七十二話 予想外だったらしい件
水色に澄んだ空から降り注ぐ、陽光に瞳を細めつつ、土道をゆっくりと歩む。
朝になったのであれば、できることが格段に増えるのだが、まずは。
「近くにいらっしゃいますから、お次はシエランシアさんにウルフ討伐のご報告をしに行きましょうか」
『は~い!』
『ほうこく~!』
『だいじ~!』
「えぇ。うっかり忘れてしまう前に、終わらせておきましょう」
元気よく声を上げる精霊のみなさんに微笑み、広場へと向かう。
精霊のみなさんと軽く戯れながら進み、すぐに見えてきた広場へ視線を向けると、二人だけ他のシードリアのかたが魔法の訓練をしている様子が見てとれた。
邪魔をしないよう静かな足取りで、お二人の様子を眺めているシエランシアさんの元へと歩みよる。
ちょうど今の朝の空に似た、空色の瞳がこちらを向き、フッと不敵な笑みがかっこよくうかぶ。
左手を右胸に当て、まずは優雅に朝のあいさつから。
「よき朝に感謝を」
『よき朝に感謝を。――どうやら、問題なく依頼を達成できたようだな』
低めの女声が確信を秘めてそう紡ぐのに対し、二集団目のホーンウルフとの戦闘では魔法使いの戦い方として問題があったことを思い返し、つい小さな苦笑をうかべて言葉を返す。
「はい。討伐依頼自体は、無事に」
『ふぅん? さすがに苦戦はしたか』
依頼紙と討伐の証明部位である角を、広場の中央で訓練をしているシードリアのお二人に見えない角度からお渡しして、依頼達成の報酬を受け取りながら、一つうなずく。
「えぇ。一集団目は遠くから問題なく倒すことができましたが、後方から迫っていた二集団目に奇襲を受けまして」
『なに?』
苦笑をうかべたまま小声でつづけた説明に、シエランシアさんの空色の瞳が見開かれた。
『待て。アレらの奇襲を受けた後はどうなった?』
間髪入れず、小声ながらもはっきりと問われ、不敵な笑みを消した真剣なその表情に、慌てて答えを紡ぐ。
「近距離戦にはなりましたが、手持ちの魔法と精霊のみなさんの助けにより、無傷で勝利できました」
『近距離戦になってなお、無傷で勝利できたと?』
信じられないものを見た、というような表情が、シエランシアさんの美貌にサッと広がった。
いったい何がそこまで驚く要素だったのか、分からないままにひとまず説明をつづける。
「はい。さいわい奇襲攻撃を防いだ後に、お互い出方をうかがう時間がありまして。その間に魔法を準備することができたのです。準備さえできてしまえば、後は確実に魔法を当てるだけでしたので」
説明を語りながら、たしかに本来、近距離戦闘を想定していない魔法使いでは、ホーンウルフに奇襲を受けた際に立て直すことは難しいだろうと、思い至った。
しかし一方で、魔法を準備し、それを当てることができるのなら、決して勝てない相手ではないとも思う。
私の説明に瞳を見開いていたシエランシアさんは、次の瞬間軽く握った手を口元にそえ、肩を震わせて小さく、しかし心底愉快げに笑みを零した。
『くくっ! ロストシード、君は本当に予想外なことをする才があるんだな。期待を裏切らないだけでなく、まさか予想を上回ってくるとは』
「そ、そうなのでしょうか?」
『フッ、あぁ、間違いない』
心から楽しげに紡ぐシエランシアさんの言葉に、そうだろうかと小首をかしげるが、すぐさまあっさりと断言が響く。
不敵な笑みをうかべ直したシエランシアさんの、楽しげな色を宿したままの空色の瞳を、思わずまたたきながら見返す。
はじめてお会いした日、シエランシアさんは一目で私がすでに戦闘時に使える魔法を習得していることを見抜いた、慧眼の持ち主だ。
このかっこいい指南役さんの、その予想を上回るようなことができていたとは、こちらもまさしく予想外。
いったいどの部分が予想を上回っていたのか、そこに興味が湧いた。
問いかけるお相手が目の前にいるのならば、憶測をする必要もないだろう。
気を取り直して、シエランシアさんに問いかける。
「あの、どのようなところが、シエランシアさんの予想を上回っていたのでしょうか?」
静かな問いかけに、杖を持ち直したシエランシアさんは、笑みを深めたっぷりと間を置いてから、答えを言葉にしてくれた。
『――最初から、すべて、だ』
「えっ?」
うっかり、間抜けな声が飛び出る。
慌てて口を閉じながら、シエランシアさんの言葉を振り返り思考していく。
最初からとは、二集団目の奇襲か、その後の奇襲を防いだという部分から、すでに予想を上回っていたということだろうか?
すべては……言葉通りすべてなのだろうけれど、近距離戦闘で役立つ攻撃系のオリジナル魔法を使えるのであれば、私でなくともホーンウルフを倒せるはずだ。
だというのに、すべてが予想を上回っていたということは――もしかして、私の考えは色々と間違っていたのだろうか?
……一応、自らの戦闘方法が普通でないことくらいは、理解していたのだが。
もしかして、想定以上に妙な戦い方をしているのでは……ないだろうか?
おそるおそる、思考のために自然と下がっていた視線を上げると――とてもイイ笑顔のシエランシアさんが、深いうなずきを見せてくれた。
もう、間違いない。明らかに、私の戦い方はおかしかったのだ!!
