六十七話 星の石を護りしもの
星の石から放たれた銀光が、ゆっくりと輝きをおさめていく感覚に、そろりと顔をかばっていた腕を動かした――その時。
『――〈星の詩〉を捧げし者よ』
パッと開いた瞳で、驚き見上げた先。
星の石のすぐそばには、さきほどの言葉を紡いだと思しき、夜色をまとった美しい女性がうかんでいた。
波打つ漆黒の長髪に、長いエルフのような耳。美しい相貌には特別な感情の色はなく、黒曜石のような瞳をただ、ひたとこちらへ向けている。ぱたりとはためいた四枚翅が、その夜のごとき色合いを鱗粉のようにキラキラと散らす様に、思わず見惚れてしまった。
神殿で見上げた神像の精霊神様を彷彿とさせる、黒の布をまとったその姿を見る限り……彼女は、闇の上級精霊さんだろう。
〈星の詩〉を歌った後に輝いた星の石と、その後に現れた闇の上級精霊さん。
何かがはじまる予感に、高揚はさることながら、少し緊張もしつつ黒の瞳を見返す。
やや間をあけて、さきほどと同じ澄んだ女声が静かに言葉をつづけた。
『わたくしは、星の石を護りしもの。――あなたの名は?』
「私は、シードリアのロストシードと申します」
夜の風を思わす静かで澄んだ声音の問いかけに、右手を後ろに回し、左手を右胸へとそえて丁寧に名乗る。
私の名乗りを聞いた闇の上級精霊さんは、それに納得するようなうなずきを返してくれた。
その様子を見たからか、先の銀光の眩さをしのぐ際に私の背に隠れていた、小さな三色の精霊さんたちがふよふよと前へ出てくる。
『やみのひめさま、こんにちは!』
『こんにちは~!』
『ひめさまこんにちは~!』
『えぇ。よい夜ですね、小さな子ら』
――まさかの、姫君だったらしい!
思わず、改めて優雅なエルフ式の一礼をして頭を下げる。
そっと顔を上げつつ、そう言えば私にはまだ、精霊さんたちにとってどのような存在を姫と呼ぶのか、そのあたりの知識がないことに気づく。
上級精霊は総じて姫や王子なのか、それとも闇の精霊たちの中でも特別な姫と呼ばれるほどの存在なのだろうか?
その点がさっぱり分からないため、どのように対応すると良いのかも、必然的に不明。
美しい姫君を見つめながら、ひとまずはいつも通り、穏やかさと丁寧さを心がけようと決める。
方針を決めたのであれば、迷うことはない。
淡く穏やかな微笑みをうかべ、向けられた艶やかな黒の瞳との見つめ合いに応じる。
綺麗にまたたいたその瞳が、かすかに細められ、わずかに小首がかしげられて……。
『あら、よく見たらとても幼い子ね? 小さな子らよりも幼いのに、ひとりで森の奥へ来たの?』
唐突に、不思議そうな表情で問いかけられた。
しかしその問いに答えるより先に、ふわりと空中をすべるように降りてきた姫君が、私との距離をあっという間に詰める。次いで、すーっとういたままゆっくりと、私の周囲を回りはじめた。
そこそこ近い距離から、黒の瞳がしげしげと観察をするように注がれる。
『まあ、ほんとうに幼いわ。魔法は得意なのね。わたくしたちの小さな子らとも仲良しのようだから、わたくしがおもうほど森は危険ではなかったのかしら?』
「え、えぇ。さいわい、いくつかオリジナル魔法を習得しておりまして。精霊のみなさんの助けもあり、こちらへは無事にたどり着くことができました……!」
さきほどまでの静けさはどこへやら、矢継ぎ早に紡がれる言葉に、かろうじて言葉を紡ぎ返す。
すると、一周して眼前の位置へと戻ってきた姫君が、一つゆるりとうなずいた。
『そうだったのね。よく来てくれました、ロストシード』
「こちらこそ、お会いできて光栄です、姫君」
少しだけぬくもりを宿した黒の瞳に、嬉しさを感じて微笑みをうかべなおす。
すいっと再び星の石のそばへと移動した姫君は、その華奢で真白い指先で星の石をなぞり、改めて私を見つめた。
『それでは、神々の魔法の護り手として、ロストシードに問いましょう』
「はい」
ゆるやかに……けれど威厳を伴って紡がれた言葉に、自然と背筋が伸びる。
私の短い返答に、闇色の姫君は言葉をつづけた。
『――あなたは、あなたが知りうるかぎりの神々のことを、どのように思っていますか?』
静かに響いた抽象的な表現の問いに、束の間視線を下げる。
けれどそれは、ただ伝わりやすい言葉を選ぶための時間であり、伝えたいと思う言葉は常に、私の中にあるものだった。
まとまった思考に視線を上げ、ふわりと微笑み姫君を見上げる。
神々のことを、どのように思っているか? この問いかけに対し、まずは創世の女神様に思うことを紡ぐ。
「第一に、創世の女神様にはシードリアとしてお導きいただいたことを、深く感謝しております」
『……かんしゃ?』
「えぇ」
不思議そうにまたたく黒の瞳に、力強くうなずきを返す。
「創世の女神様のお声がけがなければ、私はきっとこの大地で目醒めることができなかったと、そう思っておりまして。それゆえ、私をこの地に導いてくださったかの方に、深く感謝しているのです」
――あの日、あのたおやかな声を動画から聞いていなかったとすれば。
きっと、私は【シードリアテイル】をはじめることはなかっただろう。
だからこそ、創世の女神様には深い感謝の思いが、常に胸の中にあった。
そしてその思いは、なにも創世の女神様にだけ抱いているものではない。
