第六帖:コモドドラゴンに会いに行こう! 上巻
2024年7月18日、そいつは、突然やって来た・・・。
今回訪れたのは、愛知県は名古屋市にある、東山動植物園である。地下鉄東山公園駅を降りてすぐにある、アクセスの良い動物園で、1890年に開園した歴史ある動物園である。明治時代から続く動物園であるため、戦時下のエピソードなども交えた象園の展示は非常に人気があり、国内でも珍しい動物を多数飼育している。
さて、去る2024年7月18日、東山動物園に、国内唯一の展示となる、ある動物が来園し、8月19日に一般公開される運びとなった。
その名も、『コモドオオトカゲ』。世界最大級のトカゲで、ヘモトキシンと呼ばれる血液の凝固を阻害する毒を持つ最終捕食者である。現地では危険な動物に数えられるが、それもそのはず、彼らは人間を殺傷した事例もあるのだ。今回は、彼に出会うために、この動物園を訪れた。
来園ゲートを潜ると、まず出迎えてくれるのはインドサイだ。大抵は水浴びをしているのだが、この時もやはり水に全身をしっかり浸していた。ほとんど角と背中しか見えないのだが、幸い、食事のために陸に上がってきた来た姿も見ることができた。
もう少し進むと、コツメカワウソがちょろちょろと動き回っている。コツメカワウソはペットとしても人気がある、愛嬌たっぷりの動物で、つぶらな瞳と長い尻尾がたまらない、魅力的な動物である。この時はお昼寝中だったので、二匹で水浴び場で仲良く寛いでいた。
この濡れた毛並みがまた艶やかで可愛らしいのだが、この動物は、ペットとして人気になってしまったために、密輸の犠牲になる悲しい出来事も起っている。私達は、動物園でかわいい、かわいいと持て囃しているのだが、そのかわいさのために、動物たちが被害を受けるというのは、意外に多い。現在飼育されている子達はすっかり安心してすやすやと眠っているが、密輸ハンターは、親を殺して子供を捕獲してしまうことさえある。私は、「そう言う作品」に少し触れてきた手前、どうしても考えずにはいられないのである。
さて、ここから、真っすぐに進めば、動物園のメイン・ストリートが広がっているのだが、今回は敢えて外回りで行こうと思う。何せ、ヤツはそちら側にいるのだから。
お土産店とモノレールの奥に、歩道橋がある。大きな橋を渡ったところに見えてくるのが、霊長類の展示を主に行っているエリアだ。東山動物園で霊長類と言えば、シャバーニが有名だろう。群れの中心的なニシゴリラで、リーダーの証であるシルバー・バックと呼ばれる背中の模様がある。この模様は、後天的に現れるらしく、群れのリーダーであることを示し、トラブルの仲裁や保護を行うのだという。シャバーニはイケメンゴリラということで一躍有名になったのだが、ゴリラという生物は、実際女性の理想の男性像の塊のような生き物である。
というのも、彼らのオス(リーダー)は、群れの仲間達を守る役割がある。要するに強い漢なのである。それでいて、ゴリラは心優しい一面があり、繊細なところもある。有名な威嚇行動としてドラミング(胸を叩く行動)があるが、これは滅多に行うことは無く、猫を可愛がっていた個体もいたりする。
そんなわけなので、女性の方々で、もし、良さげな男性が身近にいなければ、動物園でゴリラとお見合いしてみてはいかがだろうか?
