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第一帖:出不精、敦賀に立つ

 

 その旅は、嵐と共に始まった。無軌道・無目的の旅の目的地は、福井県は越前市。その拠点はここ敦賀。古くは日本書紀に記される仲哀天皇にまで故ある歴史の町だ。若狭湾を望む港町で、平安時代には越前国として、日宋貿易で栄えた。江戸時代には北前船の寄港湾として北方貿易の中心地として繁栄する。古代日本から南北朝時代の中世期、太平の世を支える商いの中心地として近世に至るまで繁栄を続けた、歴史の都。


 それだけに、JR敦賀駅周辺には見るものがたくさんある。それこそ挙げればきりがないくらいだ。


 しかし、生憎の雨。とてもではないが名勝気比の松原を見に行ける様子はないし、外で吹き付ける風に当たりながら幾つも寺社仏閣を巡るのは厳しい。出不精旅の十八番『巣籠』を見せる時だろうか?


 いや、大枚をはたいてここまでやって来たのだ。新幹線にぃ・・・乗ろうと思ったけど、金額に目玉が一周回って長時間かけて在来線でやって来たのだから、何かしらの観光地には行きたいところだ。


 そうだ、敦賀と言えば、気比神宮があるではないか。日本人らしく気比大神にご挨拶をし、天気を晴らして貰おうではないか。

 というわけで、敦賀駅を出て第一に目指すのは気比神宮ということになった。そして、駅舎を出るとすぐに姿を見せる福井大学をカメラに収め(大学は一番楽しかったので思い出深い。全く関わりのない大学ではあるが。)、駅前のホテルでチェックインを済ます。そして、いくつも像が並ぶアーケード街へ繰り出した。

 像を撮影し、母に送る。『宇宙戦艦ヤマト』や『銀河鉄道999』の名シーンを象った像で、多くの人が通る敦賀最初の撮影スポットだろう。母からアニメに関する蘊蓄がSNSを通じて流れてくる。凄い!ちなみに彼女は少女時代に男の子向けアニメをたくさん見ていたらしい。なので、割と最近のアニメに至るまでとても詳しい(百合アニメも見る)。


 アーケード街で結構な時間をすごすと、ちょうど昼食時になったので(長居しすぎである)、地元の魚料理を堪能した。鯖の浜焼き御前だ。脂がのって美味しい。窓はバタバタ音がするし、観光地なので平日でも昼食は混み合う。隣の客も次々に入れ替わる中で、綺麗に鯖を平らげた。

 さて、いい加減ご挨拶に伺わなければと席を立つ。傘が役に立たないほどの強風が吹きすさぶ中、屋根があるのは大変歩きやすい。雨に打たれることなくのほほんと道を歩いていくが、ふと、気が付いた。



 迷った・・・。



 嘘でしょ、定期的に地図アプリ見てるんですけど?出不精の妙技『全路大迷宮』である。自分がどこで曲がったのかも分からぬまま、アーケードも無くなって蝙蝠傘を差しながら彷徨う。


 すると、明治時代の趣を残す見事な建物が目に飛び込んでくる。



 もう、先にここでいっか・・・。



 というわけで、明らかに素敵な建物の看板を見ると、そこは敦賀市立博物館。図らずも目的地の一つであった。

 先述の通り、敦賀は若狭湾を望む北方交易の中心地である。江戸時代には北前船貿易で栄えた。明治期に鉄道の敷設を経て、再び近代港湾都市として発展していくこととなる。この敦賀市立博物館は、そんな明治期の発展期直前に設立された旧大和田銀行本店本館に作られた。敦賀の、それこそ日本書紀の記録に残す時代まで遡る歴史を伝える品々が納められている。

 そんな収蔵品は是非その目で確かめて欲しいのだが、何を隠そうこの収蔵品の中には、円山応挙の『狗子図』があるのだ。それが何かって?クッソ可愛いわんこの絵だよ!!


 経緯は省くが、このクッソ可愛いわんこの絵は、インターネットでも話題に上がる素敵な絵で、この目で拝めるならこの上ない至福である。是非見たい、今見たい、ずっと見ていたい。

 どうやら三階で運よくコレクションが展示されていたらしく、子弟のまんまるわんこたちの絵をこの目に収めることができた。いやクッソ可愛い。


 もちろん、内装の方も見物だった。建物は明治維新の風を感じる見事な西洋式建造物で、外装も勿論一際目立って美しいのだが、中は格別だ。一階には公開された大金庫がある。重厚な黒い金庫とそれを守る金庫室は、いかにも厳かで、この建物が銀行として大きな役割を担ってきたことを窺わせる。上部には密閉された大扉が開かなくなっても脱出できるように小さな黒い扉がもう一つある。これも光沢のある重厚な作りで、その佇まいは大金庫に引けを取らない。ロビーから階段を上がる部分も展示されていたが、これは登ることができない。赤絨毯まで敷かれてとても豪華なので、是非皆さんにも見て頂きたいところだ。


