二百五十三話 偏屈錬金術師と珍品錬金薬
小さな苦笑を引っ込めて、石畳を歩くことしばし。
パルの街の最初の噴水広場の先にある、転送の神物ワープポルタへと近づき、蒼く輝く球体へと迷いなく手をかざす。
トリアの街へ、と念じた瞬間に眩く放たれた蒼光に瞳を閉じ、ふわりとした浮遊感ののち、開いた緑の瞳には宵闇に彩られた、どことなく武骨な雰囲気を持つトリアの街が映った。
中央の噴水広場をぐるりと見やり、おつかいクエストの簡易的な地図に書かれていた、目的地へと足を踏み出す。
地図に記されていたのは、パルの街では書館がある通りに作業部屋のような建物が建つ、職人通りのさらに奥まった場所。
響いたり光ったりして見える、職人たちのさまざまな作業の様子を垣間見つつ通りを進むと、古い岩造りの家の前で足を止める。
ここが、目的地で間違いない。
ふわりと外まで流れてきているのは、植物の香りのようだ。
そっと丈夫な木製の扉を開くと、とたんにその香りが強くなる。
丁寧に扉を閉めながら、石の壁と床を持つ広い部屋へと入り込んだ――刹那。
『誰じゃ』
「っ! お邪魔いたします! 冒険者ギルドからの納品依頼でまいりました」
唐突に硬く不機嫌そうに響いた、年老いた男性の声に思わず驚きで肩を跳ねさせつつも、なんとかおとずれた目的を伝える。
さまざまな素材や小瓶が棚に並び、床にまで置かれている部屋の奥で、机の向こう側からこちらを振り向いた鋭い眼差しが、じぃっと見定めるように注がれた。
反射的に背筋を伸ばし、ことさら上品さを意識して、長く波打つ白髪をもつ老年の男性のもとへと歩みよる。
石の机をへだてて、錬金術師とおぼしきお爺様へと、優雅にエルフ式の一礼を一つ。
「私はロストシードと申します。パルの街の冒険者ギルドにて、ノクスティッラの納品依頼をうけ、こちらへとまいりました。どうぞ、こちらをご確認ください」
穏やかに、しかしはっきりと聴こえやすい口調で要件を紡ぎ、カバンから取り出した冒険者の証であるプレートと依頼紙、三本の小瓶を机の上へ置くと、お爺様はすぐさま小瓶を一つ手に取り、つぶさに観察をはじめた。
三本しかない小瓶をよくよく見つめ、細かくご自身が指定したのであろう必要量にたっしているかどうかを確認する様子から、シルアさんが言いかけたのは偏屈という表現だったのだろうかと、おおかたの当たりをつけつつ黙して見守る。
あのシルアさんがそう表現しかけるほどなのだから、もしかすると偏屈錬金術師というような呼び名で、冒険者ギルドでは知られているかたなのかもしれない。
……それにしても、お爺様の真剣な眼差しを見ていると、錬金薬の素材をとても重要視しているように感じる。
であればむしろこの真摯さは、私も一人の錬金術師として学ぶもののように思えた。
錬金技術も大切だが、たしかに素材そのものの質なども、完成する錬金薬の性能に影響を与えるものなのだろう。
改めて得た学びを静かにかみしめていると、小瓶の中身を確認し終わったのか、ふいにするどい銀の瞳と視線が合った。
『よかろう。帰って報酬を貰うがいい』
「ありがとうございます」
表情はやはりご機嫌斜めの形ではあったものの、声音には不服さが含まれていなかったことから判断して、さいわいにもこのノクスティッラの納品依頼は成功したらしい。
微笑みながら感謝を紡ぐと、机の上に広げていた依頼紙に受け取った旨が記されていく。
ちらりと見やった机の上には、他にもノクスティッラとおぼしき液体が入った小瓶が数本置かれており、その隣には深夜の星空のような、闇色に銀の粒が煌く美しい液体を満たした瓶が並んでいた。
この美しい錬金薬が、ノクスティッラを素材としてつくられたものなのだろうか……?