冗談はさておき、室内にいたゴリラたちは、各々自由に過ごしていた。休日のおじさんよろしくタワーの土台に腰かけてぼんやりしている者から、来園者のごく近くで肉体美を見せつけつつ流し見する個体まで様々で、非常に見応えがある。そして、見応えがあるので、来園者はかなりゴリラの周りに集まっており、非常に通りづらかったりもする。
さて、ゴリラの隣にはチンパンジーの展示があるが、彼らはゴリラとは逆に外にいた。背の高いジャングルジムのような、複雑な構造の施設の高所を、群れの仲間たちと取り合って激しく動いている。動物園の中でも特に動きの活発な動物が、このチンパンジーだった。上へ下へと激しく動き回り、追いかけっこをしたり、寄り添い合っていたりする。そうかと思えば下に降りて、ナックル・ウォーク(前脚=指の第二関節あたりの背側を地面について四足歩行する歩き方)を披露していたりする。チンパンジーは大変賢く、蟻塚に枝を突っ込んで蟻を取り出して食べたり、道具を使用することに長けているのだが、それだけでなく表情も豊かである。社会性が高い動物なので、笑顔や威嚇などの表情と声を使って、コミュニケーションをとることができるので、私達人間に近い生物というのも納得の動物だろう。
そんな霊長類だが、ゴリラの生息地には希少なレアメタルが眠っているのを御存じだろうか。レアメタルは、スマートフォンなどの電子機器に不可欠な希少金属で、高額で頻繁に取引される。
だいたい察しが付くとは思うのだが、人間は金がなければ生きていけないので、ゴリラの生息域は年々開拓されつつある。しかも、運の悪いことに、ゴリラは食用に利用されるので、生息域を荒らされた上に捕獲されるリスクもある。さらに悪いことに、「人間に近い」と先ほど述べたが、病気も共通のものが少なくない。サルにもインフルエンザが移ることがあるので、ゴリラが感染してしまった例もみられるのである。このように、ゴリラはかなり繊細な生き物で、人間とはつくづく厄介な生き物であると考えさせられる。
さて、他の猿たちも紹介しておこう。顔や臀部に綺麗な模様のあるマンドリルは、希少な動物である。彼らもやはり、ゴリラと同じように食用で利用されている。以前訪れた時には見ることができなかったが、この時は食事中だったらしく、目の前で胡坐をかきながらご飯を咀嚼していた。
また、フクロテナガザル君のことも忘れてはいけない。マンドリルと異なり手が長く、樹上生活に適したフクロテナガザル君は、腕の方が脚よりも長く、オスの口には大きなのど袋があるのが特徴だ。こののど袋は、求愛行動の際などに、大きな鳴き声を出すのに適しており、非常に遠くまで聞こえるくらい大きい声で鳴くことができる。
我々の仲間達に挨拶をした後は、「恐竜」のような見た目のコモドオオトカゲを見に行く前に、恐竜の子孫たちを見に行くことにしよう。
ゴリラ・チンパンジー舎を出て暫く登ると、コンドルとメンフクロウが出迎えてくれる。私は猛禽類の中でも梟が好きなのだが、メンフクロウは独特な顔立ちをしており、ミステリアスな魅力がある。白い仮面を被ったかのような外見が魅力的で、梟特有の丸みを帯びた体格も手伝って、大変に可愛らしいのだが・・・。
今日は小屋の中でおねんねしていた。これはこれでかわいい・・・。
さて、そこから多くの鳥類が揃って出迎えてくれる。ワシやカワセミ、中国・シベリアから来た鳥類たちがずらりと並ぶ。その中に、日本でも有名なタンチョウと呼ばれる鶴がいる。中国からロシアにかけて生息し、北海道の釧路などで見られる代表的な鶴である。日本の象徴たる鳥の一種で、学名も『japonesis』。しかし、日本では一時乱獲の被害に遭い、明治期に絶滅したと考えられていた。どうやら越冬に訪れていた大陸のタンチョウと交配して数を回復したらしく、その後の保護・繁殖には大変な苦労を要したらしい。
こうした湿原に生息域を持つ鳥類は、今後苛酷な問題に直面することもあるだろう。というのも、湿原というのはとにかく集金に不向きな地形だ。そのため、地形を改変させる開発の標的になりやすく、生息域はどんどん小さくなっていく。これはとても悲しい事だが、「環境のために」メガソーラーを建てるという意識の高い試みのせいで、必要な土地を開発し、こうした生態系の多様性が損なわれる結果となっていく例がある。山間部の森林を伐採して、太陽光発電システムを開発し、その結果木々による土壌を維持する機能が損なわれ、土砂崩れを起こす例もあった。こうした環境の開発は、実は「(かわいい)動物を守ろう」と言う意識によって引き起こされ、多様な生態系が破壊され、結果的に環境破壊の一役を担うということが起こり得る。
みんなが大嫌いなゴキブリも、森では貴重な分解者であるように、生物たちの生態系というのは、微妙なバランスによって維持されている。この、生態系の多様性までを含む大枠としての「生物多様性」という考え方を損なった、にわかな環境保全活動は、一歩間違えれば取り返しのつかない問題へと発展する警句となり得るだろう。
タンチョウの例はうまく保護が進んだ例ではあるが、これも日本の文化資本としてタンチョウヅルが大変重要だったことが根底にあるのだろう。裏を返せば、『そうでない生物の絶滅』がこれからも進むことを考えずにはいられない。
