三百三十一話 まどろみに別れを告げて
※飯テロ注意報、発令回です!
鮮やかな橙色の夕陽が射すパルの街を、いろいろ思うところはありつつも楽しんだ戦闘の疲れを癒すべく、宿屋まどろみのとまり木に向かってゆったりと足を進める。
すでに現実世界では昼前のこの時間が終わるまでに、蔓造りの宿屋ですませておかなくてはいけないことがあった。
昨夜のアトリエ【紡ぎ人】のクラン部屋にて、メンバーのみなさんと決めた拠点替えにともない――宿屋も、パルの街からトリアの街へと移すことを、すでに決めている。
となると、することは一つ。
今までお世話になっていた宿屋、まどろみのとまり木の女将さんへの、ご挨拶だ!
たどり着いた蔓造りの宿屋へと入り込み、ちょうど食事どきがはじまる手前にと、テーブルを拭いていた女将さんへ声をかける。
「女将さん。今少し、お時間をいただけますか?」
『あら、どうかいたしました?』
私の言葉に、ぱたりと透明な翅をゆらしてそう応え、くるりと振り向いてくださったフェアリー族の女将さんと、やわらかな微笑みを交わしながら、本題を伝える。
「長らくお世話になっておりましたが、実はこの度、トリアの街へ移ることに決めまして……」
『あらあら……まぁまぁ!』
私が紡いだ言葉に、碧の瞳を見開き、手を口元にそえて驚く女将さんは、しかしすぐにうふふと上品に、どこか嬉しげな笑みを零した。
『ついにロストシードさんも、あちらの街へお移りになるのね。とてもおめでたいことですわ』
にこにこと笑顔でそう語る女将さんの声音は優しく、ついこちらまで微笑みが深まる。
客が一人減ることよりも、私の旅立ちを祝福してくださっているのだと分かる言葉に、感謝の意を示すべくエルフ式の一礼をおこなった後。
お宿を引き払う前にと、女将さんにお願いを紡ぐ。
「お支払いをする前に、また女将さんの手料理を頂きたいのですが……このお野菜を、使っていただいくことは出来ますか?」
問いかけながらカバンから取り出したのは、以前の畑に水をまくという内容の依頼の報酬にもらった、お野菜。
いつ、どのような機会でお料理として使っていただくか悩んでいたこのお野菜たちの出番は、まさに今だと確信した。
私が差し出したお野菜をやわらかな碧の瞳に映し、ふわりとまた嬉しげに女将さんが笑う。
『まぁまぁ! もちろんですわ。とびきり美味しくつくりますから、席で待っていてくださいな』
「はい! よろしくお願いいたします」
ありがたいことに、心強い言葉と共にお野菜は女将さんの手へと渡り、料理をはじめるためにと女将さんはカウンターの奥へと空中をすぅっと移動していく。
その背中を見送り、女将さんのお言葉通り、カウンター前に並ぶ椅子の一つへと腰かけて、また女将さんの手料理を味わうことの出来る喜びに微笑む。
ゆっくりと流れてくる美味しい香りに、はやる気持ちを抑えながら待つことしばし。
『できましたよ、ロストシードさん。さぁさぁ、召し上がれ』
「ありがとうございます! 味わって頂きます!」
『ほかほかごはん~~!!!!』
料理を持って来てくださった笑顔の女将さんに、心からの感謝を込めて言葉を返し、あたたかな湯気とたわむれる小さな四色の精霊さんたちに笑みを零して――食前の作法をおこなう。
瞳を閉じ、左右の掌を胸の中央に重ね当て、そっと一言。
「――恵みに感謝を」
つづけて小さく頂きますを呟き、緑の瞳に並べてくださった料理を映す。
以前の依頼の報酬としてもらったお野菜は、今回女将さんの手腕によって、おそらく草原鳥のものであろう肉を加えた、炒め物へと姿を変えていた。
美味しそうな肉と野菜の炒め物からは、つくりたての証である湯気がほかほかと立ち、コショウのような香りがただよってくる。
共に食べるようにと並べていただいた、丸い茶色のパンからも好い香りが嗅覚として再現されていて、自然と頬がゆるむ。
香りを楽しんだその後は、もちろん味を楽しむものだろう!
いそいそと手にしたフォークで、肉と野菜を刺して、さっそく口に運ぶ。
肉のうま味、野菜のシャキシャキ感とやわらかさ、そして塩コショウのシンプルな味付けの絶妙さ……!
もぐもぐと一口分をよく味わい、喉へと送ったのち。
「女将さん! とっても美味しいです!!」
そう、思わず美味の感想を伝えずには、いられなかった!!
感想を伝えられた女将さんはと言うと、カウンターの奥で他のお客さんの食事をつくりながら、『あらあらまぁまぁ』と嬉しげに笑っていらっしゃる。
お互いに満面の笑みを交わし、頬がゆるむ美味しさの炒め物とパンを一緒にゆっくりと堪能していく。
やがて――心温まる料理の最後の一口を楽しみ、食事を終えて、満足さに吐息をついた。
からになったお皿へと、つい名残惜しさを視線の形で注ぎながらも、女将さんへ再度美味しかったことを伝える。
それから、流れるように導かれた受付用の長机にて、長期宿泊のお代をしっかりとお支払いして、宿部屋を引き払った。
一抹のさみしさを胸に灯しながらも、女将さんへと言葉を紡ぐ。
「まどろみのとまり木は、本当にとても素敵なお宿でした。女将さん、たいへんお世話になりました」
左手を右胸へと当て、丁寧に言葉を重ねた私に、透明な翅をゆらした女将さんが美しく微笑む。
『こちらこそ、長期の宿泊、ありがとう。またいつでも泊まりにいらしてくださいね』
「――えぇ。また」
また、いつの日か。
そう思いながら、エルフの里の家々を思わせる、蔓造りの宿屋を後にして、夕陽が照らす大通りを歩いて行く。
「そろそろまた空へ戻る時間ですので、神殿の宿部屋でひと休みいたしましょう」
『はぁ~~い!!!!』
小さな四色の精霊さんたちにこの後のログアウトをお伝えして、中央の噴水広場を抜け、白亜の神殿へ。
夕方の時間でも多くの人々が集う広間を進み、二階のあいている宿部屋へと入り込むと、各種魔法を解除して小さな多色と水の精霊さんたちを見送り、ベッドへと横になる。
『またね!!!! しーどりあ~!!!!』
「えぇ、みなさん。またすぐに戻ってまいりますね」
『うんっ!!!! まってる~~!!!!』
胸元でぽよっと軽く跳ねた小さな四色の精霊さんたちに微笑みを返し――女将さんの手料理の味を思い返しながら、現実世界でも昼食をとるためにと、ログアウトを紡いだ。
※明日は、主人公とは別のプレイヤー視点の、
・幕間のお話
を投稿します。