ガンッ、と衝撃を受けたような感覚に、思わず片手を額に当てて瞳を閉じる。
『しーどりあ、いたいいたい?』
『よしよしする~!』
『なでなでもする~!』
「ありがとうございます、みなさん……」
肩と頭に乗っている小さな精霊さんたちの、心配と優しさがありがたい。
『ふぅん? なかなか愛されているんだな、ロストシード?』
「はい。それは間違いありません」
じぃんと感じ入っている中で響いた、シエランシアさんの感心とイタズラを込めた言葉には、額から手を外し瞳も開いて、はっきりと返事をする。
小さな三色の精霊さんたちに大切に思われていることは、もはや疑う余地もない。何より私も、みなさんを大切に思っていると断言できるのだから、当然の返答と言えるだろう。
『えへへ~! しーどりあだいすき~!』
『ぼくもだいすき~!』
『だいすきだよ~!』
「存じ上げておりますとも。私もみなさんが大好きですよ」
『わ~~い!!!』
可愛らしく響く言葉に微笑み、心から同じ言葉を返すと、精霊のみなさんはふよふよひゅんひゅんと、嬉しそうに飛び回る。
その様子があまりに愛らしく、つい微笑みを深めて見つめていると、シエランシアさんが視界の端でひょいと肩をすくめる様が見えた。
はっとしてそちらへと視線を向け直すと、楽しげな笑みをうかべたシエランシアさんが、笑みをそのままに紡ぐ。
『まぁ、自力で戦闘に使用できる魔法だのスキルだのを習得するような子たちは、たいがいわたくしたちの予想を上回るから、そう悩ましく思う必要もないだろう』
「そう、なのですか?」
再び緑の瞳を驚きにまたたくと、空色の瞳が少しだけ細められる。
さっと持ち上がった左手が、人差し指を一本立てた。
『第一に、基本的には素早く大胆な動きをするウルフたちに奇襲された場合、そもそも防ぐことは難しい。事前に防御系の魔法を発動しておくか、あるいは戦闘慣れしていない限りは』
つづけて、人差し指の横で並ぶように、中指が立てられる。
『第二に、奇襲された場合、魔法使い一人ではそう容易く態勢を立て直すことは出来ない。たとえ防御系の魔法で奇襲時の攻撃を防ぐことができたとしても、大半の者たちはすぐに反撃などできないんだ。……現状を見極め、その瞬間どのような魔法が有効的かを考えることができるようになるのは、それこそもう少し戦闘慣れした者の思考だからな』
そっと、薬指が立てられ、これで三本の指が立ち並んだ。
自然と湧き上がる緊張を感じながら、シエランシアさんの言葉を待つ。
なぜか精霊のみなさんのほうを見やった空色の瞳が、ふいにあたたかな色を宿した。
『第三に、どれほど小さな精霊たちと親しくなろうとも、あのウルフたちが相手では本来そこまで有効な精霊魔法など、出せないものだ。その不可能を可能にするためには、それこそ――恩恵の一つでも持ち合わせていなくては、な』
最後はささやきほどの小さな声で紡がれた言葉に、ようやく予想を上回っていた、と告げられた言葉の意味を察する。
防御系魔法の事前展開、魔法を素早く切り替えて状況に応じ発動させる戦闘慣れ、そして精霊のみなさんからの恩恵。
これらすべてが、現時点ではシエランシアさんさえ、身につけていることなど予想していないものだったのだ!
愕然とした表情をしていると、さすがに自覚する。
『ちなみにだが。この里の中では、戦闘で役立つような精霊たちからのソレを持っているシードリアは、今のところはまだ君だけだ』
「なんと……」
イイ笑顔と共に、追加で落とされた爆弾発言を聴き、軽くうめく。
他の種族のシードリアや、戦闘以外で役立つような恩恵ならば持っているのだろうけれど、とかろうじて冷静な部分が思考するが、エルフの中では戦闘で役立つ精霊さんからの恩恵を持っているシードリアが私だけだという事実は変わらない。
ただ一点、私が少しばかり得るタイミングが早かっただけのことで、これから先には似たような恩恵を得るシードリアたちも増えてくるだろうという予測だけが、唯一の光のように思えた。
そっと肩を落としていると、苦笑交じりの低めの声音が耳に届く。
『実際は怪我の一つでもして、戦闘の難しさも感じてもらいたかったのだがなぁ……』
やれやれといった風に首を横に振るシエランシアさんに、若干申し訳なく思い言葉を発する。
「ええっと……たしかに無傷ではありましたが、戦闘の難しさはさすがに感じました、よ……?」
『そうだったなら、良いんだが』
「あ、あはは……!」
どこか疑うような空色の視線に、難しさよりも楽しさを感じていたとはさすがに言葉にできず、乾いた笑い声を零す。
少しの間、そのままじぃっと見つめられていたが、やがてぱっと頭を一振りしたシエランシアさんは、いつもの凛とした笑みをうかべた。
『いずれにせよ、先のことを見据える君のその眼差しは、今後も活用していくと良い。どのような状況でも戦うことができる実力は、才と努力を積み重ねなければ伸びないものだ。今後は戦闘慣れしていくためにも――遠慮なく存分に戦いたまえ!』
「承知いたしました!」
カラリとした鼓舞の言葉に、迷いなく自然と戻ってきた笑顔で返事を響かせる。
色々と気になる点はあるものの、指南役であるシエランシアさんが、存分に戦えとおっしゃるのだ。
――ここから先は、存分に戦闘体験を積み重ねて行くとしよう!!
頭の中で一瞬だけ、自重、という言葉がうかび、そのまま消えていった。