 現実に引き戻すような、現代的なエレベーターのある側から二階に上がると、貴賓室がある。広々とした優美な内装で、床に敷かれたいかにも豪華な絨毯の煌びやかな様は、明治時代のこの店の繁栄を思わせる。長机の周りに並ぶ肘掛椅子も見事で、きっと座り心地は最高だろう。入ってはいけないけれども。


 ところで、建物に入ってから気になっていたことがあった。窓を包む黒い鉄扉だ。当時の復元らしい電灯で灯された建物内は非常に明るかったが、外の光は敢えて遮断しているようだ。その秘密が、三階展示室で明かされる。どうやら元からある防火用の扉らしく、現在は収蔵品を保護するために応用されているらしい。古い時代からある設備が、現在まで役に立っているというのは、とても嬉しい。何せ、日本は災害の多い国。地震が起きやすいし、津波も起こる。宝物珍品の数々は、火災をはじめとする多くの災害に晒されるリスクがあるのだ。それだけに、現存する明治の建物自体貴重であり、その上これが役に立っているとなると、胸に熱いものが込み上げてくるのだ。


 さて、先ほど何気なく現代に引き戻されるエレベーターなどと宣ったが、この銀行には、初期からエレベーターが設置されていたらしい。これが展示されている。日本製の初期のエレベーターである。何という貴重なことか。見れば、それは確かに明治時代に出来たらしい古風な外観で、これがまた何とも言い難い魅力がある。ワイヤーまで残っており、巻き上げ装置とともに展示されている。機械好きにはたまらない展示だ。諸兄にも是非とも、ご観覧いただきたい。



 名残惜しい思いもあるが、情緒あふれる敦賀市立博物館を後にしなければならない。気比神宮に参拝しなければならないからだ。

 でも、もう一つ寄り道をしてしまった。この建物の隣にあるみなとつるが山車会館。気比神宮例大祭で使われる、力強く逞しい山車(だし)達が展示されている。また、これに用いられた人形用の道具や、その歴史を伝える展示が残されている。上から山車を観覧することができ、その圧巻の迫力に目を奪われることになるだろう。

 建物自体はごく小さく、展示も比較的小規模だが、映像を生かした展示が見事で、こればかりは現地で見てもらうよりほかない。敦賀市立博物館はその建物自体がすでに重要文化財であり、そこにいるだけで雰囲気に飲み込まれるのだが、こちらは展示物の数よりも、実際に使われていた山車や面を見て、例大祭を思い起こさせる展示内容だった。山車の作りも地元の歴史に因んだもので、『祭り』という文化が連綿と引き継がれ、現代に歴史と文化を繋いでくれることを改めて思い知らされる。

 ちなみに、別館には、テレビの企画か何かでやっと開いた開かない金庫を見ることができる。とにかく開けたいという悲願を感じさせる、何とも言い難い可愛らしい展示だった。

 この別館、北前船の展示から始まるのだが、これがまた見事で、これが大学で講師に習った北前船の勇姿かぁ!と感動を覚えた。


 やはり博物館は良い・・・。展示物は多くはないが、最高の余韻に浸りながら、いい加減待たせてはいけないのだが、気比神宮へご挨拶に伺う。これだけ待たせると却って嵐を呼びそうだが、その時も風は激しく吹き荒び、散歩中の犬に蝙蝠傘を前にして吠えられたりしながら、ちょっとしょんぼりしつつ名高き気比神宮へと至った。


 突然だが、松尾芭蕉をご存じだろうか。江戸時代、元禄文化を支えた俳諧松尾芭蕉は、代表作『おくの細道』にて、最後の旅行記を記している。巡る月日は生涯旅を続けるが、松尾芭蕉もまた、武蔵国を立ち、平泉を巡り、美濃国は大垣に至るまでの長い旅を続けた。この旅の最中、彼は越前国気比神宮を参拝している。その見事な月を見て、一首を呼んだ。この記録が、気比神宮の境内に記念碑として残されている。


 旅行先に行けばだいたい松尾芭蕉と出会うと言って良いほど、彼の旅程は広い。出不精の私でさえ彼と出会うのは二度目である。


 そんな芭蕉像に、「また会いましたね」などと挨拶するのも悪くないだろう。名高い朱塗りの大鳥居を潜って、いざ、参拝だ。


 寺社仏閣というのはとにかく美しい。豪華絢爛というわけではないが、均整の取れた作りがどこも見事で、とりわけ神社は鳥居の先に異境を思わせる。聖域である。道の中央を歩くことなど言語道断だ。

