二十四話 準備運動は念入りに
この夜の時間には、きっと他にも多くの学びがあるはずだ。
ならば――手始めに、準備運動でもしてみようか。
そう思い立ち、すぐに行動を開始する。
まずは《魔力放出》に次いで《付与属性魔法操作》と共に持続的な付与魔法〈オリジナル:敏速を与えし風の付与〉を発動。
暗闇の中ではあまり目立たない、銀色のそよ風が両脚にまとわりつく。
これで、より速い動きが可能になったはずだ。
果たしてこの状態で、素早く、樹々にぶつかることなく夜の森を駆けることができるのだろうか?
予想では、《軽体》と《夜目》をもってすれば、不可能ではないと考えている。
ふっと笑みをうかべ、好奇心のおもむくまま、検証開始!
「精霊のみなさん、私につかまっていてください!」
『は~い!』
『ぴたり!』
『つかまったよ~!』
「――では、走ります!」
三色の下級精霊のみなさんが肩と頭に止まったのを合図に、タッと軽やかに地を蹴る。
抵抗感なく、あまりにもたやすく身軽に、ザァッと景色が流れた。
さいわいにも予想は当たっており、樹々にぶつかることなく間を自然と身体がぬい、前へ前へとまるで乗り物に乗っているかのような速さで森の中を進んでいく。
これは純粋に、楽しい!!
「わ、わ! これは凄いですね! 問題なく走っていけます!」
『わ~~! はや~い!』
『しーどりあがぼくたちみたいにはやい!』
『びゅ~ん!』
楽しさに零した声に、三色の精霊のみなさんも肩や頭の上から振り落とされることなく、そう楽しそうに声を響かせている。
ぼくたちみたいにはやい、と言ったのはおそらく風の下級精霊さんだろう。
精霊さんと同じ視点を見ることができるとは、なんとも嬉しい学びだ。
暗い闇に沈んだ森の中、進み過ぎないように一定範囲を進んだり戻ったりと往復しながら、風を切る速さを楽しむ。
この暗さの森の中で、これほどまでに速く駆けることができる楽しさは、まさに夜にしか感じられないものだろう。
夜風の涼しさの中、ひとしきりその楽しさを満喫し、樹々の枝から枝へ優雅に飛び移るのにも慣れた頃。
トッと軽く大地を踏みしめるだけで風を切っていた身体の動きを止め、走り始めた地点より少し先に進んだ場所で足を止めた。
息が上がっているわけでも、身体に疲れが出ているわけでもないが……少々、遊びすぎた気はする。
とは言え、視界の左端にある魔力ゲージは相変わらず消費量よりも自然回復量のほうが多く、〈ラ・フィ・フリュー〉と〈オリジナル:敏速を与えし風の付与〉の二つの魔法を並行発動していても、全回復できていた。
減っていてはこれからの戦闘に支障が出るので、それ自体はありがたいことだ。
しかし、今回の《軽体》といい、魔力の自然回復量といい、やはり種族特性はとんでもない代物だと思う。
改めて隠しわざの凄さを実感しながら、一度ぐっと伸びをする。
ひとまず身体の動きとしての高速移動には、身体も目も慣れた。
しかし、これはあくまでもただの移動や回避に使える動作に過ぎない。
「これだけでは、戦闘時では距離を取ることや攻撃を回避することにしか、使えませんよね……」
ぽつりと呟き、うーんと悩ましく空を見上げる。
重なり合う葉のわずかな隙間から、星々の明かりが遠くに煌く様が見えた。
ほぅ、と吐息が零れる。
この美しい星空を眺めながら思考するのであれば、良い考えもうかぶだろう。
トンっと地を蹴り、一本の巨樹の枝に飛び乗り、そこへと腰を下ろす。
幹に背をあずけ、魔法使いとしての戦闘に必要な要素は何か、考えてみる。
「シエランシアさんがご教授くださった心得では、事前に準備できるものは仕込んでおく、というものがありましたね」
とは言え、これはすでにしていることだ。
全ての魔法の安定性と威力を少し向上させる精霊魔法〈ラ・フィ・フリュー〉は、今も問題なく持続発動中。
その他に事前に準備できると言えば、二段階の魔法操作が可能なオリジナル魔法の、一段階にあたる魔法展開をしておくこと、くらいだろうか?
