ。実は道中、崩れて工事中の石積みが見える。道の迂回を案内する看板があった。崩れた石積みには黒いカバーが被せてあったが、それでも、その痛ましい光景は、それほど大きな地震が起きたのだと、そう私へ訴えかけているようにも見える。それでも、この場所も復興の途上にあって、部外者の私でも、一つでも力になれるのだろうか。


 そして、急ぎ足で兼六園へ。加賀が誇る名園「兼六園」は、私が説明するのも烏滸がましいが、江戸時代の日本を代表する大名庭園として、四季折々の木々や花を、点在する建造物や池をめぐりながら散策できる廻遊式庭園だ。その見事さは歴代藩主たちが丁寧に育て上げた、まさに歴史とともに生きた庭園なのである。

 兼六園に入ってまず驚かされるのが、「緑の深さ」である。永遠を思わせるほど苔の生した庭園は、雪の中にあっても枯れることなく深い緑の中を歩くことができる。その、目に優しいことと言ったら。それでいて、なんとも神秘的な空間でもある。松と苔、そして苔にまがえる残雪の白が、不思議なほどに調和して、池の水面、波紋を打つ深い色の魚たち。そして、驚くことに明治期に作られた現存する日本最古の噴水という搦め手まである。深く心和む光景の中から、金沢の街並み、かなたの山々や海まで望むことができる。その景観もまた、六勝の輝きである。


 そして、四季折々の木々があるというだけあって、ソメイヨシノの桜、紅葉山など、現在は彩りを見せない木々も景色に調和してそこに存在している。橋から橋へ、小島から小島へ渡る八つ橋まで、計算されつくした景観は、知識などみじんも持たない我々でさえ「すごい(小並感)」と言わしめるものだ。


 そんな庭園の中に、雄々しい日本武尊が剣を掲げて立っている。この銅像は、明治時代、西南戦争の戦死者を慰霊するために建てられたもので、神話の英雄に偲ばれる彼らの栄誉を今に伝えている。


 そして、最後に、金沢城公園へと石川門から入城する。加賀百万石を支配した前田家の居城、金沢城跡に再建された金沢城公園は、その繁栄の威容を現代に伝える貴重な資料であるとともに、江戸時代から明治時代にかけて利用された建築物を通して、歴史の変遷までを思わせる。そして、その石積みには現代の被災の爪痕があり、そのすさまじさを我々に伝えてくれる。

 重要文化財、「石川門」は、左右異なる造りの石垣が鮮烈な印象を与える、特殊な構造の建造物だ。重厚な門扉が開かれて私たちを導いてくれるが、一度石垣に目を向ければ、その不自然さに目を見張る。石垣の積み方が違う、などと、ふつうは想像できないものである。やはり当時でも物議をかもしたらしい記録が残っているらしく、私が感じた強烈な違和感も、てんで的外れというわけではなかったらしい。


 そして、白壁が眩しい金沢城の建物をめぐる。その大きさ、また公園の広さが、現代の我々にその威容を伝えている。

 しかしながら、私が入場したのが四時半近く。計画段階でわかってはいたことだが、閉園ギリギリもいいところである。何なら二日使うつもりの計画を、何とか一日に詰め込んだ私の努力をほめてやりたいところである。

 ・・・まぁ、それはそれとして兼六園に時間をかけすぎたのは否めないのだが・・・。


 とりあえず、見るべきものはすべて見た、ということで、明日に備えて夕食と休息をとることとした。金沢駅へとバスへ戻り、宿へと向かう。夕食は駅の観光案内所横にある、立ち食いそばのお店だ。おすすめをいただいた。

 観光案内所の向かいには、土産物屋がある。そこで、旅の楽しみの一環として、売られている地酒を眺めた。私は、甘酒を除き、酒を人生で1度しか飲んだことがない。それが敦賀だったが、正直あまりおいしいと思わなかった。それなのに、何の気まぐれか今回は二度目にしてみようと思い立ったのである。

 宿泊先で飲んだのは地元で造られたのか、地元の原料で造られたとか、なんかそういうことが書かれた『エール』である。

 さっそく饅頭を片手にタブを開ける。唐突にあふれ出す泡に慌てふためきつつ、みっともなく舐めるようにぐびっと。


 ・・・うん。まぁ、敦賀で買った一般的なビールと比べて飲みやすい気はする。ただなんというか、有難がって飲むようなものでもないような気もする。私はコーヒーを有難がって飲みまくるので健康的には結局あれだが。

