六話 スキルと実践と微笑みと
とは言え、魔法の習得に精霊魔法における精霊さんたちと同じく、属性に親しむことが本当に必要かどうかはまだ分からない。
あくまで仮説でしかないため、これも実際に試してみるしかないだろう。
「実践がますます楽しみになってきました……!」
そう、高揚のあまり拳をにぎると、精霊さんたちも楽しそうに笑いながらくるくるとその場を回った。
それに自然と持ち上がる口角をそのままに、もう一冊くらいは読もうと精霊魔法の本を閉じた――その刹那。
[《瞬間記憶》]
突然目の前に、しゃらんという綺麗な効果音と共に、そう書かれた白に縁どられて光る文字が出現した。
「――えっ?」
――何か出た!!!
先に零れた疑問の声と、認識した瞬間の驚愕とが合わさり、思わず椅子の背もたれめがけてわずかにのけぞる。
とは言え、驚きは瞬間的なもので、すぐにその文字の出現理由には思いいたった。
『すきるだ~!』
そう、スキルを習得できたのだ。……反応は精霊さんに先を越されたけれど。
唐突に出現した[《瞬間記憶》]と書かれたその文字は、じっと見つめるとすぐにその形をくずし、すぅっと私の胸元へ白い光となって吸い込まれていった。
次いで、何かが開くという直感が閃いたあと、眼前に薄いアンティーク調な灰色の石盤を形どる、ステータスボードが出現する。
そこには[スキル]と書かれた項目の欄に一つ、[《瞬間記憶》]の文字が刻まれ明滅していた。
そっと、その文字に触れてみると、簡単な説明文がさらさらと追加で刻まれる。
「[本、地図、魔法書などの書物の内容を、一瞬にして記憶する。常時発動型スキル]……なるほど、単純にとても便利そうですね」
癖で口元に片手をそえ、これは今後とても有用なスキルなのではないかと思案する。
物は試し、だ。
[精霊魔法習得の手引書]の本を返し、隣の本棚から少し気になっていた[エルフの礼儀作法一覧書]と書かれた薄緑の表紙の本を取り出す。
席に戻る間もおしく、本棚の前でそのまま表紙をひらくと――ひとりでに、ペラペラとページがめくれていき、すぐに表紙が閉じられた。
……誰に問いかける訳でもないが、今はこう言いたい気分だ。
「お分かりいただけただろうか……?」
『わかった~!』
『すきるだよ~!』
『すごいね~!』
答えてくれてありがとう、精霊のみなさん。
なるほど、これがスキル《瞬間記憶》発動の証か。
しかし、説明文には一瞬にして記憶すると書かれていたが、私自身はまだ一文字も本の内容を読むことができていない。
いったいどういうスキル内容なのだろうかと考えつつ、再び礼儀作法の本を開こうとした瞬間には、すでに本の内容が頭の中にあった。
――いや、あったとしか、本当に表現ができない。
自らは一文字も読んでいない本の内容が、本当に記憶されていて、かつすぐに思い出せるのだ。
「……[親しさ、あるいは敬意を込めて交わす最も基礎的な作法は、あいさつの際に行う一礼である]」
思い出せる内容を、そらんじてみる。
一礼、とあるからには間違いなく、この礼儀作法の本の内容であろう。
少なくとも魔法やスキル、精霊魔法の本の中に、このような一文はなかったと言い切れる。
「……三冊本を読むていどで習得できるスキルとしては、破格の便利さなのでは……?」
うっかり真顔になったのが分かった。
『どうしたの~?』
『だいじょうぶ~?』
『よしよ~し!』
「コホン! 失礼、大丈夫です」
心優しい精霊のみなさんを心配させてしまった。
しかし事実、固まるくらいには少々素晴らしすぎるスキルを習得してしまったと思う。
とは言え、これを有効活用しない手はないと断言できる。
ぱっと移した視線の先、並ぶ他の本を視界に収め、深く笑んだ。
秘儀――瞬間記憶式読書の、開始だ!
