八十六話 夕陽の森でクマさんと
※戦闘描写あり!
周囲に他のシードリアのかたがいないことをいいことに、ぐっと思いきり伸びをして、集中のつづいた細工作業での疲れを飛ばしていると、頭の上に乗っている小さな風の精霊さんが、ぽよぽよと跳ねながら声を上げた。
『しーどりあ! つぎはなにをするの~?』
「そうですねぇ……。軽く身体を動かしたい気分ですので、少し狩りをしに行きましょうか」
『かりだ~!』
『おてつだいする~!』
「えぇ、よろしくお願いいたしますね」
水と土の精霊さんたちが、元気よく上げた声に応えつつ、広場と神殿を過ぎて、まっすぐに森の中へと入っていく。
ウルフたちとたわむれるのも良いが、散歩も兼ねて今回は他の魔物を探してみよう。
運動と称して、〈オリジナル:敏速を与えし風の付与〉をかけてある脚で森の中を駆ける。
巨樹が流れていく光景は、何度見てもやはり爽快で、自然に口元に微笑みがうかぶ。
そうして森の中を駆け、以前巨樹の洞に眠るアースベアーを見たあたりまでたどり着いた。
一度足を止め、夕陽色の木漏れ日がかすかに射し込む周囲を見回してみるが、目視できる距離には茶色の姿は見当たらない。
――ならば、こちらから探し出すまで。
好奇心のまま踏み出し、足取り軽やかに奥へと進んで行く。
もし目視できなかったとしても、おそらくは昨日習得したスキル《存在感知》が敵の存在を知らせてくれるはずだ。
不安なく、しかし油断はせずに足を動かす。
しばらく進むと、立ち並ぶ巨樹の幹に、なにやら鋭いものでつけられた痕が目立ってきた。
いよいよアースベアーのなわばりに、近づいているのだろう――そう思った時だった。
軽快に進む歩みを、ふと前方に不穏な気配を感じ、ピタリと止める。
夕陽が木漏れ日となって、鮮やかに降り注ぐ森の中。
前方の巨樹のそばから、のそりと巨大な姿が起き上がるのが見えた。
魔物図鑑に記録されていたアースベアーよりも、どう見ても一回りか二回りは大きな茶色の巨躯。
橙色の光に照らされ、黒曜石のように艶やかで鋭い長い爪が、凶悪に煌く。
記憶の中、魔物図鑑に記されていた情報と照らし合わせたその魔物の正体は……アースベアーの上位種、より強き個体である、キングアースベアー!
さっと満ちた緊張感に、小さな三色の精霊さんたちがしがみつくように強くくっついてくる。
のそりと巨体を起こしている相手の動きに、慌てず両脚にまとう風の付与魔法の隠蔽を解き、かわりに無詠唱で発動した〈オリジナル:風まとう氷柱の刺突〉の氷柱を隠す。
ゆっくりと向けられた赫い炯眼に、あえて不敵な微笑みを返し――戦闘の幕を上げる。
『グルルルル……』
低い、地の底から響くようなうなり声に、先手必勝で氷柱を放つ。
隠された氷柱が五つ、茶色の巨体へと迫り――ガキィン! と響いた音と共に、砕け散った。
『ささらなかった!』
『くだけたよしーどりあ!』
『わわっ!』
「大丈夫ですよ、みなさん」
三色の精霊さんたちが焦りを宿した声を上げるが、これは想定内。
ぷるぷるとふるえる、小さなみなさんを安心させるためにと、意識して穏やかな言葉を返す。
記憶の中の魔物図鑑にはしっかりと、キングアースベアーの体毛は石のように頑丈だと書かれていた。
さきほどの氷柱の攻撃は、その硬さを確認するための一手。
この一手で、〈ラ・フィ・フリュー〉を展開していてなお、無詠唱で発動するオリジナル魔法……風の魔法で速度を上げた氷柱の魔法でさえも砕く防御力を有していることを、確認できた。
当のキングアースベアーは、先の攻撃もなんのその。眼前でこちらを睨みつけるだけで、突撃してくる気配もない。
氷柱の攻撃ていどでは、脅威にはならないと思っている、といったところか。
――であれば、こちらも遠慮は必要ないだろう。
「〈ラ・シルフィ・リュタ〉!」
滑らかに素早く、詠唱を紡ぐ。
とたんに、前方の空中にぱっと現れた小さな風の精霊さんたちが、キングアースベアーへと向けて、幾つもの銀色の刃を煌かせた。
放たれた風刃は一瞬でその巨体へ届き、しかしやはりキキンッと響く音にともない、弾かれてしまう。
……どうやら今回の戦いでは、精霊魔法でさえ有効となる一撃を与えることが、難しい可能性が出てきた。
のそり、と一歩を踏み出した巨体に、即座に地を蹴り後方へと飛び退る。
魔法使いたるもの、敵との距離には注意しておかなければ。
オリジナル魔法も精霊魔法も効かない敵に、油断はできない。
とは言え、このような状況ははじめてで、少々攻めあぐねているのも事実。
「……さて、どうしたものでしょう」
思わず小さく呟くと、まるでそれを合図にしたかのように、勢いよくキングアースベアーがこちらへと向かって走り出す。
とっさに、〈オリジナル:大地より突き刺す土の杭〉を発動。
地面から突き出した土の杭が、茶色の巨体と拮抗し、一度その身をのけぞらせることに成功する――が。
『グルルゥ!』
地響きのようなうなり声と共に、長い爪が風切り音を連れて振るわれ、土の杭はバキィンと派手な音を立てて裂き砕かれてしまった。
キングアースベアーは、土属性……土の魔法では拮抗はできても、攻撃に転じることまでは、できないようだ。
唯一さいわいな点は、キングアースベアーの動きがウルフたちよりは遅いものだということ。
近づいてくる巨躯はさすがに迫力があるが、攻撃が当たらないように立ち回ることさえできれば、いずれ突破口は見えてくるだろう。
再び動き出した姿に、斜め前方にある巨樹が伸ばす高い位置にある枝へと軽やかに跳躍し、距離を取る。
振り向いた赫い瞳が、ギラギラとこちらを睨みつける様子に、負けじと不敵な笑みを返す。
さあ――仕切り直しといこう。




