五十五話 書庫の守護者の解説と示唆
「っと! ――やはり、少し里の入り口がにぎやかですね」
『なんだろ~?』
『なになに~?』
『しーどりあたち、いっぱいいる~!』
「私たちも、見に行きましょう」
『は~い!!!』
軽やかに枝の上から降り立ち、気になる状況に小さな三色の精霊のみなさんと、そう言葉を交わす。
ちょうどリリー師匠の店が前方に見える位置の、森の中から里の中へと入ると、土道をまっすぐ里の入り口のほうへと足を進める。
少し距離があるが、それでもシードリアたちと思しき姿が幾人も入り口付近に集まっている姿が見えた。
――いったい、何事だろう?
精霊のみなさんと一緒に小首をかしげながら、入り口の近くまで歩みよる。
すると、そこにはエルフのシードリアたちによる人だかりができており、その色とりどりの視線の多くはどうやら一か所に向けられているように見えた。
ひとまず同じように、視線を向けてみる。
今まさに村の入り口から目醒めの地へと足を踏み出そうとしている、私から見て右側の森の手前。村の入り口の土道からそれた端に、ぽつんと一つの石像が立っていた。
「あれは……」
なんだろう?
語り板などで情報収集をした際にも、言及されていた覚えのない石像に、思わずじっと視線を注ぐ。
一見すると、その形はチェスの駒の一つである、ポーンにとてもよく似ている。
神殿の白亜の壁を思わす真白の台座に、昼の空と同じ蒼穹の色の球体がのっており、それはわずかに清らかな光を放っているように見えた。
どうやらあの石像目当てに、他のシードリアのみなさんは集まっていたらしい。
視線の先では、その不思議な石像の前へと、人だかりから歩み出る少年が一人。
何かが起こる予感に、そのまま少年の姿を視線で追っていると、スッと少年が片手を美しく光る蒼の球体へとかざし――刹那、パァッと眩い輝きが放たれた。
その眩さに反射的に瞳を閉じ、しかし瞼の裏ではすぐに光がおさまる。
そろりと開いて見やった先に、蒼光はなく。シードリアの少年もまた、その姿を消していた。
とたんに、わっと歓声が上がる。
見慣れぬ状況に驚くと共に、ふいにそう遠くない場所で今日も読書をしているはずのクインさんが気になった。
ざわめきの正体はこの状況だったわけだが、これほどまでのにぎやかさが耳に届く中で、心地よく読書ができているだろうか?
慌てて来た道をとって返し巨樹へ近づくと、そこには変わらず若葉色の長髪を風にゆらしながら読書をする、穏やかな表情のクインさんがいた。
ふっと顔を上げたその若葉色の瞳と、視線が合う。その表情に、笑顔が広がった。
『やぁ、ロストシード。よき朝に感謝を』
優しいテノールの声音でのあいさつに、私もそっと左手を右胸に当てて口を開く。
「よき朝に感謝を。おはようございます、クインさん」
『あぁ。今朝はずいぶんシードリアたちが楽しげで、僕まで嬉しくなってしまうよ』
「その、ええっと……。読書のお邪魔になっては……いませんか?」
優雅に立ち上がりながら笑顔で語るクインさんに、そっとたずねる。すると、すぐに穏やかな笑い声が響いた。
『あはは! 大丈夫だよロストシード。むしろ、愛らしいと思っているくらいだから』
「――そうでしたか」
幼子を見守る慈愛の眼差しでそう答えが返り、小さく安堵の吐息を零す。
私たちシードリアのにぎやかさを愛らしいと思うほどに、クインさんは私たちを優しく見守ってくれているのだと思うと、ありがたさが心に満ちる。
安堵のついでに嬉しくなって微笑むと、クインさんも微笑みを深めてくれた。
次いで、その表情が少し不思議そうなものへと変化する。
『そう言えば、ロストシードはあの子たちと一緒に見学しないのかい?』
若葉色の瞳が向けられた先には、石像の近くで集まっている他のシードリアのみなさんの姿。
穏やかな問いかけに、一つうなずいて答える。
「はい。実は先ほど、どのような状況が起こっているのかに関しては、確認をすませまして」