 せっかくなのでしっかり飲んだものの、こう、表現が難しい炭酸のちょっと苦い感じのする飲み物なのは分かった。炭酸はあんまり好きではないので、多分これからも飲むことはないのだろう。なんとも表現しがたい気持ちになりながら、私の炭酸麦茶チャレンジは終わるのだった。



 二日の早朝に目覚めると、寒 波 到 来。正直分かっていたことではあったが、外に出ると凄まじい降雪が。おぉ・・・これはちょっと散策は無理だな・・・。そう考えて、急遽大乗寺丘陵公園への移動を諦める。とは言え少しもったいない気もするので、出来る限りバスで金沢を移動することにした。

 辺り一面の雪景色。路上は殆ど水浸しで、何かと思えば、雪国には道路の氷解用にスプリンターがあるらしい。こいつに引っかかった憐れな平野人は私です・・・。何も考えず足を踏み出すと、ぐじゅおぉぉぉぉ・・・。気づいたときにはもう手遅れになっており、靴は水浸し、何なら雪のせいでズボンの裾までしっかり濡れてしまっていた。


 こうして徒歩で金沢駅へと一度もどり、バス停から乗車した。


「次は 片町 片町・・・」


 来たことのない町なのに、その光景を目にした時の鮮烈な感動を忘れられない。私はこの町を知っている。いや、全く知らないのだが、見たことがある気がする。この雨よけのあるバス停、あの交差点、暗い曇天と、雪の中で道を急ぐ人々・・・。

 記憶の奥深くから、町に響く歌声が響いてきた。感情をぶつけてくるような、凄まじい熱量の、女性の歌声が。


 バスの行く 窓に 夕べの幻が 織り重なって 白く染め行く


 不意に飛び込んできた光景に感動したのには、ちゃんと理由がある。

 2024年6月14日、ある映画が封切られた。『数分間のエールを』というこのアニメ映画は、多くの物書きも経験したであろう、「作品づくりの苦悩と葛藤と喜び」を、美辞麗句で染め上げずに、ありのままで目一杯に賛美してくれる凄まじい映像作品である。この作品の製作スタッフの方々が、金沢の大学の出身者で、この作品の舞台が金沢だったのである。


 つまりは、「聖地巡礼の旅」が、本来の目的だった。金沢駅で記念撮影したキャラクターというのも、その作品の登場人物のことだ。


 今だからこそ白状するが、私は、夏の間一か月ほど、適応障害で休職していたことがある。仕事でうまくいかず、趣味の方も見て明らかなくらいに鳴かず飛ばずで、気づけば夜が明けるのを待つのが恐ろしく思えた。

 頭を過る思いは、「明日が来なければいいのに」というもの。仕事が近づいてくるから、どうせ何もかもうまくいかないのだから。

 仕事中は動悸が止まらなかった。突然涙が止まらなくなったりもした。誰かに見られるのも怖くてトイレに籠って気がつけば休憩時間が終わった。感情の制御ができないので、以前のように愛想笑いもできなくなっていた。別の部署には平気で応援に行けるのに、どうしてもそこだけは駄目だった。それがますます情けなくて、周りに見られたくないという気持ちが一層に芽生えた。

 それでも、必ず朝はやってくる。恐ろしい朝日がいつも、厭味ったらしい笑顔で照らしてくる。怖い。怖い、怖い、怖い・・・。

「朝が来なければいいのに」が、いつしか「目覚めなければいいのに」に、そして、「死にたい」に変わっていった。


 そんな時、この映画が放映されたのだ。それは奇跡の邂逅だったかもしれないし、偶然だっただろう。それでも、私は運命だと「信じたい」。この映画があったところで、あるいはなかったところで、きっと私は、普通に適応障害と診断されて、普通に休職して、普通に今に至っているのだろうが。


 それでも、あの時映画館で、周りが引きそうなほど涙を流した自分は本物の自分だった。

 自分の持ちうるリソースを出して提供した物が、だれの心にも刺さらない、手応えがないという思い。

 自分より才能があると認めた誰かが創作の世界から身を退いて、自分の応援したい気持ちが単なる無力感に変わってしまった経験もあった。

 あるいは、誰かに作品を広めたい、そう思って提供したことが、かえって相手を傷つけてしまったこともあった。それから、自分が誰かに「エールを送る」ことが、どうしようもなく恐ろしくなった。