さて、鳥類のゾーンを抜けると、アメリカゾーンに辿り着く。まず、真っ先に目に入るのは、広大な土地に独特のもじゃもじゃとした頭髪の毛が特徴的な、アメリカバイソンである。こいつを見ると、私はあのゲームのアフロのブレイクなトラウマをいつも思い出すのだが、彼らも政治的・科学的な変化によって、悲しい危機を経験したことがある。
元々、先住民族の衣服・食料・武器(骨は矢になる!)など生活用品として利用されてきたアメリカバイソンだが、その数は決して少なくなかった。変化が訪れたのは所謂ヨーロッパ・スペイン王国による「アメリカ大陸の発見」の頃からである。侵略目的で流入していったヨーロッパ諸国の人々は、先住民にそれまでにない技術を齎した。はじめに、彼らによる家畜化した馬が齎され、先住民によるアメリカ・バイソンの追い込み猟が可能となった。17世紀以降の白人の大量移民による人口増加を支えるために、追い込み猟は先住民の主要な収入源にもなる。さらに、アメリカ・バイソンは開拓するにあたって危険な存在であり、農業や牧畜のために土地を確保するうえでも排除の必要が増していく。
やがて、移動手段が発達した19世紀に至ると、彼らは、この大物を娯楽目的で狩猟のターゲットにするようになっていった。
また、先住民にとって貴重な資源であったアメリカ・バイソンの排除は、先住民の力をそのまま削ぐことに繋がる。彼らは先住民の飢餓作戦のために、アメリカ・バイソンの乱獲を推し進めていった。
そうして、気が付いたときには、かつて草原を埋め尽くしていたアメリカ・バイソンの個体数は激減し、絶滅の危機に瀕していったのである。
彼らが不幸中の幸いであったのが、時代がある程度下るまで個体数を維持していたこと、『商業的に利用価値があったこと』である。環境保全の動きが強まる20世紀初頭までに何とか生き残っていた個体群は、国立公園で保護され、一時期には6000万頭はいたとされた個体数が1000頭ほどまで激減したが、現在は1万5000頭から3万頭前後に回復しているという。また、これらとは別に商業用の家畜化されたバイソンが多数いるという。
とはいえ、ここまで強烈な個体数の減少を経験すると、数の上で復活しても、特定の病気へ対する免疫を持つ遺伝子が消滅している可能性が高い(世代を跨ぐ必要があるので、遺伝子は簡単に変異しない!)。このような、ボトルネック効果による遺伝的多様性の激減で、彼らは感染症による急速な絶滅という懸念を拭い去ることができない。アメリカ・バイソン復活の道は、未だ始まったばかりなのかもしれない。
さて、熱く語ってしまったが、他にもかわいい奴がいる。地面に穴を掘って住むプレーリードッグは、鼻をひくつかせながら草を食んでいる。この小さくて愛らしい生き物は、あちこちで心を悩ます私の心を大層癒してくれる。
さらに、真っ白な、でっかいわんこがいるではないか。彼はシンリンオオカミ。忙しなくうろうろと動き回って大層可愛らしいが、彼も森林の上位の捕食者である。
大きく道を回ってビーバーがいる。この時は、プールの中にはおらず、折り重なってすやすやと眠っていた。アメリカのビーバーは、川にダムを形成して沢山の生物に住処と餌を齎すが、下流への水を堰き止めてしまうことがある。そのため、人間からすると下流の水位が落ちてたまったものでは無かったり、もちろん生息する生物にも大変な影響を与えてしまうらしい。
まぁ、人間がこんなことを言っても、ビーバーに鼻で笑われそうではあるが・・・。
そして、獣舎の中で右往左往するオオアリクイに挨拶をしながら向かったのはジャガーの獣舎である。ジャガーはメキシコ文化において重要な地位を持つ猛獣である。ジャガーマンという名前は聞いたことがあるだろう。ジャガーはアステカ文明の神テスカトリポカの変身した姿(ナワルとかトナルと言われる)とされ、篤い信仰を集めてきた。高位の戦士たちの中にも、ジャガーの衣装を纏って戦う集団がおり、彼らはオセロット(ジャガーの意味)から取ってオセロメー(ジャガーの戦士)と呼ばれた。
こうしたメソアメリカ文化に強く影響を与えたジャガーは、やや丸みを帯びた体格が特徴で、どことなくずんぐりとした体形をしている。独特の斑点模様も特徴的だが、やはりネコ科動物特有の愛らしさも兼ね備えている。私が観覧中も、ブラックジャガーが寝転がってボールと戯れている姿が、来園者には可愛く映ったようである。いや、映ったのではなく、私から見てもかわいいのだが。なかなかの撮影ポイントであった。
ちなみに、ジャガー舎の隣には世界のメダカ館がある。淡水魚を中心とした展示が見られ、私も生きている鮎と鰻が見られてすこぶる嬉しかった。
メダカ館では、メダカの生態に関する展示とメダカの水槽だけでなく、特定外来生物の展示や、その他の淡水生物の展示が見られる。大きくはない建物だが、かなり珍しい展示と言えるので、来園の際には来館してはいかがだろうか。
さて、長くなってしまった。一度道を遡って、「ヤツ」に会いに行こうではないか。日本唯一のあいつを・・・。
下巻へ続く!