そうして次々に本を開いて行った結果、スキル《瞬間記憶》を使った読書は、本来の紙の本の読書体験はそこなわれてしまうものの、非常に素早く読み終わることができ、確実に便利なスキルであることが分かった。
そもそも、普通に読もうと意識すれば問題なくページを指先でめくることができた。
この分ならば、紙の本ならではの読書体験も引きつづき楽しめるだろう。
「さて、少しゆっくり読書を楽しみすぎたので、そろそろ里の中を散策しに行きましょうか」
『いっしょにいく~!』
『わ~い! おでかけ~?』
『おでかけ~!』
私の言葉に反応した精霊のみなさんは、どうやら散策に同行してくれるらしい。
読書から意識を切り替え、出入り口から外へ下級精霊さんたちと歩み出る。すると、眼前の巨樹の根本で読書をつづけていたクインさんがこちらを見上げ、すぐに読みかけの本を閉じて立ち上がってくれた。
穏やかなテノールの声が、心地よく響く。
『やぁ、ロストシード。もう読書はいいのかい?』
「はい、ありがとうございました、クインさん。また読みに来てもよろしいでしょうか?」
『もちろん。僕も楽しみにしているよ』
そう紡ぎ微笑んだあと、クインさんはおもむろに右手を背中へまわし、左手を右胸のあたりで二回とんとんと軽くたたき、左足を後方へ引くと、そのまま優雅に軽く一礼してみせた。
それは、間違いなく[エルフの礼儀作法一覧書]の本に書かれていた、エルフにとっての基礎的な挨拶の一礼だった。
慌てて、見よう見まねで同じ礼を返すと、しゃらんと鳴る効果音。
もしやと思い顔を上げると、案の定眼前には[《エルフの礼儀作法 初級》]という文字が。
ほとんど同時に顔を上げていたクインさんの若葉色の瞳と視線が合うと、また穏やかな……けれどどこかイタズラが成功したことを喜ぶような微笑みが、その美貌にうかんだ。
まさか、だが。
『きっとそのスキルは、これからもロストシードの役に立つと思うよ』
――その、まさかだった!
間違いなく、直接のご教授だ!
クインさんの予想以上の先読みに、あやうく開いた口が塞がらない状態になるところだった。
「ご、ご教授ありがとうございますクインさん!」
『あぁ、気にしないで。またおいで』
せいいっぱいの感謝の言葉に変わらない穏やかさで応え、クインさんはまた読書に戻って行った。
思わぬ収穫に、口元がゆるむ。
しかし、目の前の道にプレイヤーたるシードリアと思しき少女が見えたので、さすがにだらしのない笑みは即座に引っ込め、かわりに微笑みを浮かべる。
あわせて、いまだそばでふよふよと飛んでいる精霊さんたちへささやく。
「それでは、行きましょう」
『は~い!』
『わ~い!』
『おでかけ~!』
三色の下級精霊さんたちと共に、クインさんの前を通りすぎて土道へと出る。
案外近くに、周囲をきょろきょろと物珍しげに見回すシードリアであろうエルフの少女がいた。
ちらりと視線を向けると、少女も私に気付いたようで、肩口で揺れる金髪を大きく揺らしてぺこりとお辞儀をしてくれる。
なんとも礼儀正しい子だと思いつつ、彼女の顔が上がったタイミングで微笑み、覚えたばかりの一礼を丁寧に行う。先ほど習得したスキルのおかげか、不思議と自然に動作が可能だった。浮かべた笑顔に関しては……きっと、おそらく、たぶん、美青年の綺麗な笑顔の、はずだ。
若干緊張しつつも微笑みを消さずに顔を上げてみると、少女はなぜか驚いたように、水色のつぶらな瞳を見開いて固まっていた。
……なぜ?
こちらも思わず動きをとめると、そのままわずかな間固まっていた少女は、次いですぐに慌てた様子でもう一度お辞儀を返してくれた。
それに今度は軽い会釈で返しつつ、くるりと反転。里の入り口にいた彼女とは反対方向の、里の奥へと移動を再開する。
――彼女が一時停止していた理由が、あまりにも笑顔や一礼が不自然だったためでないことを祈りつつ。
『じょうず~!』
『ごあいさつじょうず! しーどりあ~』
『ね~! じょうず~!』
「あ、ありがとうございます……」
……精霊のみなさんの言葉が、社交辞令でないことも祈りに加えておこう。
若干ひきつった笑顔になったが、それはそれとして意識を切り替える。
前方に見えるのは、蔓の家々と楽しげに行き交うシードリアたちと、まだ声をかけていないエルフの人々、そして遠くで木漏れ日をうけて煌めく白亜の建物。
口元の微笑みは、自然と好奇心を宿したものへと移り変わる。
ここからは、新しい未知を楽しむ時間だ!