五十七話 うっかり者のチャレンジ
深呼吸を一つ。改めて完成した自作魔力水と向き合う。
まずはこれを、アード先生が持たせてくれた蔓籠から小瓶を一つ取り出して、六割ほど注ぎ入れる。
次いで、近くにあった大きな透明の深皿に近いボウルへ、小瓶の中の魔力水を移しておく。
今回、最初につくろうと思っているのは、リヴアップルを素材として使う生命力回復ポーションだ。
マナプラムほど小さな実であれば、小瓶の中にそのまま入れて作ることが出来るのだが、リンゴと同じくらいの大きさがあるリヴアップルでは、そういうわけにもいかない。
そのため、ボウルへと小瓶ではかった魔力水を移すと良いと、錬金薬書に書かれていた。
説明の通り、次はリヴアップルを四等分にして、使う二欠けの内まずは一欠けをボウルに入れ……なければならないのだが、ここでこの机の上にある物がないことに気づく。
「……調理器具が、ありませんね」
ぽつりと、小さな呟きが零れ落ちた。
どこを見回しても、机の上には包丁やナイフなどの刃物がない。可視化光線切断機のような機械類も、この古典的な幻想世界にあるはずがなく。
当然、魔法を最大にして唯一の武器にする私には、手持ちの刃物さえないわけで。
……アード先生は、いったいどのようにいつも作業をしているのだろう?
うかんだ疑問に、小首をかしげる。
いや、おそらく果物を切るような作業も、魔法でこなしているだと想像はできるのだが……。
腕を組み、口元へと片手をそえる。
これは、うっかり事前に用意しておかなかったがゆえの問題ではあるが、それはそれとしてある種の挑戦的な体験ができる、珍しい機会なのではないかと閃いた。
作業部屋から出て、アード先生に刃物があるか、あるいは普段どのような魔法で素材を切っているのかを問いかけることは簡単だが、それではもったいないのだと好奇心がうずく。
魔法と言う切り口でならば、何かしらの解決策はきっとあるはずだ。
「……ダメで元々と語るほど、不可能なことでもないでしょう」
フッと、不敵な笑みが口元にうかぶのを、自覚する。
錬金術の知識、魔法、そして心強い精霊のみなさん。
幸福なことに、すべてが私と共にある今――挑戦あるのみだ!
「とりあえず、試してみましょうか」
ひとまずは習得している魔法の中で、無難に果物を切れそうなものを選び、リヴアップルに使ってみよう。
念のため立ち上がりボウルから距離を確保しつつ、その上にリヴアップルを一つ持った右手を差し出す。
魔法を使った際、作業道具は壊れる可能性があるが、プレイヤーである私の手はせいぜい風圧に押されるていどで済むはずだ。
若干緊張しつつ、弱い威力でいいからと思いながら〈オリジナル:無音なる風の一閃〉を発動――無音で閃いたいつもより小さめの銀線が、見事リヴアップルを半分に切り分けた。
予想通り、さわっと掌を撫でただけの風の一閃に、ほっと安堵の吐息が零れる。
半分に切れたリヴアップルの方向を変え、つづけてもう一度風の一閃を使うと、これで無事に四等分だ。
そっと四等分になったリヴアップルを一度机の上に置きつつ、自然と笑みがうかぶ。
これで刃物の存在をうっかり忘れていても、リヴアップルは四等分できると分かった。やはり魔法は偉大である。
『しーどりあ、じょうず~!』
『すご~い!』
『きるのじょうず!』
「ありがとうございます、みなさん。少々緊張しましたが、これでリヴアップルのほうは作業をつづけることができます」
ささやくような小声で褒めてくれる三色の精霊のみなさんに、微笑みながら同じく小声で言葉を返す。
とは言え、素材を切る必要があるという問題は、まだ残っている。
視線を移し、机の上に並んだマモリダケを眺めつつ、錬金薬書に書かれていた防魔ポーションの製法を思い出す。
魔力水を用意することは変わらない。茶葉を煮出すのに使う水分と同じくらい、液体系のポーションにおける、おおよそ必須のものだから。
問題はその次で、魔力水に加えるマモリダケは……みじん切りにする必要があるらしい。
さて――どうしたものか。
思わず、机の上のマモリダケを見つめる眼差しが、彼方へと飛ぶ。
とは言え、実情としては現実逃避をしている場合ではない。何とかして、このままマモリダケのほうの問題も解決したいところだ。
「ええっと、使えそうな魔法は……あ」
ちょうど巡らせた視線の先に風の精霊さんを見つけて、閃きが降る。
ただ、あの魔法を使うためには、一つ確認しておかなければならないことがあった。
私の視線を受けて、くるんと一回転した風の精霊さんへ、問いかけてみる。
「あの、小さな風の精霊さん」
『なぁに~?』
「あなたがたの魔法を使った際、素材と一緒に机が切れてしまうということは、あるのでしょうか……?」
『ないよ~! だいじょうぶ!』
「良かったです!」
どうやら、唯一の懸念点は問題ないとのこと。
ならば、さっそく試してみよう。
立ち上がった状態で少し距離を確保してから、机の上に並べているマモリダケの一つを示すように片手を伸ばしかざす。
記憶の中、本から覚えた既存の精霊魔法を思い出し、ささやくように詠唱。
「〈ラ・シルフィ・リュタ〉」
瞬間、ふわりと現れた小さな風の精霊さんたちが、マモリダケへと銀線を煌かせる。
小さな風刃が幾つも線を描いてマモリダケを刻んだ。
『もういっかい~!』
「分かりました。――〈ラ・シルフィ・リュタ〉」
意識の端で〈恩恵:ラ・フィ・ユース〉の発動を感じながら、助言をしてくれた風の精霊さんの言葉に従いもう一度、小さな風の精霊さんたちによる風切りを発動する。すると、見事その風の刃はマモリダケをバラバラとみじん切りに切り刻んだ。
「お見事です!」
『えっへん!』
思わず声量を気にしつつも上げた歓声に、風の精霊さんが得意げにそう告げる。
精霊魔法の発動のために現れてくれていた他の小さな風の精霊さんたちが消える様子を見送りながら、微笑みを深めた。
いささか大胆な方法ではあったものの、素材は適切な大きさに切ることができ、挑戦は無事成功したと言えるだろう。
自作魔力水をはかり入れたボウルと、机の上のリヴアップルとマモリダケを見やり、素材の準備が整ったことを再度確認して、一つうなずく。
――これでようやく、本格的に高速錬金の練習をはじめることができる!




