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第二帖:輝く日野の宮

 

 深夜3時、まだ世界は闇の中だ。目を覚ますと、山麓の水の段ボールに囲まれた自室ではなく、洒落たホテルの一室で眠っていた。柔らかく暖かい布団に身を包まれ、温もりの中から手を出した。スマートフォンを掴み、時間を確認する。

 こんな時でも体は覚えているらしい。枕元にある電灯のスイッチを入れ、渋々身を起こす。ベッドからはカーテンの閉じられた窓と、クローゼット、立てかけられたビニール傘が見えた。僅かに雨の音がする。リモコンを手に取り、テレビをつける。


 放送終了後のカラーバーだ。チャンネルを変えても、通販ぐらいしかやっていない。荷物の整理をし、チェックアウトできるように準備をした後、洗顔をし、ついでに歯も磨いておく。どうせ出発前にもう一度磨くが、まぁ、口の中は清潔な方が良いだろう。


 そのまま再びベッドに戻り、通販番組をBGMに二度寝をした。

 午前5時ごろ。再び目覚めた頃には、カーテンの隙間から光が差し込んでいた。外の様子を確認すると、ビル群と大きな敦賀駅の建物などが、朝焼けの色に染まっている。


 春はあけぼの。ようよう白くなりゆく、ビル際、少しあかりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる。


 冗談もそこそこにベッドから起きて、朝食を食べるために食堂へ向かう。ビュッフェ形式の朝食がサービスでついている。6時になると、ホテルのロビーに出来た行列が一斉に食堂へ向かうのが面白い。その一方で、朝にチェックインする人の姿もある。この、行列がぞろぞろと連なって進んでいく様子というのは、何とも言えない面白さがある。特に、特別な喜びもないのに行列ができる、開店時間直前特有の気の抜けた雰囲気は良いものだ。何せ、彼らは特に期待も寄せずに待っているのだから。


 さて。私も食堂に入り、お盆とプレート、それに箸を一膳手に取る。ウィンナー、ベーコン、卵焼き、サラダに味噌汁、クロワッサンと少しのご飯。ご機嫌な朝食だ。


 朝食というのは体を起こすために重要なものだ。出勤するにしても、休日を楽しむにしても、朝食あってこそだと思う。堕落した休日を過ごす私でも、朝は無理にでも食べるようにしている。


 まぁ、今日はとても心が凪いでいるので、無理どころか喜びに満ちている。こういう日は不思議とご飯もおいしい。

 朝食を済まし、牛乳を一杯頂いて、部屋へと戻る。6時20分ごろ。出発の支度をするには丁度いい時間だ。


 まずは歯を磨き、次いで着替えを済ます。さらに荷物を纏め、忘れ物を確認する。最後にもう一度忘れ物を確認し、カードキーを取り上げると、暫くしてパッ、と、電気が落ちた。


 今日は旅の目的を果たす日だ。心和むホテルに礼を言って、チェックアウトをした。


 敦賀駅から出ているローカル線に、ハピラインふくいというのがある。敦賀駅からは福井駅まで北上する電車で、今日はこれに乗って旅の目的を果たす。


 喧噪と閑散の中間のような、早朝の駅のホーム。見慣れた電光掲示板を確認し、見慣れない景色が続く中で椅子に腰かける。

 ローカル線は良い。地方ごとに個性がある。どこか古びた風の車体もいいし、新品の車両もまた期待を高めてくれる。

 ハピラインふくいは、ピンクのラインが眩しい端正な顔立ちをした車両だった。電車には表情があって、丸い鼻づらの新幹線も愛嬌があっていいのだが、四角く平たい電車も個性的だ。地元の駅でも、ローカル線を撮影する撮り鉄の方々をたまに目にしたものだが、そういう気持ちはわからなくもない。結局撮らなかったが。


