五十九話 本来の素材の刻み方
「つ……つかれました……!」
疲労困憊とはこのことだと断言できそうなほどの疲労感に、思わず机に突っ伏す。
もっとも、同時にしっかりと練習した達成感もあり、気分としてはやり切ったという満足さに包まれていた。
『しーどりあ、がんばった!』
『ぽーしょんいっぱい~!』
『すご~い!』
「はい、えぇ。今回は、本当にがんばりました!」
小さな三色の精霊さんたちの言葉に、突っ伏した身を起こし、力強くうなずく。
机の上に並んだ数本のポーションが、今回の成果たち。高速錬金の練習として、立派に役立ってくれたと言えるだろう。
……惜しい部分は、その高速錬金に今回の練習だけでは、慣れることができなかった点。
さすがはアード先生をして、一人前の錬金術師と認められるために必要な技術だと言わしめただけのことはある。
はふ、と息を零しつつ、出来上がったポーションを右腰のカバンへと入れ、使用した作業道具も綺麗に片づけていく。
何はともあれ、今回の高速錬金の練習はこれにて終了だ。
「さて。お店のほうへと戻りましょう」
『は~い!!!』
使わなかった小瓶が入ったままの蔓籠を持ち、精霊のみなさんと小声でやり取りをしながら作業部屋の扉を開く。
そっとお店側の部屋へと戻り、店内の奥へと視線を流すと、アード先生の深緑の瞳と視線が合った。
『失念していた』
「は、えぇ、っと……?」
開口一番、アード先生が低い声でそう紡いだ言葉に、困惑する。
眉が下がっているのを自覚しながら近づくと、珍しいことにアード先生の無表情も眉根がよせられた、悩ましげな表情になっていた。
緑の瞳をまたたきながら、思わず問いかける。
「失念、ですか……?」
『そうだ。すまなかった』
「いえ、あの……何かありましたでしょうか?」
明らかな私への謝罪に、頭の中に疑問符が飛ぶ。
アード先生が謝るような出来事があっただろうかと、口元に手をそえて考え込もうとして――。
『素材を切るための魔法を、伝えていなかっただろう? ……長らく一人で作業をしていたから、教えるのを失念していた』
「あ、あぁ! そのことでしたか」
なるほど。どうやらうっかり者は、私だけではなかったようだ。
あまりにもするりと納得する言葉に、ついついぽんっと手を打ってしまった。
腕にかけていた蔓籠がゆれ、中の小瓶がカチャリと音を立てるのに、慌ててそうっとアード先生の机へと置いて返す。
もちろん、謝罪内容に対しても、大丈夫だったと伝えるのは忘れない。
「いえ、お気になさらないでください。生命力回復ポーションと防魔ポーションの製作は、成功しておりますので」
そう紡ぎつつ、カバンから取り出した二種類のポーションを見せると、深緑の瞳がすぅっと細く見極めるような眼差しになり、やや間をあけてしっかりとしたうなずきが返る。
『たしかに、下級生命力回復ポーションと、下級防魔ポーションだ。どちらも問題ない』
「ご確認、ありがとうございます。無事につくれていたようで、良かったです」
アード先生の断言に、にっこりと満面の笑みが広がりうかぶ。
やはり、自らが見ておそらく出来ているだろうと思うのと、先生から出来ていると断言して貰えるのとでは、嬉しさの度合いが違う。
自然と三色の精霊さんたちと見つめ合い、にこにこと微笑んでいると、アード先生から視線を感じた。
見返すと、何やら疑問を宿した眼差しがひたと注がれている。
これは……アレだろう。
素材を切るための魔法を知らないはずの私が、どうやって作業したのだろうかと言う、アード先生の素朴な疑問。
目は口ほどに物を言う、を体現するアード先生の視線に、静かに口を開く。
「実は、オリジナル魔法と小さな風の精霊さんたちの精霊魔法で、何とか素材を切ることに成功しまして」
穏やかにそう告げると、深緑の瞳が一瞬わずかに見開かれた。
『それは……いや、そうか。そう出来るのもまた、ある種の才か』
「あ、あはは……」
つづいた納得を宿した言葉に、それは何というか、違う気がするけれど……と、思わずかわいた笑い声が零れる。
とは言え、たしかに試してみた結果、出来たのは事実だ。ここは良いほうに受け取っておこう。
微笑みをうかべなおし、左手を右胸にそえて礼を告げる。
「ありがとうございます」
『あぁ。……しかし、すでに出来るのであれば、こちらの魔法を教える必要もないか』
「いえ、そちらの魔法はぜひとも教えていただきたいです!」
――それとこれはお話が別です先生!!
