五十四話 夜明けの青と精霊の舞
予想以上に難しく悩ましい問題に、妥当な結論がでると、一気に緊張感がほどけた。
『しーどりあ、げんきになった~!』
『わ~い!』
『よくわからないけど、わ~い!』
「えぇ、ご心配をおかけしました。もう大丈夫です」
口元に自然と戻ってきた微笑みをうかべ、悩みが解決したことを元気になったと理解した精霊のみなさんの喜びに応える。
次いで、改めて小さな土の精霊さんの通訳のもと、美しく咲きほこる夜明けのお花様に、花の蜜が美味しかったことをしっかりと伝えてもらう。
量があり、貴重なものでなく、特別なものでもなければ、採取させていただきたかったくらいだ。
もっとも、蜜をいただいた時に祝福を授かったことから、おそらくあの蜜が祝福のトリガーなのだろうから、無理な話なのだが……。
せめて、夜明けのお花様の美しさをこの目に刻んでおこう。
先端を薄紅に染めた白い花弁をしばし見つめ、それからもう一度エルフ式の一礼を優雅に捧げて、おもむろに踵を返す。
時刻は少し前から、深夜をすぎて夜明けの時間になっている。
祝福の素晴らしさに忘れかけていたが、私は元々夜と深夜の星が煌く時間にのみ姿を現す、星の石を探していたのだ。
それがこの洞窟になかったことは、すでに確認済み。
素敵な祝福を授かり美しい花々も堪能した今、次ははじめての夜明けの時間を堪能したいと、好奇心がささやいている。
自然と、口元の微笑みが深まった。
「さぁ、みなさん。お次は夜明けの時間を楽しみに行きましょう!」
『は~い!!!』
うっかり弾んだ声音に、同じくらい楽しげな返事が響く。
ぴたりと肩と頭にくっついてくれた、小さな三色の精霊のみなさんと共に、幅の細い小さな洞窟を高速移動で逆走しながら入り口へと向かう。
このような時、オリジナル魔法の敏速さを与えてくれる風の付与魔法は、本当に役に立つ。
〈グロリア〉も継続発動中であるため、軽やかに地を蹴るたびに白光の煌きが散って尾を引く様が、美しくも面白い。
そうして薄暗い洞窟の中を、枝から枝へ移動していた時のようにふわりふわりと駆け、入り口が見えたところでスピードを落とす。
他者に見られた場合、赤面必至な煌めく〈グロリア〉は忘れずに消してから、薄青の光が満ちる明るい外へと歩み出た。
瞬間――別世界のように広がった景色に、息をのむ。
『よあけのじかん~!』
『きれい~!』
『わ~い! すき~!』
精霊のみなさんの歓声を聴きながら見上げた空は、薄明をまとった藍色が残る美しい青。
その青が夜明けの色として、薄青の光を大地に注ぎ、薄霧につつまれた森を幻想的に染めていた。
「なんと、うつくしい……」
思わず、そう呟きが零れる。
夜の静謐な美しさや、朝の爽やかな美しさとはまた異なる、夜明けの時間だけの特別な光景に、笑顔が咲いたのを自覚した。
「みなさん! 里の近くまで、一緒にこの素敵な時間を楽しみましょう!」
声を上げ、スキル《隠蔽 二》で隠していた二つの内、精霊魔法〈ラ・フィ・フリュー〉のほうの隠蔽を消す。
刹那、かくれんぼを終えて鮮やかに現れた、小さな多色の精霊のみなさんへと微笑む。
『わ~い!』
『みんなもいっぱいみてみて~!』
『よあけのじかんだよ~!』
私の耳元をかすめるように近づいては離れていく多色のみなさんに、三色のみなさんが嬉しそうに声をかける姿が愛らしい。
ついつい笑みを零しながら、改めて森の中を見回してみる。
薄青の光をまとう霧につつまれた森は、夜や日中とは別種の美しさで、まるで新しいフィールドにいつの間にかたどり着いていたのだろうかと思うほどだ。
後ろを振り返ると、昨夜目印代わりにそってきた断崖があり、茶色と灰色と黒が目立つ岩肌に、今は薄青の光が煌いている。
ふと気になり、近くの樹の幹へと手を当てると、ひやりとした冷たさと水気をまとった樹皮の感触が、夜の名残と朝への期待を宿しているように感じた。
深く息を吸い込むと、とたんに水を含んだ森の香りが嗅覚を刺激する。
まだ薄暗い中で目覚めたばかりの、夜と朝との狭間の気配を想起させるこの夜明けの時間に、すっかりとりこになった。