 この、鳥居をくぐるという行為でさえ心引き締められるのであるが、日本三大鳥居に数えられる名高い大鳥居は、それは見事で、小さな私が通ることさえ憚られる。とはいえ、神に挨拶しないわけにはいかないし、というか既に後回しにしてしまったわけである。私は畏れ多くも見事な大鳥居をくぐった。


 境内に入ると、南北朝時代に足利尊氏と対立する後醍醐天皇側が、戦勝を祈願したという松の跡が保護されている。現在は枯死したこの松の側には、それを受け継ぐ松が聳え立っている。歴史の敗者たちは記録に残らない。だが、痕跡だけは確かに残る。様々な遺構には、現実の彼らが残されているのだ。そのような逸話が残されている足跡を辿るのは、旅の醍醐味だ。

 少し話は変わるが、『正史』の絶大な力に対して、『物語』が持つ絶大な力があるとすれば、それは語り継ぐべき勝者たち以外の歴史が綴られることだろう。私はそんな風に思う。事実と正史は必ずしも一致しない。だが、勝者が歴史を作るのは避けようがない。そんな時にも、物語は力を持つのかも知れない。私はそんな風に思う。

 さて、気比神宮へと参拝し、ご挨拶と共に二礼二拍手一礼をする。旅の良いご縁にも恵まれて、参拝客の御二人と仲良く参拝することができた。こうした神社仏閣については、御年を召した方は非常に詳しい。その方も、気比神宮についていろいろと教えてくれた。古くから開かれた海路であった敦賀の若狭湾は、朝鮮半島や中国への出入り口として、長らく利用されてきた。その歴史が、古より伝わる気比神宮の歴史でもある。そして、気比神宮の歴史が、山車の歴史へとつながる。旅をする時に、足跡は連続するように、歴史はどこまでも繋がっていく。朱塗りの美しい神宮の歴史を、看板を読みながら学ぶ。これ以上の幸福があるだろうか。


 背後で、じゃらじゃらと大量の小銭が賽銭箱を流れていく音が響く。思わず共に参拝した御二人と振り返った。大きな袋(財布とかそういう規模のものではない)をくるくると丸める参拝者の方がいた。


 私5円しか入れてないんだけど・・・。

 何となく罪悪感を覚えるような、一日目の締めくくりだった。



 荒れ狂う風に傘を向けながら、先んじてチェックインを済ませたホテルに戻る。受付にいる羊のマスコットが愛らしい。実家の様な安心感とはまさにこのことだ。ロビーで談笑をする方々の服装はスーツで、どうやら出張中のようだ。ロビーにはコーヒーサーバーが置かれており、自由に飲むことができるようだ。こういうちょっとしたサービスが、ホテルの心地よさの秘訣だろう。


 さて、夕食をどうするか。ホテルの隣にはコンビニがある。そこで買ってきてもいいが、味気ない。私は、お土産を部屋に置くと、そのまま駅前へと繰り出した。

 これだけ大きな駅だから、食べるところには事欠かない。昼食も駅から(普通なら)5分くらいで着くようなところだ。

 そう言えば蕎麦屋があったな。福井県なら越前蕎麦が有名だ。早速そこを目的地と定め、町へ繰り出して行く。


 相変わらずの悪天候だが、日中と比べれば随分と小雨になった。有難いことに、早速御利益があったらしい。


 さて、蕎麦屋に着き、温かいとろろそばを注文する。この旅で、個人的に驚かされたのだが、敦賀駅周辺の飲食店は、呼び鈴を使わずにタブレットで注文が取れる店が多いようだ。ハイテクになったものだなぁ、などと物思いに耽りつつ、しっかり手を拭いた。


 お茶が美味しい・・・。一日風に晒されていただけに、この一杯の安堵感は途轍もない。心を満たす一杯に感謝しつつ、手持ち無沙汰にタブレットのメニューを眺めた。

 蕎麦や地酒がメニューに載っている。長芋矢大葉の天ぷらも食欲をそそる。とても良い。


 さて、注文したとろろそばが来た。立ち昇る湯気に顔を近づけ、眼鏡越しの視界が真っ白に染まるのを喜ぶ。しなやかなそばに薄いきつね色のつゆ、真っ白なとろろは雲のようだ。

 我が国には砂で水面を表現する枯山水がある。枯山水は室町時代以降に隆盛を迎え、河川を用いずに砂利に箒目をつけることによって、波打つ水面を表現するが、ちょうどそのように、蕎麦の麺は波打つ水面を表すように見える。波がうねりぶつかるかのように、静謐な露の中で麺が波を表すようだ。


 名物を啜る。いやぁ、優しい。昼食は脂の乗った見事な鯖だったが、そばはお腹に優しい。つゆも繊細な味付けで、どこまでも体を労わってくれる。つゆを飲むたびにとろろが流れ込んできて、ひんやりした感触と綿のような舌触りを楽しませてくれる。ここに緩急をつけるなら、天ぷらを頼めばいい。ざり、と音を立てる気持ちの良さを体感できるだろう。


