五話 蔵書の海に溺れるがごとく
「さて、他の人がいない今のうちに、読み進めておきましょうか!」
良き出逢いをしたクインさんが、読書をする定位置なのだろう巨樹の根本へと戻る背を眺めつつ、そう独り呟く。
せっかくの美声に仕上げたのだから、他者に迷惑をかけない範囲で、どんどん独り言も言っていこう。なにせ、話し相手がいなくとも聴いていたいほどに、今の私の声は良い。
作り上げた人工の声とは言え、さしたる違和感もなく耳に心地よい声音が響くのだから、自画自賛もしようというものだ。
とは言え本題は、後ろの蔵書である。
入り口付近の左側の本棚から順に、部屋を一周するように確認していく。
すべての本にタイトルがある訳ではなく、タイトルがない本はただのオブジェクトであるようだ。読める分のタイトルをなぞっていく。
「ええっと、[妖精族の種類][精霊と自然]、[神々と祈りの繋がり][エルフの礼儀作法一覧書]……[魔法の基礎][スキルについて][精霊魔法習得の手引書]。――なるほど、情報過多な予感がしますね」
ひととおり読み上げたタイトルたちを眺め、思わず口角が上がった。
純粋に、私が読書好きだということもあるが、ぜひ見てくださいと言わんばかりに並べられた本があると言うことは、間違いなくこれからの日々に必要な情報も少なからずあるということだ。
過多な情報量には目を回してしまうかもしれないが、それはそれとして、好奇心に火がついた。
気になるタイトルは多々あるが、手始めにロマンの塊……もとい[魔法の基礎]の本を本棚から引き抜く。
予想よりもずっしりとした重さがあったその本は、光沢のある深い藍色の表紙をしており、触るとベルベット生地のようにやわらかさを感じた。
薄緑の蔓の椅子に腰かけ、同じ蔓でつくられている机に本を広げる。
表紙をめくり、最初のページは空白。そのページをぺらりとめくると、次は目次。
「少し古典的な表記ですね」
そう呟いたのには理由があり、これは古き良き紙の本の表記の仕方で、空間展開型の本が主流となった今では物珍しさが勝つためだ。
もっとも、実際の紙の本も知っている身としては、空間展開型の本は本というより動画に近いと思っている。視界に展開した文章を読むのは視線移動だけで事足りるため、ページをめくるという動作すら必要ないのだから。
だからこそ、目の前にある紙のページにさらりとした感触があることが嬉しかった。
指で挟んで感触を確かめた目次のページには、簡潔な文字が並んでいる。
「ええっと、[一 魔力操作][二 想像の重要性]……ほう、これは早速読んでみなければ!」
期待を秘めた高揚感に突き動かされてページをめくると、そこは[一 魔力操作]と書かれた行をはじまりに、びっしりと文章が並んでいた。
――情報過多の覚悟はしていたし、そもそも情報収集ができるだろうと期待して開いた本ではあったが、読解力が試されそうなその文章に対しては、かすかに口元がひきつる。
しかし、今さら引き返すことなどできない。いや、実際には表紙を閉じればよいだけのことではあるが、それでは魔法について学べないのだ。
意を決し、[魔法とは、魔力操作と想像により引き起こされる創造的な力であり――]からはじまる文章を、読み進めていく。
私のページをめくる速度は幸いなことに遅くはなく、また思ったよりは総文章量が多くはなかったことも幸いして、[魔法の基礎]と書かれた本はすぐに読み終わることができた。
魔法について要約すると、
「まず魔力の放出の技術を習得する。次に自身に合った魔法属性の魔法を想像し、実際に魔法が発動するまで試せば良い、と」
端的にまとめてしまえば、これだけのことだった。
問題は、実際にできるかどうかのほうらしい。
何事も、言うは易く行うは難し、ということだろう。
で、あるならば。せっかく未だこの場が貸し切り状態であることを活かし、まずは集中して他の本もいくつか読み進めてしまおう!
言うは易く、の土台としての知識として身につけておくことで、今後の行うは難し、の実践に備えるのだ。
決して、決して……紙の本での読書体験が楽しくて癖になりそうだ、というだけでは、ない!