うっかり食い気味に発言してしまい、アード先生を一瞬不思議そうな表情にさせてしまった。
だがしかし! 本来の錬金作業で使う魔法は、やはりしっかりと覚えておいたほうが、絶対にこれから先の錬金作業で役立つと確信しているので、ここで妥協はできない。
真摯な眼差しでじぃっとアード先生を見つめると、ふいにそのいつも一の字のように結ばれている口元の、口角がかすかに上がる。
……アード先生が、笑った!?
とても貴重な表情を見た驚愕に、一気に思考を持っていかれる中、低い声が響く。
『いいだろう。ロストシードならば、問題なく覚えることが出来るはずだ。見ているといい』
「あっ、はい! よろしくお願いいたします」
あやうく全力でそれかけた思考を、これまた全力で引き戻して、いつの間にか手にリヴアップルを持っていたアード先生の、そのかかげた手元に集中する。
低い声音が、静かに紡いだ。
『〈テムノー〉』
瞬間、鮮やかな銀線がリヴアップルに走り、薄紅色の果物は綺麗に四等分に切り分けられる。
――あまりにも見事な魔法に、反射的に拍手をしそうになった。
かろうじて、アード先生は静かな環境を好むことを思い出し、持ち上げかけた両手を下ろす。それでも、感動にふるえた心が、言葉を紡ぐことは止められない。
「無駄のない動きで、繊細に切り分けることができる魔法なのですね。とても鮮やかに見えました」
『……そうか』
きっと輝いているだろう瞳をそのままに、満面の笑顔で告げると、深緑の瞳がそろりとそらされる。
軽い咳払いをしているということは、これはアード先生の照れ隠し……なのかもしれない。
微笑みを深めていると、再度軽い咳払いが響く。
『試してみるといい』
「はい、挑戦してみます」
無表情で手渡されたリヴアップルを手に乗せ、うなずきながら応える。
ふと、ここは神殿ではないけれど、果たして魔法を習得することができるのだろうかと疑問がうかぶ。
まぁこの場で習得出来なければ、神殿でもう一度試すことにしよう。
静かな深緑の瞳の見守りの中、新しい魔法を習得するという好奇心に微笑みながら、さきほどの光景を思い描いてその魔法名を紡ぐ。
「〈テムノー〉!」
凛と響いた声音と共に、手に乗せたリヴアップルに銀線が走り――無事に、コロンと四等分になった。
次いで、しゃらんと美しい効果音が鳴る。
『見事だ』
「ありがとうございます」
アード先生の率直な褒め言葉に微笑みながら、眼前に現れた文字を見送り、灰色の石盤を開く。魔法の欄を確認すると、[〈テムノー〉]の名が明滅していた。
説明文には[変容型の技術系風魔法。あるていど発動者の意思にそう、物を切り整える風刃をあやつる。攻撃性を有しており、使用時には《精密魔力操作》が必要。詠唱必須]と書かれている。
「変容型の、技術系……?」
見慣れない表現に、思わず呟きを零す。
使用時に《精密魔力操作》が必要であることにも驚いたが、それよりも見たことのない魔法形態のほうに興味をひかれた。
これらはなんだろうと首をかしげていると、視界の端でアード先生がまた別のリヴアップルを手にするのが見え、そちらへと視線を向ける。
『〈テムノー〉』
再び低い声が宣言した魔法名により、魔法が発動。
リヴアップルが……今度はなんと、みじん切りになった。
ぱちりと瞳をまたたいたのち、得心の意を込めて深くうなずく。
「なるほど。魔法としての形を変えることができるから、変容型ですか」
『あぁ。――技術系に関しては、魔法が生まれてきた歴史の中で、必然的に系統として出来上がったものだ。王都の王立図書館にならば、その手の歴史書もあるだろう』
変容型の意味に納得しつつ、アード先生の説明に耳を傾ける。
王都と呼ばれるような場所に関しては、今のところ私が知っている場所は一つだけだ。
「王都と言いますと、ええっと……クルム王国の、王都でしょうか?」
『そうだ。魔法の歴史に興味があれば、行ってみるといい』
アード先生の店に来る前、クインさんが教えてくれた情報と照らし合わせて、うなずく。
「分かりました。色々教えていただき、ありがとうございます、アード先生」
微笑みながら礼を告げると、常は物静かなアード先生らしい、小さなうなずきが返ってきた。
アード先生はそのまま無言で、四等分とみじん切りになったリヴアップルを、近くに置いていたボウルへと入れ、錬金作業を再開する。
その姿に、私も無言のままにエルフ式の一礼をしてから、静かに店の出入り口の扉へと向かう。
何はともあれ。無事に素材を切る魔法を習得できたことに、ほっと安堵の吐息を零しながら、店を後にした。