 蕎麦はするすると喉に馴染んで、すぐに完食してしまった。時間と金額という意味では、コスパはあまりよくない。ただ、腹が満ちる満足感というのは、何事にも代えられぬ喜びである。


 ホテルに戻り、風呂へ入る。混雑する時間を避けて、可能な限り迅速に出る。これは、他人に裸を見られたくないという私なりの恥じらいではあるのだが、何というか、温泉などにゆっくり浸かるには多少ノイズになる気もする。ただ、他人を気にしないというのができないのが性なのだと思う。


 部屋に戻る前に、自動販売機でカフェオレを買って飲んだ。本当はコーヒー牛乳が良かったのは秘密だ。基本的にコーヒーはブラックで飲む私にとって、カフェオレは少々甘い。ただ、風呂上がりの目も覚めるような温もりの中で、冴え渡る苦みというのはあまり馴染まないように思う。

 カフェインを過剰摂取ぎみの私は、今夜はコーヒーを楽しめそうにない。そう思って立ち去る際に、コインランドリーの併設する一室に、酒の自販機があることに気づいた。

 ホテルなので、それ自体は当然なのだが、私は、実は酒というものを飲んだことがない。不味いとかそういうのではなくて、幼少期から持病があったので、それがぶり返しはしないかと思って、酒とたばこは一度も嗜んだことがない。正直たばこについては、このご時世だし、熱そうだし、殆ど税だしで、あまり興味もないのだが、飲み会では介助役に徹するというのは、時に損をした気分になる。


 酒に酔うとはどのような感覚だろうか・・・。


 ちょっと興味が湧き、後は寝るだけだしと思って一缶買ってみることにした。取り敢えずビールでも。


 エレベーターを待つ間、宿泊客がこちらの手の中をちらりと一瞥する。私は背が低いので、多分学生に見えたのだろう。別に悪さをしているわけでもないので、そのままエレベーターに乗り込んだ。


 部屋に戻る。テレビをつけて、ローカルニュースの番組を見ていた。天気予報が福井県のことを伝えているのが面白い。なんてことはないが、ここが普段と違う場所なのだと思わせてくれるのだ。


 煎餅布団ではなく、ふかふかのベッドに腰を下ろす。体全体を包み込んでくれるような柔らかさ。そのまま眠りに落ちてしまいたいほどの幸福だ。


 さて、机の上には一本のビール。天気予報も終わり、当たり障りのない番組が流れ始めたので、鏡台に掛け直してビール缶のタブに爪を立てる。


 シュゥゥ、と、炭酸の蓋を開けたような気持ちの良い音が響き、口に少しだけ泡が溢れる。僅かな緊張感と興奮。缶を傾け、ビールを喉に流し込んだ。


 僅かな苦みと、弾ける泡の感触が喉を通り過ぎる。ぐび、と喉仏が鳴り、酒が降っていくのを感じた。


 微妙。


 というか、良く分からない、というのが感想だった。お酒が美味しいという手応えもなく、アルコールが巡っているという手応えもない。鏡を見るとちょっと顔が赤くなっていたので、多分アルコールは摂取しているのだろうという程度だ。

 こんなものか、と思いつつ、ビールを飲む。そして、突然仕事に関する不安が脳裏を過った。


 休みが明けると、どんな嫌なことが待っているのか、とか。この時間に、他の人が働いているのか、とか。閑居が思考を現実へと引き戻す薄気味の悪い感覚に陥り、突然重苦しい思考が頭の隅々を巡る。


 寝てしまおう。この、酔った勢いのままで。僅かの閑居もないほど慌ただしく、思考をシャットアウトしよう。


 午後9時。驚くほど素早く微睡の中に落ちていった。


旅の歌


鉄錆びし屋根のホームの手遊びに見し田園に故郷を思う


wikiに見し音にも聞きし松原を間近に見れぬ口惜しさかな


いにしえの氣比の御舟を収めける古き金庫はいまや財宝


勇ましき鉄扉が囲う商館や久遠に守れ美しきままに


戯れる絵画の中の狗子どもを愛でる心は今も昔も


いそのかみ降る雨風を鎮めよと氣比の鳥居を祈りて潜る


賑やかに稚児らの運ぶ山車の画を割りて繰り出す山車の躍動


雨樋を打つ音に醒む微睡みの供に爪弾く麦色のタブ

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― 新着の感想 ―
情景的で素晴らしい一作です。敦賀の各所やホテル内を旅しているかのような気分になります。各所の歴史的な背景までくまなく示されていて、時間軸の旅にも引き込まれていきます。 コーヒー牛乳とカフェオレ(ca…
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