九十三話 神々の御心とよくあること
※建造物損壊は犯罪です。
この物語内以外では、許されない行為です。
なお、この物語内での扱いに関しては、今話にて。
――見事に陥没した壁を、再度見やり。
「い、今まで壊れませんでしたよね!? 神殿内はすべての神々に護られていると、本でも読みましたのに!?」
あまりの状況に、現状を理解した瞬間に叫んでしまった。
神殿は、神々の守護により攻撃魔法などは壁や床に当たる前に、消滅する……はずで、少なくともつい先ほどまでは確実にそうだったのだが。
――星魔法は、すべての存在に干渉する。
そう、大老アストリオン様に教えていただいた言葉が脳裏をよぎり、ようやくその真の意味を理解した。
つまりその干渉とは、生き物だけではなく無機物にさえ可能だったのだ……!!
だからこそ、現状の通り神殿の壁が壊れているのだということを、遅まきながら納得する。
……いや、のんきに納得している場合ではない!!
タッと床を蹴り、一足跳びにたどり着いた蔓の扉を急いで開く。
さっと見回した広間の中は、おそらくすでに異変に気づき、神官さんたちが精霊神様の神像近くに集まっていた。
その集団に視線を注ぎ、真っ先に視線が合ったロランレフさんへと、思わず声を飛ばす。
「ロランレフさん!」
『ロストシード様! 何かございましたか?』
お互い珍しく緊迫した声音を張り上げているのには気づいたが、今はさすがに優雅さを気にしている場合ではない。
バッと腰を折り、深く頭を下げて、心底からの謝罪と簡単な状況説明を叫ぶ。
「本当にすみません!! お部屋を……壊してしまいましたっ」
とたんに、ざわりと神官のみなさんの動揺した声音が広がった。
……正直なところ、いまだにことをおこなってしまった私自身でさえ、現状に困惑しているのだから、これは無理もない。
いつも神殿内でお勤めされていらっしゃるみなさんの信心深さと誠実さを思うと、想定外とは言えお祈り部屋を壊すという不敬をしてしまったことを、本当に申し訳なく思う……。
星魔法の本質に気づかなかった後悔と、神官のみなさんと精霊神様への不敬に対する反省が、胸中を満たす。
複数人の足音が近づいて来ていたが、頭を上げるのも失礼に感じ、そのままの姿勢から動けずにいると――背中にそっと、あたたかな掌が触れた。
『大丈夫、大丈夫ですよ……お顔を上げてください、ロストシード様』
二度、三度と優しく撫でる掌と、あたたかに紡がれたロランレフさんの声音に、ゆっくりと顔を上げる。
普段よりはいささか緊張した面持ちで、それでもやわらかな微笑みと翠の眼差しを注いでくれる姿が眩い。
『しーどりあ、わるいこじゃないよ!』
『ぼくたちも、びっくりしたの!』
『れんしゅうしてただけだよ!』
肩と頭の上で、小さな三色の精霊さんたちが必死に紡いでくれる言葉のありがたさに、じわりと視界がゆらぐのを、まばたきで払う。
こんなところで、涙もろい一面を出している場合ではないのだ。
そろりとうかがったロランレフさんは、ふわりと微笑みを深めてうなずく。
『はい、心得ておりますよ。神官一同、驚いてはおりますが……ロストシード様が意図的に破壊行為をおこなうなどと思っている者は、一人もおりません』
驚きを宿してなお、やわらかに紡がれたロランレフさんの言葉に、近くにいる他の神官さんたちも数度うなずいて同意を示してくれる。
精霊のみなさんも神官のみなさんも、本当に心優しく聡明な方々だと、じぃんと感じ入ってしまう。
きっと今の私の表情は、申し訳ないのに嬉しくて泣きだしそうという、微妙なものになっているに違いない。
きゅっと口元を引き結んでいると、ふふっと軽やかに小さく笑ったロランレフさんが、翠の瞳を細めて紡ぐ。
『そう心配なさらないでください。……そちらの部屋の確認を、させていただいても?』
「――はい。ご確認、よろしくお願いいたします」
あたたかな優しさに、息を吸い込み、はっきりと答える。
私の返事に、近くにいてくださった他の神官の方々がすぐに小部屋の中をのぞきこみ、一様にそれぞれの瞳を見開いた。
幾人かの視線がロランレフさんに向き、その視線に応じるようにしてロランレフさんも小部屋の中を確認して、やはり翠の瞳を驚きに見張る。
『これは……しかし、神々の力で護られたこの場を壊すことが可能な魔法、と言いますと……』
零されたロランレフさんの言葉に、反射的にまずい、と思ったものの、それよりもここは素直に伝えたほうがいいだろうと思い直し、小さく紡ぐ。
「……星魔法、です」
紡いだ答えに、再び神官のみなさんに動揺が走った。
『それはそれは……』
ロランレフさんも、戸惑ったような声音でそう零す。
互いを見合い驚く様子に、流れもしない冷や汗をそこはかとなく感じる。
……やはり、星魔法のことを伝えるのはまずかったかもしれない。
しかし、この場で誠実に答えないという選択が、私の中になかったのも事実だ。現状ではどうしても、誠実に伝えたかった。
そわそわとしはじめた精霊のみなさんをちらりとうかがいつつ、神官のみなさんの様子を静かに見つめていると、眼前に戻って来てくれたロランレフさんが淡く微笑む。
『でしたら、お気になさらないでください、ロストシード様』
「えっ!? で、ですが……!」
唐突にゆるく頭を横に振る動作と共に告げられた言葉に、とっさに気にしないわけにはいかないはずだと声を上げかけるが、そっと上がった手に制される。
今度は私が驚きに緑の瞳を見開くと、ロランレフさんは変わらないやわらかな微笑みをうかべたまま、口を開く。
『このようになったこともまた、神々の御意思なのですよ。神々の許しなく、このようなことは起こり得ないのです。ですので、ロストシード様がお気になさる必要はございません』
「そう……なのです、か?」
『はい』
優しい声音が紡いだ説明に、半ば呆然と問いを返す。
――神々の、御意思。
それがどのようなもので、どれほど大地に影響を及ぼすものなのかは分からない。
けれど、つまりは私がうっかり星魔法でお祈り部屋を壊してしまったこと自体、許されていたからこそ出来たことだった、と……?
