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出不精道中膝栗毛‐たまには遠出も良い‐  作者: 民間人。


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第五帖:山宇路の露:下

 さて、京都御苑を出てすぐのところに、蘆山寺という由緒ある寺院がある。その始まりは南北朝時代に、1245年、法然上人に帰依した住心坊(じゅうしんぼう)覚瑜(かくゆ)によって創建された蘆山寺が、938年に良源大師によって建てられた與願金剛院に吸収される形で現在の号名を名乗るようになった寺院である。吸収とは言うが、二つの寺院を同時に継いだ照源上人によって蘆山寺と名乗るようになったということのようで、決して買収とかそういった意味ではない。

 蘆山寺は、歴史学者である角田文衛氏によって、紫式部の屋敷があった辺りではないかと言われている。

 というのも、源氏物語の注釈本である、この辺りに紫式部の曽祖父・藤原兼輔邸があり、四辻善成著『河海抄』の記述によって推定されるのだという。


 寺院の中で特別に巨大なわけではないが、境内には紫式部とその娘、大弐三位(賢子)の歌碑が残り、源氏庭が築かれている。

 拝観料を払い、はじめの部屋には、なんと『源氏物語絵巻』と『紫式部日記』の絵巻物が。源氏物語絵巻には、柏木の不倫により生まれた薫を抱く光源氏の姿が見られる。とても見たことのある場面で、一目でこのシーンは!!と反応してしまった。さらに、『源氏物語絵巻』の方は、紫式部が五十日の祝いで酔い潰れた道長を避けている時に、道長が彼女に歌をせがむ場面が描かれている。道長はこういうところがある。


 「あのシーン」が分かるというのは教養の喜びの一つである。こうした絵画にしても、原文や訳文を知っていることのほかにも、絵画での人物の描かれ方を知っていることで、作品を一層楽しむことができる。もちろん、知を得る快感も甘美なのだが、どちらも等しく喜びがあるというのが、教養の楽しいところである。

 だから、知らない教養を知りたいと思う貪欲さだけが、私の最後に残った柱の一つだと思う。知るのは楽しい。どうしようもなく。ただ、自分にはそれ以外が何もできないのだ。


 続けてご本尊を参拝し、写経室を外から少し観覧する。第一級の資料を見ることができた喜びのまま、縁側から源氏庭を眺めた。

 観光客の賑わいと、庭園の静けさ。その中に佇む紫式部邸宅跡の碑文。寺院特有の線香の得も言われぬ残り香、喧騒の外から眺める景色は、どれも輝くばかりの色彩を放っていた。

 思えば、今年は『源氏物語』の話ばかりだ。私は結構染まりやすい性格なので、散財を防ぐために流行りものを意図的に時間をおいてから鑑賞するすることが多いのだが、今年の多くの旅行は、喜びというよりも動悸がするような苦しみから逃れる時間のように思う。

 『源氏物語』は愛と苦しみの物語である。政治物でもある。多角的に世界を眺める紫式部の鋭い観察眼、また苦界に身を置く自分への慰めとしての物語への逃避は、千年の時を越えて「弱い」、「社会不適合者」の「醜い」私に重ねて、寄り添わせてくれる。

 この苦しみの終わりはどこにあるのだろうか。命が尽きるまで追い回される悲しみに、その捌け口に形代に、行き着く答えがあるというのだろうか。


 おぼつかな誰れに問はましいかにして 初めも果ても知らぬわが身ぞ※


 『源氏物語』を読むとき、薫の後ろ姿に自分を重ねている。だれも人生について答えてくれないし、行く先の正しさを示してくれない。散々「自分で考えて」というのに、「自業自得」だと蔑む。どこに身を置いたらいいのだろうか。何に頼って生きたらいいのか、何一つ分からない。

 何もかもが細く弱弱しい葦のようで、縋ることができない。大樹は私の上に枝葉を伸ばして、陽の光を齎してはくれない。ただ、ただ苦しく、泣いてばかりで。なのに、泣くことも世間は許してくれない。