 さて、電車に乗っている間、山や静かな田園、住宅街の景色が流れていくのを眺めた。心洗われる、というよりも、地元で見たような景色もたまにあって、懐かしい気持ちが込み上げてくる。最近は車ばかりで、電車に中々乗れないので、貴重な時間を、通学時のあの読書に当てていた時間を思い出して物思いに耽る。よく寝過ごしたものだ。よく傘を忘れたものだ。よく、駅の待ち時間にパンを買い食いしたものだ。懐かしい思いを巡らせつつ、目的地武生駅へと到着する。駅前すぐにロータリーがあり、その上部には「かこさとし」「いわさきちひろ」のふるさとという看板がある。駅のすぐ近くには大きなスーパーがあり、横断歩道を渡った先には越前市役所がある。そして、バス停には、やはりというべきか、推してある。


 突然だが、2024年NHK大河をご存じだろうか。『光る君へ』と題された、平安時代中期を舞台に繰り広げられる物語である。私はこれが発表された時、飛び上がって喜んだものだ。


 何せ、主人公が紫式部なのである。平安王朝時代、一条天皇妃中宮彰子に仕えた紫式部は、1000年語り継がれる傑作『源氏物語』を著した。物書きであれば、色々な憧れの人がいるものだと思うが、私が二人取り上げるならば、紫式部とヘンリー・ダーガーである。生涯を創作に捧げた人々の原動力とは何だったのか。そんなことを考えさせる、二人の人物だ。

 越前市は、紫式部が平安京を離れ、父と共に一年間を過ごしたゆかりの町である。


 通学する学生と共にバスに乗り込み、駅前の静かな景色を楽しみながら物思いに耽る。

 私と紫式部との出会いは、意外なことだが、『源氏物語』ではない。彼女は『紫式部日記』という作品も残しており、これが私と彼女の出会いだ。

 小学生の頃、歴史の教科書で記号として学んだ紫式部と『源氏物語』それを知っていたとしても、彼女がどのような人物なのかは分からなかった。『紫式部日記』は、中宮彰子が二人の皇子を出産する記録を残した日記で、恐らくは政治的な意図も含めて記された作品である。日記らしい日々の出来事のほか、当時の紫式部の所見を垣間見ることができる覚書のような記録まであり、生の彼女の声を伝えるものだ。

 清少納言『枕草子』が、面白く朗らかな日常の喜びを切り取った随筆ならば、『紫式部日記』は、日常の記録の中に儚さや苦しみ、息苦しい思いや仕事の愚痴をつらつらと綴った日記である。それだけに、内容には結構棘があり、父親に男でないことをがっかりされたとか、重ね着して着膨れしている時に限って公達が会いに来るから恥ずかしいとか、女房に日本紀の御局と呼ばれて陰口を言われたとか、同時代の女流歌人がどうとか、中々シビアな内容がかかれている。

 紫式部の生涯は、挫折と諦観に満ちていて、彼女が見た生き辛い世界の情景に、私は共感を覚えたのである。思えば、学生時代にいじめを受けた記憶が、彼女への筋道を作ったのかも知れない。

 懐かしい思い出を振り返りつつ、バスを降りてしばらく歩く。最初の目的地、紫式部公園が見えてきた。

 季節は少し早いが、藤の花で作られたアーケードを潜り、園内案内の看板を見る。

 ここは、貴族の邸宅である寝殿造の庭園を模した公園で、看板の前からもすでに、朱塗りの平橋が見えている。園内には様々な花が植えられ、季節が来ればそれらが開花して見事な景色になるそうだ。私が行った頃はあまり花が咲いている様子はなかったが、生い茂る緑もまた趣深いものである。


 早速公園内へと入る。まず、平橋と反橋が、中島を繋いでいる様子が見える。まずは外周を散策していくことにした。そうすると、垂れた柳の木が水面を隠すように生えている様子が風流に見える。桜の木は満開とはいかず、生憎の曇り空の中だが、曇り空と池を背景にした柳の木はとても映える。気分よく外周を回っていると、池に突き出して建つ白い建物が見えてくる。


 釣殿だ。

 釣殿とは、池に面して建てられた建造物で、ここから池で舟遊びをしたり、あるいは月を眺めたり、宴会などもする。釣殿前の立て看板には、「土足と飲食と落書きと火遊び禁止!」と書いてある(意訳)。当たり前だよなぁ!?