『あぁ、そうだったのか。ロストシードはあの石像のことをもう知っている?』
「いえ、残念ながらまだ」
納得の言葉が紡がれ、つづいた問いには首を横に振る。
すると、『そうか』と軽くうなずいたクインさんが、微笑みをうかべたまま石像のほうへと若葉色の視線を注いだ。
『あの石像は、遥かな古来より世界各地に点在する、神々の魔法を宿した神物。認められることで、各地へと転送してくれる、神々からの恩恵だよ。――通称、ワープポルタ』
「ワープポルタ……」
よどみなく紡がれた説明を頭に入れつつ、はじめて聴く名前をオウム返しに呟く。
つまるところは、いわゆる転送装置やワープポータルなどと呼ばれる、広大なフィールドを有するゲームではお馴染みの、便利な移動手段のことだろう。
街から街へ、国から国へ、フィールドからフィールドへ……というように、自らの足で歩いて行かずともその地点へと転送してくれる物は、ゲームをたしなむ人々には古くから重宝されてきたもののはずだ。
かくいう私も、他のゲームでお世話になった記憶がたくさんある。それはもう、たくさん。
そう言えば今回【シードリアテイル】にログインする前、次の街に行ったシードリアがいるという情報を目にしていたのを、今思い出した。
どうやら攻略系のシードリアのみなさんは、あのワープポルタを使うことで、昨夜の間に次の街へと移動していた、ということらしい。
なるほど、とうなずいていると、視線を私へと戻したクインさんが朗らかに紡ぐ。
『ロストシードも、もう少しで認められると思うよ。そうすれば、他のシードリアたちのように、パルの街へ行くことができるようになる』
「パルの街、ですか?」
『あぁ。この里のワープポルタが最初に転送してくれる場所は、クルム王国の端にあるパルの街だからね』
「そうなのですね……!」
見知らぬ街、見知らぬ国の名前に、一気に好奇心と高揚感があふれる。
街の情報などは、さすがに着いてからのお楽しみということで、意図して情報を収集していないこともあり、なおのこと興味をひかれてしまう。
ゆるむ口元を懸命に普通の微笑みの形に留めていると、ふいにクインさんが手に持っていた本を持ち上げ、その少しくすんだ紅い表紙を優しく撫でた。
一瞬違和感を覚え、すぐにそれが――その本の表紙に、タイトルが記されていないからだと気づく。
不思議さに本を見つめていると、クインさんからの視線を感じ、顔を上げて目を合わせる。
クインさんは、いつもの穏やかな表情の中に少しの真剣さをのせて、
『もしロストシードが、ワープポルタに認められるその時が訪れた後も、この里に留まる気があるのなら――僕に、会いに来るといいよ」
そう、澄んだテノールの声音で告げた。
これは何かの示唆だと、刹那に察する。この直感の閃きは、あまり外さないたぐいのものだ。
閃きと共に冴えた思考で、クインさんの言葉を反芻する。
里に留まること自体には、特別問題はない。
たしかにパルの街と呼ばれる地には興味をひかれているが、まだまだこの里での出来事を楽しみたいとも思っているから。
それよりも、次の街へ行くことができる状態になったその上で、この里に留まることにいったいどのような意味があるのだろう?
何が隠されていて、何をクインさんは私に教えようとしてくれているのだろうか?
これではまるで……まだ読んでいない心ひかれる本の表紙を、そっと手で抑えつけられているかのようだ。
幼げにはやくその先を読みたいとはやる好奇心と、じっくりとその時を待とうと考える冷静な思考とが絡み合い、胸が高鳴る。
いずれにせよ、クインさんがそう言うのであれば、私はその言葉通りに行動をしてみたいのだと、心の底から思った。
「分かりました。必ずこちらへうかがいます」
せいいっぱいの凛とした表情で告げた返事に、クインさんはまた穏やかに微笑み、深くうなずいてくれる。
――心底、その時が待ち遠しく感じた。




