四話 はじめまして、こんにちは
『さぁ、着いたわ。ここがわたくしたちの里よ』
艶やかに微笑み、大老エバーリンシア様はそう振り返って告げた。
彼女がしなやかに振るい示した腕の先には、樹々の隙間に緑の蔓がはう家々が並ぶ空間があった。
樹々の隙間と言っても、先ほどの目醒めの地のようにほどよく拓けており、窮屈には見えない。雰囲気としては、深い森の隠れ里といったところか。おそらく、実際にそうなのだろう。
『ここから先は、己の思うように生きなさい。シードリアとはそう言う存在なのだから。けれど、まぁ……そうねぇ』
幼子の背を押すような大老エバーリンシア様の言葉が、そこでいったん途切れる。
ちらりと里の方を見やった視線が私たちのほうに戻り、微笑みが深まった。
『まずは、気になることを問いかけてみるといいわ』
そうとだけ告げ、ひらりと優雅に手を振ると、大老エバーリンシア様は里の奥へと、土道を颯爽と歩き去っていった。
なるほど、とひとつうなずく。
つまりここからは……自由行動開始ということ!
まさかの、チュートリアルはご自由に、形式である。
いや、おそらくは最後に教えてくれた言葉の通り、気になったことはその都度問いかけることで、色々なもののやり方、このゲームの遊び方が分かっていく、ということなのだろう。
このゲーム【シードリアテイル】は、完全五感体験型という点は当然ながら、ゲームプレイ自体とても自由度が高いらしい、という点も情報収集の過程で耳にした。
それはこの先、何を知ろうとし、何を学び、何を成せるようにするのか……これらがすべて、各プレイヤーの自由意思にゆだねられている、ということだ。
端的に言って――楽しみすぎる。
周囲からも、様々な弾んだ声が聞こえてきた。
「え、えーっと、どうする?」
「まずは何しよう?」
「とりあえず、あの美人さんにオレは声をかける!!!」
「エルフしかいない里って……控えめに言ってさいこうすぎ……」
困惑、期待、目標、感激……溢れんばかりの感情が、そこかしこに溢れている。
にぎやかに動き出す他のシードリアたちの様子に、ふふっと思わず笑みが零れた。
さぁ、私も行こう。
まずは、一番近い緑の蔓に覆われた家を目指してみる。
最初に私の掌の上で遊んでいた、水の下級精霊さんがその家へと消えて行ったのが見えたため、気になったのだ。
ふよふよと辺り一帯を飛び回る精霊さんたちを眺めつつ、土道を中央にして左右にぽつりぽつりと点在する家々をよく見ると、どうやらそれらは蔓そのもので造られているらしい。
エルフの魔法だったりするのだろうか?
もしいずれ、このような家を造ることができるとすれば……色々と夢が膨らむ。
とは言え、まずは目の前のことに集中しよう。
里の中へ入ってすぐ左側にあった蔓の家の前には、傍に立つ一本の巨樹を背に、根元に腰かけ本を読むエルフの青年がいた。
本は少しくすんだ紅い表紙の、西洋の古本を思わすアンティーク調のもので、そのページは一定の速度でゆったりとめくられている。
青年は時折、風の下級精霊のイタズラで乱れる若葉色の長髪を手櫛で整えているが、それ以外には意識が向かないのか、一心に本を読み進めていた。
改めてちらりと彼の先にある家を見ると、透明な窓の奥にはいくつかの本棚らしきものが見える。
ここが彼の家なのかは分からないが、少なくとも彼自身は間違いなく読書家だろう。
そして、本とはすなわち知識の記録者。
いまだ知り得ない知識を、教えてくれるかもしれない存在だ。
であるならば――読んでみなければ!
読書を楽しむ人に声をかけるのは、正直心苦しい。しかし、私は知り、学びたいのだ。
まさに今、目の前の彼がそうしているように。
意を決して、声をかける。
「はじめまして、こんにちは。少し、よろしいでしょうか?」
『ん、おや?』
かくして、疑問を宿したテノールの声が零れ、次いで髪と同じ若葉色の瞳がこちらを見上げた。柔和な顔は、すぐに穏やかな笑みをたたえる。
『これはこれは、シードリア。僕に何か用かな?』
「読書中にお声がけして、すみません」
わざわざ本を閉じ、立ち上がって近づいてきてくれた青年の動作があまりにも自然で、一瞬ゲーム内で存在を設定されたキャラクターだと言うことを忘れ、謝罪をした。
ここまで自然な動きで存在しているのだから、これはもうプレイヤーかノンプレイヤーかの違いなど、ささいなものなのかもしれない。
そう考えてみると、今後はキャラクターたちにも先ほどのように、人と同じように接したいと感じた。
――彼らも私も、この世界で生きていくことに、何も違いはないのだから。
そんなことを思考していると、穏やかな笑い声を眼前の青年が発した。
『あはは! 読書は確かに好んでしていることだけれど、気にしなくていいよ。シードリアの声かけに、応えない者などいないのだから』
軽快な笑い声と反して、つづく言葉はどこまでも穏やかに紡がれる。
優しい人柄に思わず感動しながら、しかし感謝は忘れてはいけない。ついでに本題も。
「ありがとうございます。……実は、まだ目醒めたばかりで知識がとぼしく……。もしよろしければ、いくつか本を読ませていただけないでしょうか?」
『あぁ、もちろんかまわないよ。――おいで』
あっさりと、穏やかな承諾を頂けた。
さらりと揺れる若葉色の長髪を追い、蔓の家の中へと足を踏み入れる。
家の中の四方も緑の蔓で綺麗に床と壁と天井が形作られており、中央には別の種類の蔓だろうか、白に近いほど淡い薄緑の蔓で作られた机と数脚の椅子が置かれている。そして壁には同じ薄緑の蔓でつくられた本棚が所狭しと並び、その中には古そうな本が綺麗に収められていた。
どこからともなく、古い紙の香りがただよう――どこか懐かしい、紙の本の香りだ。
「おおぉ……!」
おさえきれなかった感嘆の声を零しながら、予想以上の神秘的な内装に感動していると、家に招き入れてくれた青年と再び視線が合った。
『さぁ、自由に好きなだけ読むと良い。机と椅子も、遠慮なく使うんだよ? 僕は外で読書を続けるけれど、何か尋ねたいことがあればいつでも声をかけて』
「はい、丁寧に教えてくださり、ありがとうございます。――あの」
テノールの声が紡ぐ心遣いがあたたかく、ふと、丁寧に接してくれる彼自身のことが気になった。
そう言えば、自己紹介もしていない。
「名乗るのが遅れて、失礼いたしました。私は、ロストシードと申します。あなたは……」
自らの名乗りと共に、視線で青年をうかがう。
言外の問いかけを、彼はしっかりと汲み取ってくれたらしい。昨今の技術は本当にすさまじい。
彼は左手をそっと右胸のあたりに添えるという、エルフのような美形がするとずいぶん様になる仕草と共に、答えをくれた。
『――栄光なるシードリアのロストシード。僕はクインディーア。この書庫の守護者だよ。これからどうぞよろしく。よければ、クインと呼んで』
「はい! これからよろしくお願いいたします、クインさん!」
交し合えた自己紹介が嬉しくて、ついつい弾んだ声に、書庫の守護者のクインさんはまた穏やかに笑む。
彼がプレイヤーであろうとなかろうと、この出逢いは良きものに違いない。
そう思えてしまうほどに、クインさんとの邂逅は私にとって印象深いものとなった。