 早速、釣殿からの景色を堪能する。池に面した文机には、硯と和紙が置かれ、紫式部の歌が書かれている。


『ここにかく 日野の杉むら 埋む雪 小塩の松に 今日や まがえる』


 ここにこのように、日野岳の杉林を雪が埋めようとしております。京で見た小塩山の松にも、今日は雪が降っていることでしょう


 紫式部が暦上に初雪が降ったとされる頃、日野山の様子を眺めながら、京都のことを思って歌った歌だ。紫式部公園から、日野山を望むことができる。美しい池を望む釣殿に座り、物思いに耽る姫の様子が思い浮かぶようだ。

 釣殿の池越しに見える桜の花が、淡いピンク色を覗かせ、これを柳の木が隠すように立つ。御簾越しに花を垣間見るような感覚だ。


 釣殿近くに埋められた梅の花が可愛らしく咲いている。水面の青に、赤の花はよく映えた。


 続いて、寝殿造の建物を模した花壇を回覧する。花壇前の立て看板には、紫式部が著した大著『源氏物語』のあらすじと共に、登場人物に因んだ花が紹介されている。この四季の花壇には、それらの花が咲くのだろう。今は土と草ばかりだが、その時が楽しみだ。


 さらに、寝殿造の中心的な建物である、寝殿を模した基壇を見る。芝の生い茂る基壇は、基礎の遺構のようにも見え、どこか物悲しい雰囲気もある。おごれる者も久しからず・・・。

 寝殿から振り返れば、池と庭園を一望できる。緑の中に赤い反り橋が浮かび上がり、そこを中心として岩肌に隠された遣水の辺りまで見ることができる。まさに、平安時代の庭園がここに蘇ってきたようで、感動を覚える。


 建物を模した花壇群を過ぎると、碑文に囲まれた、金色の紫式部像が建っている。日野山のある方角を見ており、晴れていれば山を望むことができるそうだ。その日は曇り空で、動きの速い雲が山の影を隠していた。ちょうど、日野の杉むら埋む雪のように・・・。


 こうして紫式部像を背にして立つと、越前の国に作られた庭園の、向こう側にある住宅まで、異空間のように思える。不思議な感動を抱きつつ、ついに橋を渡り、遣水を見に行くことにした。


 橋からの景色はまた独特で、特に反り橋は一段視界が高くなるので、遠目に眺めていた木々に僅かに視界が近づく。中島に降りると朱塗りの橋越しに見る景色を楽しむことができ、間近にある彩りのお陰でまた違った趣がある。自然の色とは違い、人工の色が差すことによって、そこに庭園然とした輝きが生まれる。


 最後に、遣水を見て回る。水の流れ落ちる音が涼やかで心地よい。岩肌に隠された水源は、まさに人工の小さな滝で、僅かにくすんだ色をした岩肌が、心を穏やかにする美しさだ。何より、遣水は庭園から隠されていたが、散水栓もついでに遣水の辺りで隠されていて、現実と異空間を隔てる境界のような効果もあった。ここまで興ざめせずに見れたのは、こうして現代的なものを隠したおかげなのかもしれない。



 さて、紫式部公園の隣には、「紫ゆかりの館」という記念館がある。紫式部の生涯と、源氏物語の世界を学べる小さな建物で、入館は無料である。

 入ってすぐに、馨しい香を焚きしめた香りが、どこからともなく漂ってくる。入館後最初の展示は、御簾越しに十二単の人形の後ろ姿だった。紫式部の間と名付けられ、そこで執筆に勤しむ式部の後ろ姿なのだろう。

 壁越しに聞こえてきたのは、越前へ下向した紫式部が、自らの生涯を解説する映像のものだ。順路に沿って進むと、スクリーンの向かいには紫式部の生涯を伝える展示が、奥には越前下向の様子を模した紙人形の展示がある。これを実際に再現したイベントに関する展示もあった。