 立ち止まることもなく社会が加速していき、豊かで満たされていて、何不自由のない社会の中にいるのに、「苦しい」。

 持っているはず、与えられているはずなのに、手放すことを恐れてばかりで怖い。

 今この時間さえ、過ぎ去ってしまう。一時の蝶の夢のように、山里に散る花のように、蜻蛉の命のように。


 ぼんやりと源氏庭を眺めた体が腰を上げる。止まってくれはしない時間に追われるように、次の目的地へと向かった。


 憂し心の先に、京阪宇治線に揺られて宇治駅へと至る。宇治は、『源氏物語』最後の十帖の舞台となる、物語終焉の地だ。平安京の人々は、宇治の地を憂しと掛けて解釈しており、出家や、隠棲と重ねて語られることが多い。現代人には、多分宇治抹茶だろう。私も宇治抹茶は大好きだ。


 この場所には徒歩圏内に多くの観光地があるが、今回の目的地の一つは、『宇治源氏物語ミュージアム』である。宇治橋を背にして歩くこと六分ほど、駐車場が見えてきた。ところが、建物が見えない。そのあたりをうろうろと探し回った末、さらに直進することでその場所を見つけた。入館料は600円で、当時の風俗とともに、源氏物語のあらすじを追うことができる。また、映像資料もあり、私は『橋姫』という作品を見ることができた。

 さすがにその内容を仔細に伝えることは憚られるが、宇治十帖のあらすじを纏めたような作品で、私の一番好きな部分を題材としている。当然嬉しく思ったし、また大変興味深く視聴させていただいた。

 どうやらもう一つあるらしい。興味があれば是非寄ってみて欲しい。


 展示品については、牛車や娯楽、調度品の解説のほか、「御簾」による垣間見の体験展示がある。

 中でも六条院の大ジオラマは圧巻というほかない。一望するにはあまりにも大きく、光る君の威容をまざまざと見せつけられた。


 御簾というものはマジックミラーのようになっていて、暗い方からは明るい方が良く見える仕組みとなっている。つまり、日中は姫君が御簾越しに陽の下の貴公子を垣間見、夜は貴公子が月光の下から室内の灯りを頼りに御簾の内の姫君を垣間見るのである。理屈では知っていても、正直はっきりと理解できないのだが、この展示を体験すると、非常に良く分かる。


 源氏の栄華を描く正編一編、老いと因果に苦しめられる若菜以降の正編二編のあらすじと共、展示品を眺めた後、舞台は宇治の物語へ。そのあらすじを文章で追いながら、薫ると大君、中の君の展示を見て、映像資料を見る。そのまま源氏物語が絵画の中で後世に伝えられていく様を見る、特別展示を観覧し、源氏物語ミュージアムを後にした。土産屋と休憩所が一緒になっていて、買った資料をお茶をしながら見ることもできたのだが、とかく時間がない。その足で、最後の目的地へと向かった。


 激しい流れの大きな川、宇治川に架かる宇治橋を渡る。浮舟が流されていく悲しみの川である。橋を渡った先には、浮舟の碑と共に、紫式部の像が建てられていた。対岸まで続く遥かな宇治橋と宇治川の流れを背にしながら、巻物を読むように俯く十二単の女性。それだけで絵になるのだが、そこには数多の観光客がある。旅を楽しみ、川縁へと降りてみる者、紫式部と共に記念撮影をする親子、ソフトクリームを片手に露店を回る学生達の瑞々しい声、五感で感じる宇治は、今はまさに喧噪の中にあった。

 平安時代中期、摂関期というのは、仏教における末法の世と重なり、人々は衆生済度の教に取り縋った。

 その、浄土信仰の到達点が、宇治にはある。出店を潜って進み、拝観料を支払う。

 世界遺産 平等院は、時の権力者・藤原道長の子藤原頼通が道長の別荘に建立したとされる浄土宗の寺院である。現在は特定の宗派に与するという形をとらずに、浄土宗と天台宗の寺院に数えられているらしい。この辺りは、実のところあまり分からない。

