三十五話 礼節の美徳と夢見る美学
思わぬ学びと収穫を得たのち、本棚へと本を戻し、小さな三色の精霊さんたちと共に書庫を出る。
巨樹の根本で読書をつづけていたクインさんは、すぐに私に気づいて優雅な所作で立ち上がり、近寄って来てくれた。
『答えは見つかったかい? ロストシード』
「はい。ありがとうございます、クインさん。はじまりは偶然だったとはいえ、精霊のみなさんと親しくなることができて、嬉しく思います」
『そうだね。僕たちにとって、精霊たちは大切な友人だからね』
「えぇ!」
穏やかなテノールの声音の問いに、感謝と思いを伝える。
優しげに細められた若葉色の瞳が、やわらかに私を見つめた。
『僕がロストシードを少しだけ導いて手助けするのも、君が僕のことを知ろう、僕と交流をしよう、と思って声をかけてくれたからだよ。純粋な部分は、君のそばにいる小さな精霊たちと変わらないんだ』
「そ、そうだったのですか?」
『あぁ。そもそも、シードリアならば誰しもが、よほどの粗相をしない限り、僕に声をかけずとも書庫には自由に出入りすることができるからね』
「なんと……」
クインさんからの思わぬ言葉に、またたきを繰り返す。
たしかに、クインさんにはこの世界のことを学び知るために声をかけ、交流を願って名をたずねた。それが礼儀作法のスキルの教えや、今回の導きに繋がっていたとは。
素直に驚いていると、クインさんが軽やかに笑う。
『あはは! そこまで意外なことでもないだろう?
ロストシードの真面目さと礼儀正しさは、間違いなく君の美徳だよ。僕はそれを伸ばすことが君の助けになると思ったから、礼法のスキルを習得するきっかけをつくった。ただそれだけのことだ』
「なるほど……」
穏やかに語られた言葉に、しみじみと感じ入る。
意図的なロールプレイの上の言動とは言え、私の真面目な言動や礼儀正しさを美徳だと思ってもらえていることは、ありがたく喜ばしいことだ。
自然とゆるんだ頬をそのままに、クインさんの若葉色の瞳を見つめ返す。
「クインさんがそのように思い、導いてくださっていたことは、私にとって本当にありがたいことです。内面の美徳は当然として、引き続き礼儀作法やその他の所作なども、クインさんのような洗練された美しさを目指して磨きつづけます」
穏やかに、何より美しく。
そうした微笑みを意識しながら、クインさんへと言葉を伝える。
すると、クインさんはまた軽快な笑い声を上げた。
「あははは! シードリアに目指してもらえるなんて、光栄だなぁ。けれど、礼節はいつだって美徳になるから、この先多くの出会いがあるロストシードには、必ず役立つ日が来るよ。――僕との出会いのように、ね?」
すぅっと、優しく穏やかに細められた若葉色の瞳に、イタズラな色が混ざり煌めく。
その様さえも美しくて、私はただただ深くうなずいた。
実際のところは、私は私なりの美学のもと、クインさんの優雅で上品な所作を手本にしている。
第一に、美しいものは美しい。
第二に、美しさとは武器であり、強さだ。
付け加えるならば、なにより純粋に、好ましいと思う。
私自身が好んでいる部分は大きいが、他者から見ても美というものは、やはり美しく好ましく感じる場合は少なくはないはず。
そして私は基本的に、自らが好むものを追求し、手にしたいと思っている。
その心と行動がどこまで、クインさんが言う美徳としておさまるのかは分からないが、望むものを手にするためにおこなう物事もまた、美しいものだ。
やや斜め上の美学であることは理解しているけれど、それはそれでいいとも思う。
何はともあれ、この大地の上では必ず役に立つと、クインさんが断言してくれているのだから。
自然とふいにうかんだ笑みと共に、クインさんと二人して軽く笑い合う。
そこに、小さな三色の精霊のみなさんが加わった。
『ぼくたちも~!』
『ぼくたちもしーどりあがおはなししてくれた!』
『あそんでくれたよ~!』
『あぁ、そうか。君たちも僕と同じで、ロストシードが良い子だったから、親しくなれたのだね』
『そうだよ~!!!』
ぼくたちも、と主張する精霊のみなさんの言葉に、クインさんがうなずきながら納得を示す。
良い子、という表現は、生まれたてのシードリアである私たちを、予想よりもずっと幼子として見守ってくれている部分の現われだろう。ありがたい上に嬉しいことだが、少々面映ゆい。
こっそり照れていると、『そうだ』とクインさんが声を上げた。
何事かと再び若葉色の瞳と視線を合わせると、つづけてテノールの声音が言葉を紡ぐ。
『ロストシードは本当に礼儀正しい子だから、おそらくもうそろそろ礼法のスキルの下級が習得できると思うよ』
「えっ! もう下級が習得できるのですか!?」
『君のずいぶん様になってきた所作を見る限りは、ね』
驚愕の事実を唐突に告げられ、思わず声が跳ねた。
私の様子を微笑ましげに見つめながら、クインさんがそう答える。
『何回か、一礼でも練習するかい?』
次いだ提案に、私は真剣な表情でうなずく。
「ぜひとも、よろしくお願いいたします」
『あぁ、存分に』
――かくして、数回の練習ののち、しゃらんと美しい効果音が響いた。
[《エルフの礼儀作法 下級》]と空中に刻まれた文字を見やり、クインさんに微笑みながら伝える。
「クインさん、無事下級を習得できました。お付き合いいただき、ありがとうございます」
『あぁ、良かったね。せっかくだから、内容を確認してみるといいよ』
「分かりました」
優しくうながされ、灰色の石盤を開いてスキルの内容を確認する。
[エルフ式の礼儀作法の習熟度の向上および、自然体での洗練さにすこし磨きがかかる。このスキルを習得することで、優雅で上品な所作を自然体でできるようになる他、意識をした際に美しさが増す。常時発動型スキル]
そう書かれていた内容に、クインさんが確認するようにとうながしてくれた意図を察した。
ぱっと石盤から顔を上げ、若葉色の瞳を見つめる。
「下級では、自然体での所作も洗練するのですね!」
『そうだよ。意欲のあるロストシードに、ふさわしいスキルだ』
緑の瞳を輝かせる心持ちで紡ぐと、穏やかながらも確信に満ちた声音が返ってきた。
――本当にクインさんには、敵わない。当然、いい意味で。
このよき学びにふさわしい振る舞いを、心がけよう。
不思議と心なしか優雅に思える動作に、口元をほころばせながら、もう一度できるかぎり美しい一礼を、クインさんへと捧げた。