 ちょっと面白かったのだが、紫式部集などを見ると、夫に対して結構な塩対応をしているのが分かる紫式部が、夫・藤原宣孝への思いが募る様子などを、映像資料が語っていたことだ。実際、平安貴族の姫君は、返歌をする際に結構素っ気ない歌を送っていたりするので、実際に結構好きだったのかも知れない。年齢差は親と子ほどもあるが、二人の夫婦生活は喧嘩しながらも、割と円満だったようで安心した。


 自分がどの姫君タイプか占う展示もあった。ちなみに、私は六条の御息所だったので、友人に生霊を飛ばしておいた。受け取ってくれたかな・・・?


 また、奥の部屋には特別展なのか、六条院の姫君と当時の季節観に関する展示もあった。当時は、春と秋が良い季節だったので、六条院にも、春と秋の館には重要な姫が配されていたのであるが、これに関する展示と、紫式部の父・藤原為時が任ぜられた越前守、いわゆる国府の仕事に関する展示などがあった。


 そして、お土産屋に行く。怒涛の紫式部推し。凄い!そして、土産屋の会計の前に、焼香がされており、建物に入ってすぐに漂ってきた良い香りがこれだったようだ。私には、すぐに土産物を買ってしまう習性があるので、ここでも色々と購入した。


 さて、次の目的地へ行く前に、向かいのギャラリーで切り絵の展示などを見てから、町をのんびりと散策する。


 時間は10時で、帰らなければならない時間まではまだ余裕がある。地元の史跡や記念碑、寺社などを眺めて歩いた。


 越前市は歴史ある古い町だ。紫式部の下向したころには大国に数えられている豊かな地域であった。そんな歴史豊かな町だが、今は閑静な住宅街や田畑に囲まれて、のどかな地方都市の様相を呈している。町の至る所に歴史を伝える者がある反面、地元の方々は普通に散歩をしたり、クッソ可愛い犬を連れていたりする。狭い街路をトラックが通り過ぎたり、ここに雪を捨てるなという雪国ならではの看板があったりもする。


 思うに、越前市は、歴史と共に生きる町なのだろう。同じ長い歴史の町でも、京都などは歴史の中で生きるような町並みで、これはこれで没入感があって良いのだが、先ほどの庭園のようにどこか異境感がある。しかし、この町は、どちらかと言えば町並みの中に歴史を伝えるものが現れるような、生活の中に歴史が息づいた町なのだろう。だから私の様な観光客には魅力的で、日常生活を過ごす人には普通の町に見えるのかも知れない、そんな風に思った。


 さて、次の目的地は武生中央公園である。とても大きな公園で、運動場や広場、諸々のお店などもあるのだが、この場所で、大河ドラマ館の展示がある。既に人の往来も多く、運動をする人の姿も散見される中で、私と同じように観光に来た人が道に迷っている様子なども見ることができる。


 大河ドラマ館の展示は・・・せっかくなので皆様の目で確かめて欲しいのだが、敢えていくつか挙げるとしたら、製作スタッフのこだわりぶりに驚かされたというのがある。特に、俳優自らが手掛ける文に対する関係者らのこだわりは凄まじく、人物のイメージに沿いながらも「作られた文字」にならないようにという、まさにプロの本気を垣間見ることができる。また、各演者のコメントや、衣装・小道具の展示もあり、興味深い展示となっている。

 演者のサインなどもあって、特に道兼役の方のサインは必見である。


 そういう訳で、合計で二日間、福井県を旅したわけであるが、帰り道に敦賀駅に戻り、美味しいご飯を食べて旅の結びとした。皆様ももし機会があれば、たまには遠出してみてはいかがだろうか。


旅の歌


空低し雨後にたなびく畝雲や少女おとめ眺めし雪化粧かな


紫の館に薫る香の香の在処を探す心は匂う宮


惑うほど瞬き光る玉の緒よ千年の心なお語り継げ


白露に濡るるまひろの埋めし梅光る君へと匂い届けよ


猶予なく新幹線は敦賀発つ旅の名残りも夢浮橋

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