それならば先の一件は、事故ではなくただの貴重な体験ということになってしまうのではないかと、思うのだけれど。
『しーどりあ、いいこだもんね!』
『かみさまたち、いいこすきだよ!』
『いっぱいあそんでいいってことだよね!』
『はい、そのような解釈で、おおむね相違はないかと』
――その解釈で相違ないのですか!?
思わず、脳内でツッコミがほとばしる。
三色の精霊のみなさんの言葉に対する、ロランレフさんの返答があまりにも穏やかで、ぱちぱちと驚愕のままに瞳をまたたく。
しかし、これでようやく答えが見えた。
神々の御心が深すぎて、さすがに今回は想像が至らなかったが……要するには、今回の一件は不敬ではなかったということだろう。
反射的に、ほっと零れた安堵の吐息に、『そういえば』とロランレフさんの声が重なる。
何やら一瞬、耳飾りに視線が注がれ、
『うわさでは、かの大老アストリオン様も、ロストシード様と同じように星魔法で部屋を壊したことがあるとか』
「え!? アストリオン様もですか!?」
ふわっと世間話のような軽やかさで紡がれた、とんでもない情報を宿した発言に、再三の驚愕が言葉となって口から飛び出た。
瞬間、察する。もしかすると今回のような一件は、星魔法のとんでもなさを真実、実感するための通過儀礼のようなものなのかもしれない、と。
……いや、そのような通過儀礼は、ご許可をくださっている神々はともかくとして、神殿と神官のみなさんにはやはり失礼な気がしてならないのだが。
――星魔法、やはり怖い。おもに、油断大敵にもほどがある、という意味で。
知識というものは本当に大切なのだと、今回つくづく思い知った。
ふっと視線が彼方へと飛びかけるのを、かろうじて抑える。目の前に立つロランレフさんの眉が、少し下がったのが見えたから。
何事だろうと視線を合わせると、ややためらうような仕草と共に、言葉が紡がれた。
『ただ……今後は、かの魔法の練習をこの場ですることは、できるかぎりは控えていただきたく……』
「確約いたします!! 二度とかの魔法は神殿内では使用いたしません!!」
しごくもっともな願い出に、間髪入れず返事をする。
勢いあまって声量が大きくなったが、これは私の決意の表れなのだと、きっと神官のみなさんは分かってくださることだろう。
ふわりと微笑んだロランレフさんは、ゆったりとうなずいてくれた。
『はい、よろしくお願いいたします』
「はい!!」
凛と響かせた声に、いつの間にか入っていたお祈り部屋から出てきた他の神官さんたちも、優しげに微笑んでくれる。
つづけて、ロランレフさんが紡いだ。
『それと、かの魔法以外の魔法では、どれほど強大な魔法……たとえ、古代魔法だとしましても、神殿内を害することはあり得ません。安心して、魔法の練習にはげまれてください』
「え……お部屋の中での魔法の練習は、つづけてもよろしいのですか?」
さらっと紡がれた言葉に、思わず真剣な表情で問いを返す。
星魔法以外の魔法も練習していることに気づかれていた驚きと、その練習をつづけても良いという言葉への疑問が混ざった。
私の複雑な心境を秘めた問いかけに、ロランレフさんは穏やかに返事をくれる。
『はい。部屋で魔法を練習すること自体は、皆さまよくなさることですから』
――まさかのよくあることだった!!
今度こそ、片手を額に押し当てる。
誰しも、考えることはみな同じ、ということか!
ほのぼのとしたやわらかな視線が、幾つも注がれているのを感じ、一周回って納得する。
つまり、お祈り部屋で魔法の練習をすることなど、神官のみなさんにははじめからお見通しで、分かった上で今までも歓迎してくれていた、ということなのだろう。
『壁ももう元通りですので、この後も自由にご利用ください』
「あ、ありがとうございます……!」
かけられた穏やかな声音に、ぱっと顔を上げて感謝を伝える。
どうやらお祈り部屋の壁は、ロランレフさんと話している間に、他の神殿の方々が直してくださったようだ。
無事に直すことができて、本当に良かった……!!
重ねて他の神官のみなさんにもお礼を告げ、改めておそるおそるお祈り部屋へ。
ひび一つない、美しい白亜の壁にほっとしつつ、いつの間にか切れていた《祈り》をかけなおして、精霊神様への感謝を深く捧げる。
とんでもない事態が、実際はご許可の上の出来事だったことを知り安心はしたものの、どっと押しよせてきた疲労感に、今回は他の二柱の神々へのお祈りは保留にして、足早に神殿の入り口へと向かう。
神殿を出る前にもう一度深々と丁寧に、神官のみなさんへと一礼をおこない、すっかり朝になった外へと踏み出した。