朝も昼も夕方も、宵の口も夜も深夜も好ましいが、夜明けの時間が一番好みかもしれない。
ふいに吹き抜けた風に、薄霧がゆらぐ様子さえ美しい光景に見惚れていると、すぃっと小さな風の精霊さんがそばに飛んできた。
『しーどりあ~!』
「はい、どうしました?」
『あのね、しーどりあのかみ、すっごくきれいだよ~!』
「私の髪、ですか?」
告げられた言葉に緑の瞳をまたたかせつつ、首の後ろに腕をとおして、長い髪を前へともってくる。
そこでようやく、風の精霊さんの言葉の意味が分かった。
鮮やかな金から白金へとかわるグラデーションの色合いは、普段から充分美しいと自画自賛しているが……どうやらこの時間帯には、また格別な美しさが秘められていたらしい。
「これは……たしかに、とても綺麗ですね!」
『ね~! きれい~!』
声を跳ねさせ、薄青の光が金と白金に色をほんのりと移して煌めく、鮮やかな光景を見つめる。
これが自らの髪なのだと思うと、なおのこと特別に感じ、頬がゆるんだ。
特別さを語るのであれば、多色の精霊のみなさんの美しさも忘れてはいけない。
たゆたう燐光をその小さな身にまとい、白、黒、緑、紫、赤、青、銀、茶色の光が、薄青の光と共に煌く様は、まさしく幻想的の一言。
ふよふよとゆるやかに、時にはすぃっと速く飛ぶその姿は、まるで舞をしているかのようで、いつまでも見つめていたいと思うほどだ。
「綺麗ですねぇ……」
『きれい~?』
『きれい!』
『わ~い!』
思わず呟いた感嘆の言葉に、三色の精霊さんたちが嬉しげに声を上げる。
その可愛らしさに小さく笑みを零すと、精霊のみなさん自らがまとう光がほんのりと強まり、美しい舞がいっそう華やいだ。
ほのかにけぶる静かな森の中、多色に煌く幻想的な舞を眺められるシードリアは、いったい幾人存在するのだろうか?
――きっと私は、本当に幸運なシードリアに違いない。
そう、どこか誇らしく、それでいて穏やかな気持ちで素晴らしい舞を眺めていると、ふと霧が徐々に薄くなっていくように見え、緑の瞳をまたたく。
まるで美しい光景を眺めている間にも、しっかりと時間は移ろっているということを教えるかのように、サァ――と光を反射していた薄霧は消え、空から降り注ぐ薄青の光だけが木漏れ日となって残った。
見上げた空の色は変わっていないので、今しばらくは夜明けの時間がつづくのだろう。
それならば、引き続き存分に楽しもう!
ふっと口元に微笑みを乗せ、精霊のみなさんへと視線を向ける。
「さぁ、みなさん。夜明けの時間の森を楽しみつつ、里へと戻りましょう」
『は~い!!!』
快い返事に笑みを返し、軽やかな足取りで歩み出す。
大地をまばらに照らす薄青の木漏れ日もまた、ずいぶんと神秘的で美しい。
何より、三色のみなさんだけではなく、多色のみなさんも見える形で一緒に行動するというのは、やはり新鮮な楽しさがある。
鮮やかな精霊のみなさんの舞うような姿を見ながら歩くのは、なんとも贅沢な道行きだ。
時折遠くに見える魔物を、迂回や枝の上を移動することで今回は回避し、穏やかに夜明けの時間の森を堪能しながらゆっくりと帰路を進む。
森の中央をつっきるように進んでいくと、思ったよりも速くに巨樹が囲う蔓の家が見えてきた。
チカリと木漏れ日の色が淡い金光に変わり、昇ってきた太陽が空をあっという間に水色に晴れた朝の空へとぬり変える。
一瞬で夜明けの時間から朝の時間へと変化した森の中を、爽やかなそよ風が吹き抜けた。
今、朝の時間に切り替わったということは、どうやら思うよりは長く夜明けの時間を楽しんでいたらしい。
名残惜しさはあるものの、朝には朝の楽しさがある。
再びスキル《隠蔽 二》を発動して多色の精霊のみなさんを隠すと、地を蹴りふわりと高い枝の上に着地。
そこから視線を向けると、だいたいの位置が確認できた。
このまままっすぐ進むと、ちょうどリリー師匠の店がある対面あたりにたどり着けるだろう。
何やら里の入り口のほうで生まれたざわめきに首をかしげつつ、里への距離を縮めるべく枝を蹴った。