ふいに湧き出た好奇心に、自然と口角が上がる。
気難しいかたなのかもしれないが、そこはかとなくロマンを感じる不思議な錬金薬を目の前にして、気になることを問いかけないという選択肢は――私には、ない!
興味が胸に満ちるまま、錬金術師のお爺様へと、そっと問いかけてみる。
「こちらの美しい星空色の錬金薬が、ノクスティッラを使った錬金薬なのでしょうか?」
依頼紙に文言を書き終え、私の問いに顔を上げたお爺様がじぃっと私へと注ぐ眼差しに、煌めく緑の瞳と好奇心を宿した笑顔でお応えすると、スッと銀の瞳がさらにするどさを増した。
……さすがに、質問をしてみるのは無謀だったかもしれない。
しかし、そう不安に思ったのは、ほんの一瞬。
眼前にて、素早く視線を外したお爺様が机の端に置いていた、古い一冊の小さな本を持ち上げてこちらへと差し出してくださったことで、歓喜に変わった。
『今ここで読んで憶えるのなら、貸そう』
「なんと! ありがとうございます! すぐに憶えますね!」
タイトルが書かれていない、古い本を受け取り、満面の笑みでお礼を伝えると、お爺様は、フンッと不服そうに鼻を鳴らす。
『……別に、急ぐ必要はない。そこの椅子にでも腰かけて読め』
「――はい! それでは、お言葉に甘えまして、じっくりと読ませていただきますね」
『……フンッ』
小さく、『シードリアは変わり者しかいないのか?』と小さな疑問の呟きが聴こえたような気がするけれど、ここは聴かなかったことにして。
さっそくと、しわの刻まれた指先で示された近くの椅子に腰かけ、古い小さな本を開いてみる。
最初に緑の瞳に映った荒々しげな文字は、依頼紙の文字ととてもよく似ており、この本の作者も依頼紙の書き手も錬金術師のお爺様なのだろうと察しつつ、内容を読み込んで行く。
古い手書きの本の中には、さまざまな何やら珍しげな錬金薬についての記述が、びっしりと書き込まれていた。
ノクスティッラの他にも、希少であったり採取が難しかったりする錬金素材と、それらを使った錬金薬の製法や効能が書かれており、興味深い内容に心が躍る。
当のノクスティッラはと言うと、夕陽が落ち切った夜のはじまりの時間から夜明けの時間に限り、闇属性の各種魔法の効能を上げる効果をもつポーションの材料だったということが判明し、そのロマンある響きにますます胸が高鳴った。
しっかりスキル《瞬間記憶》で記憶して読み終えた本をお爺様へと戻すと、実際にノクスティッラを使ったポーションづくりを見学させていただけないか、尋ねてみる。
眼差しと表情こそ厳しいものだったものの、すぐさま作業を開始してくださるお爺様は、本当はとても心優しいかたに違いない!
かすかに光る透明なノクスティッラと魔力水を混ぜ、ことさら丁寧に融解、拡散、そして精錬とつづく一連の錬金術を披露してくださる。
お爺様の錬金術は、アード先生のような見惚れる手際で、ポーションが完成した際には思わず拍手を打ち鳴らしてしまった。
それにまたもや鼻を鳴らしたお爺様は、しかし『見本じゃ』とだけ短く告げ、私に完成したノクスティッラのポーションを渡してくださるのだから、やはりどう考えてもとても親切なかただと思う!
さすがにお金をお支払いしようと、慌ててカバンから銅貨や銀貨を掴み出すと、逆に忘れかけていた冒険者の証のプレートと依頼紙を押し付けるように持たせてくださり、今度はこちらを見もせずに、帰れと言うように手が振られた。
なんともありがたい見本をいただいてしまい、内心たいへん恐縮しながらも、せめてもとお爺様に丁寧な一礼をおこなってから、岩の家を出る。
宵の口の青い夜空が照らす石畳の通路から、少しだけ岩の家を振り返り、改めて思った。
――人は見かけによらないもので、ウワサは自身の目と耳で判断するものだ、と。