 ただ、平等院については誰もが知っているはずである。一万円札の裏に鳳凰が、十円玉の裏には平等院鳳凰堂が、それぞれ鋳されている。金に残される絢爛豪華なその姿は、平安貴族の栄華と、摂関政治が終わりへと向かっていく時代の陰りとを反映させている。

 つまりは、末法の世からの救いを求める人々の祈りが、美しい建築物として顕現したものである。

 藤原頼通は、父道長と違って外孫に恵まれなかった。その後日本は外国勢力の戦いと、内乱によって乱れていくこととなる。繁栄を極めた家督を継いだ頼道の前で、摂関政治が音を立てて崩れていく中で、彼は死後の変わらぬ安寧を願ってか、平等院鳳凰堂を建立し、出家をするに至った。


晩年は後三条天皇による荘園整理令により多くの所領を没収され、それでも平等院を始め権威を保ち続けたものの、藤原摂関家の栄光は過去のものとなっていく。この時から、日本史は院政の萌芽を見た。


 彼が後の世に向けて残したもの、それはこの豪壮華麗な平等院鳳凰堂という、平安期最大級の仏教美術である。境内の池越しに眺める平等院の両翼は、来る者を拒まず広げていた。

 池の中に浮く蓮は、苦界に生きる我々を掬い上げる救いの花だ。この艶やかで美しい葉と、水面に映る鳳凰堂の威容を遠い国のものと眺めながら、鳳翔館の門を潜った。

 平等院の鳳翔館には、復元した雲中供養菩薩のほか、修復前の貴重な資料が所蔵されている。文献資料もあり、パネルの解説にも頼道の生涯と平等院の成り立ちに関する解説が記されている。復原前の鳳凰像と、復元後の鳳凰、平安時代の仏像や、華麗な彩色を再現した部屋など、藤原氏の栄華を伝える多くの展示が続く。


 展示された多くの雲中供養菩薩像は、色彩を失いながらも、人を浄土へと誘う様々な表情を見せる。彼らが持つ楽器も、朝廷の雅楽で用いられた当時の楽器の姿を今に伝えている。

 そして、鳳翔院を抜け、売店、南門を潜り、鳳凰堂の裏手を回る。四方全てが豪壮。顔を出す阿弥陀如来座像が、池の水面に映る様はさぞ美しかっただろう。


 平等院が目指したのは、導かれるべき西方浄土の輝き、不朽の光の姿であり、それはもしかしたら、頼道自身がえられなかったものだったのかもしれない。清少納言が中宮定子に残した栄華の輝きを伝える賛歌『枕草子』のように、地上にはない楽園を、頼道は求めていたのだろうか。だとしたら、それはとても、「もののあはれ」を感じさせる。


 紫ゆかりの美術は、観光地特有の輝きの中で、いまだに憂いのようなものを失っていない。それは、移ろいゆく時代が幾星霜も過ぎ去ろうとも、人々の煩悩と祈りの中で、繰り返し語り継がれるのかも知れない。


 だから彼女は、「書く女」になったのだろう。千年先まで続くあはれに思いを馳せながら。


 地上の浄土から現世へと戻ると、空は青く澄み、人々の笑顔がある。宇治川の流れはただ速く、私はいつ朽ちるとも知れない橋を渡った。

※ 紫式部『源氏物語』第42帖「匂宮」より引用。薫の独り言の歌。



旅の歌


 荒妙の 藤のゆかりの 庭先に はしゃぐ母子の 話し声かな

 胸懐に 乱れる(ひとえ)を 重ねては ただ薫る風の 過ぐ悲しさや 

 形代の 人恋しさは 満たされど 辛き宿世の 道は険しき 

 涼風に 宇治の緑を重ねては 波立つ川の 荒きを思う

 人の世は 川の如くに 過ぎるなら せめて留めよ 可惜夜の月

 

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