 誰かは自分の作品を褒めてくれるけど、そこに手応えがこれっぽっちも伴わないこともあった。「彼らは自分の作品の何も知らないくせに」と思ってしまうことだって、なかったわけじゃない。有難い声援さえ、疑心暗鬼に塗れた心には、ただのこれっぽっちも響きやしなかった。

 騙し騙し自分がやって来た全てが、空回るだけ空回って、その時の自分に行きついた。登場人物全て、彼らの経験の全てが、まるで自分のことのように思えた。


 ほとんどずっと泣いていた映画だったのに、不思議なことに帰宅して真っ先にしたことは小説を書くことだった。書きたい。どうしようもなく書きたい。そう思った。

 そして、上映が終わった後、職場で散々検査を勧められた末に行った精神科で、診断されたのが適応障害。その時は、正直終わったと思った。


 あーあ、人生終わりだ。もうおしまい。しかもADHDだったんだってさ。私はこんな惨めな身の上だよ。以前福井県にせっかく行ったんだから、東尋坊にでも足を延ばして、浮舟の歌で別れを告げて、身投げでもすればよかった。


 良かったのに、生き残ってしまった。それからの一か月の、なんと空虚なことだったろうか。仕事も与えられず、家族に頼るばかりで、文字の一つも書けやしない。空虚に時間だけが過ぎていった。

 動けないお陰で死ぬことも無かった。ただ、「生きているだけ」。何の価値も意味もないと思った。


 休職期間が明け、何とか仕事に戻れるようになった時、以前よりも忙しさは増したのに、不思議と心は穏やかだった。誰かを助けられる喜びを痛いほど噛み締めた。


 そして、9月も末になる頃に、『数分間のエールを』が再上映されるニュースを目にする。とても動かずにはいられなかった。


 普段映画など二度もリピートすることがない私が、二度ならず三度までもリピートした。しかも遠くにしかない映画館で。その全ての上映で、涙が止まらなかった。

 たった1時間とちょっとだ。交通費も込みで万札が飛びかねない。感動的なストーリーなんかじゃない。それが必ず救いに繋がるわけでもない。物語の先に成功だってあるのかどうかわからない。それでも、それでもいい。

 だって、その映画は、あの時苦しんだ私の全てを『肯定してくれた』から。

 だから金沢に来たんだ。ありがとうを伝えたくて。

 その作品に関わった人すべてに、この作品に関わった場所全てに、ありがとうを伝えたくて。


 金沢駅に着いてすぐ、帰りのバスが運休したという報せがメールで届いた。警報級の降雪だそうだ。

 振り返り、鼓門を駅の内側から見る。より一層暗く深い曇天が垂れ込めている。激しく吹雪くその中で、鼓門は何かを支えるように聳え立っていた。

 運よく帰りの新幹線に乗ることができたので、早めに金沢を発つことにした。


 帰りの新幹線の中で、千里浜のライブビューイングを観ていた。荒々しい白波が立つ海面に、映像でもはっきりとわかるほど、白い雪が降り注いでいる。

 生きてさえいれば、次はこの場所にお礼を言いに行くこともできるだろう。


「いつかまた、もう一度、この場所で」

 旅の歌

青雲に 馴れ親しんだ ビルの間も わが背とともに 高く澄みたり

彼方には 朝を背にする 名古屋城 馴染みの空に しばし別れを

寒波くる 木々も葉衣 欲しげなり 我が外套は 彼に似合わず

松小立 迫る居高き 伊吹山 白の衣を 重ねけるかな

旅衣 うら悲しける 心うちは 石山寺を 訪ねてぞ問う

浅からぬ 縁と知らむ 頼もしき 真木の柱の もとの藤壺

雨凍てし 波打つ浜の松原や (ひろ)外崎(とさき)の 風に打ち克て

君がため 加賀に来たりし我に向け 照らす笑顔は 彼方の朝日

金沢の園にそびえる大和神 昔の人の 魂を伝えよ

(あお)深し 名残の雪を底に敷く 池の(いす)さえ 誇らしげなり

金沢の 城に誰かの雪だるま 今の僕にも 似て楽しげで

古の 年を積み組む石にさえ 新しき世の爪痕を知る

ささなみの近江烏はかしましく くるまれ人の 餌を待つなり

バスの行く 窓に 夕べの幻が 織り重なって 白く染め行く

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