「よし! では早速、次の本は[スキルについて]にしましょうか」
[魔法の基礎]の本を本棚に返し、かわりに薄い黄色の本を取り出す。
再び席につき、ページをめくっていく。
表記は先ほどの本と同じで、目次の次のページから本文がつづられていた。
[スキルとは、生命が自ら発見するか、あるいは神々からたまわるかにより身に付ける、能力の総称である――]からはじまった文章を読み進めていくと、唐突に気になる個所につきあたる。
「ん? [例えば、幾冊かの書を読んでみたまえ。読み手の読む速度や理解力にもよるが、才あるものならば何かしらのスキルは手に入るだろう]……って」
つまり、それは。
こうして本を読み進めることで、スキルを習得できるということでは!?
「い、いったいどんなスキルが……!」
こうなれば、その何かしらのスキルが手に入るまでは、読み進めるしかない。
勢いづいた読書欲で集中力が高まったのか、この本はすぐに読み終わった。
「スキル自体の習得は、そこまで難しいものではなさそうですね。色々と試している間に習得できたり、神々からぽんとたまわったりもする、と」
こればかりは、魔法と同じく実際に習得してみなければ、どのようなものか分からないだろう。
ひとつ伸びをして、本の香りに癒されつつ、次の本を選ぶ。
[精霊魔法習得の手引書]と書かれたその本は樹々の葉と同じ緑の表紙で、先の二冊とは違いより古い本のようだった。すこし表紙が荒れていることから、幾人もが手に取ってきた歴史がうかがえる。
ざらりとした表紙をひとなですると、ふいに視界に光が映った。
驚いてパッと上げた顔の前には、青と銀と茶色の小さな発光体。
「せ、精霊のみなさんでしたか、驚きました……」
ほっと吐息をつくと、眼前でふよふよと浮かんでいた下級精霊さんたちの声が耳に届いた。
『きたよ~!』
『ぼくたちのほん~』
『びっくりした? びっくり~!』
……なんとも愛らしい存在だ。
思ったよりも神出鬼没な精霊さんたちに、もののついでに尋ねてみる。
「こんにちは。あなたがたの本を読もうとしていたから、現れて下さったのですか?」
『そうだよ~!』
『ぼくたちのことかいてるよ!』
『ほんよんで~』
素朴な問いかけへの飾らない返答に、ふっと口元がゆるむ。
ご所望とあらば。すぐさま椅子に腰を下ろし、表紙を開いた。
最初のページに目次はなく、[我が愛しの精霊たちに認められし同胞へ捧ぐ]という文章がいきなり書かれている。
つづく言葉は、精霊たちへの深い親愛と、精霊魔法においていかに精霊たちと心を通わせることが重要であるのかがつづられていた。
「――なるほど。つまるところ、精霊魔法ではみなさんと親しくなることが大前提なのですね」
『なかよしだいじ!』
『いっぱいあそぶの~!』
『おはなしもしてね~』
「えぇ、分かりました。これからたくさん遊んで、お話ししていきましょう」
わ~いわ~いと幼く響く舌足らずな声音に、思わず笑顔になる。
このエルフの里には下級精霊さんたちがいたるところに飛んでいるため、親交を深める機会は多いだろう。
しかし、と魔法という言葉で疑問が浮かぶ。
「そう言えば……精霊魔法に限らず、もしかすると魔法というもの自体が、属性に親しむことで習得できる類のものなのかもしれませんね……」
呟きながら、はじめに読んだ魔法の本の内容を思い出す。
自身に合った魔法属性の魔法を想像し、実際に魔法が発動するまで試すという段階の、その大前提は魔力を放出する技術の習得。
ただしもしかすると、大前提はこれだけではなく、属性に親しむことでよりスムーズに魔法の発動へといたる……のかもしれない。
本を読むことで、ただ知識を知るというだけでなく、このような予想ができることそのものが、すでに充分に楽しい読書体験と言える。
確実にこのゲーム内の知識を学び、それを活かすことができているという体験に、心が否応なく弾んだ。
――やはり、読書は素晴らしい。