静かに驚きをたたえて、その黒の瞳をまたたく姫君に、言葉を重ねていく。
「第二に、精霊神様には妖精族、ひいては愛しきエルフという種族を生んでくださったことに、感謝の念が絶えません!」
『あら』
おっと、少々熱くなってしまった。
思わず握った拳をほどき、気恥ずかしさからコホンと咳を一つ。
好ましい物事を語る際、時折このように熱が入ってしまうことは自覚しているのだけれど、半ば反射的なものであるため止めることができないでいる。
とは言え、今回に関しては仕方がない。誰が何と言おうと、エルフが素晴らしい存在であることだけは、真実だと思っているのだから。
そのエルフという存在を生み出した精霊神様には、本当に感謝の念が絶えないのだ。
けれど、決して他の神々に感謝していないわけではない。
「他の神々のことも、私たちすべてのシードリアを受け入れてくださり、また見守ってくださっていることを、感謝しております。総じて――神々の存在は、私にとって道標のように眩く、ありがたい存在です」
笑顔でそう、丁寧に紡ぐ。
――おもに、神殿での魔法習得関連で、という言葉はさすがに心の中にしまっておこう。
神々への感謝は間違いなく本心なので、どう思っているかという問いへの答えには、これで相成ったはずだ。
少しの沈黙の後、姫君はゆるりとうなずく。
『そう……そうなのですね。あなたは神々のことを、道標のようにまばゆい、深く感謝を捧ぐ存在であると……そう思っているのですね?』
「はい。そのように思っております」
一つ一つ確認するように、ゆっくりと澄んだ声音が紡ぐ言葉に、強くうなずき答える。
私の首肯に、またぬくもりを宿した黒の瞳が、どこか懐かしむように遠くを眺めた。
『――さすがは、アストリオンが見つけた子です』
「大老アストリオン様を、ご存知なのですか?」
ぽつりと零れた言葉に、思わず問いかける。
私の疑問に、姫君はこくりとうなずきを見せてくれた。
ここでアストリオン様の名前が出てきたと言うことは、かの人が言っていた古き精霊とはおそらく、姫君のことだったのだろう。
アストリオン様は、姫君のとの約束を守り、私のような存在へと魔法のことを伝える使命があったと、そうおっしゃっていた。
見上げる先の姫君は静かにその瞳を閉じ、無感情だった美貌に懐古の色を乗せた、淡い微笑みをうかべている。
とても優しげなその微笑みと、開かれた黒曜石のように美しい瞳が、私へ向く。
『吟遊詩人としての美しく飾りたてた言葉より、感謝の言葉を選んだアストリオンに……あなたはとても似ているわ、ロストシード』
もしかすると、この微笑みと美しい眼差しは、かつて同じようにアストリオン様に向けられていたものなのかもしれない。
あれほどに美しい表現で言葉を紡ぐアストリオン様が、それでもと選んだ言葉が私と同じものであったことに驚きつつも、近しい感性を見抜いたからこそ、私をここへ導いてくださったのかもしれないと、少し納得する。
姫君の言葉に、嬉しいようなくすぐったいような、あたたかな気持ちが胸に広がった。
「光栄です」
微笑みを穏やかに重ね、姫君へとそう返す。
私自身が素敵だと感じた大老様に、似ていると思っていただけたことは、本当にただ純粋に光栄なことだと思ったから。
姫君は、ひたと注ぐ眼差しを外すことなく、小さなうなずきを私に返したのち、再びその表情の中から色を消し――澄んだ声音で、静かに言葉を紡いだ。
『神々の魔法を継ぐ、新たなる継承者よ。――あなたに、古き魔法を継ぐ覚悟はありますか?』
威厳と姫君自身の覚悟を秘めた問いかけに、そっと息をのむ。
この場所が闇色におおわれ隠されていたことも、闇の上級精霊である姫君の存在も。すべては星の石と、その特別な魔法を護るためのもの。
それほどまでに隠され護られてきた魔法を、継承するということは……きっと本当に、特別な出来事に違いない。
そして、特別さとはすなわち――ロマンそのものに他ならない。
刹那、湧き上がった好奇心と高揚感を、今回ばかりは口元を引き締めることでいったんおさえる。
今はかの魔法を継ぐ、その覚悟を問われているのだ。
たしかに私にとっては、とても心躍る要素であることは事実なのだが、この状況で真剣に答えないのは、さすがに失礼だ。
そのような無礼は、私の誠意と美学が、私の好奇心を許さない。
瞼を伏せ、小さく息を吸って吐き、自らに問いかける。
古く未知なる魔法に、恐れはないか?
特別な魔法を受け継ぎ、それを使っていくという事実に、心は伴っているか?
あぁ――恐れは、ない。私にとって、未知は楽しむものだから。
魔法を使うという事実を、受け入れる心はもうずっと以前から伴っている。
それは、この【シードリアテイル】でロストシードという姿を創り上げた、その時にはすでに。
――私は、数多の魔法を楽しみながら扱う、最高の魔法使いになりたいのだから!
すっと開き、黒の瞳と視線を交わしたこの緑の瞳には、もう覚悟が煌いて見えるだろう。
深く笑み、迷いなく、言葉を紡いだ。
「ロストシードの名に懸けて――かの魔法、必ずや大切にいたします!」
凛と響かせた声音に宿る覚悟を、姫君はしかと聞き届け、ふわりととても美しく微笑んでくださった。