――と、そこまで考え、あることを閃く。
「そうでした! そもそも、動きながら魔法が使えないとお話しになりませんよ!」
『うごく~?』
『うごいて、まほうもうつの~?』
『なになに~?』
「ええっと、魔物と戦うのであれば、距離を取ったり攻撃を避けたりしながら、魔法を使わないといけないのだと思いまして……」
いきなり発した私の言葉に、疑問符を飛ばしている三色の精霊のみなさんへ、そう説明をする。
ふた昔前どころか、そのさらに前の時代から、魔法使いと言えばというイメージは色々とあふれているものだが、単身で戦う魔法使いが棒立ちで戦闘をするというのは、さすがにありえないだろうと思ったのだ。
いや、たとえば私が圧倒的な強者であったのならば、戦場でその場から一歩も動かずに敵を殲滅することもできたかもしれない。
しかし、少なくとも現状はただのレベル一の、初陣もこれからな魔法使いにすぎないのだ。
伸びしろは大いにあるが、現時点で単身魔物と戦う際、身体を動かす必要もなくあっさりと倒せるとは、考えないほうがいいだろう。
もちろん、複数人と協力関係のもと魔物と対峙するのであれば、また話は変わってくるのだが……。
それかけた思考を引き戻し、物は試しと立ち上がる。
「エルフたる者、うっかり森林破壊は望ましくないので、試すにしても攻撃系の魔法は使えませんから……土の防御魔法を使いましょう!」
そこはかとない使命感と共に魔法を選定したところで、再度三色の精霊のみなさんに声かけもおこなう。
「みなさん、お次は動きながら魔法を発動できるかの確認をします。また私につかまっていていただけますか?」
『は~い!』
『つかまるの~!』
『ぴた!』
「ふふっ、ありがとうございます」
幼い声音で返事をしながらくっついてくれる精霊のみなさんが可愛らしく、ついつい笑みが零れてしまった。
この書庫からの付き合いである三色の下級精霊さんたちが、いつまで私のそばにいてくれるのかは分からないが、そばにいてくれる間は一緒にこの大地での出来事を楽しんでいきたいものだ。
うかんだ微笑みをそのままに、意識を切り替える。
足場にしていた枝を蹴り、優雅で軽やかに別の枝へと着地。この動作の中に、魔法の発動を入れ込む。
トンっと枝を蹴り、ふわりとした浮遊感の中、前方の下に見える大地を意識して――〈オリジナル:大地よりいずる土の盾〉を発動。
危なげなく前方の枝へと着地し、幹に片手をそえて眼下を見やると、大地からいでてそびえ立った土の盾が見事に鎮座していた。
――大成功、と言えるだろう。
『わ~いできた~!』
『しーどりあ、まほうつかえたね!』
『じょうず~!』
「えぇ、ありがとうございます。無事に成功しましたね」
私が喜びの声を上げる前に、三色の精霊さんたちが楽しげに声を上げる。
それに言葉とうなずきを返しながら、じっと小さな壁のように立つ土の盾を見つめた。
発動自体に問題はなかったが、これはまだたった一度の成功にすぎない。
さいわいにも、オリジナル魔法は無詠唱で発動できるため、動作時にはどうしても不安定になる詠唱の発音問題などは横に置くことができるが、むしろだからこそ感覚やイメージは重要になってくる。
「魔法使いたるもの、魔法の確実な発動と敵へ届かせる意識は忘れずに、でしたか」
シエランシアさんの言葉を思い出し、気を引き締める。
はじめての戦闘で華麗な勝利をおさめるためにも、ここは練習あるのみだ。
消えるようにイメージし、サッと土の盾へと振った右手で、かすかな星明かりを受けた手飾りが煌く。
さらさらと砂のように崩れ、闇に消えた土の盾のあとには、変わらない地面があるのみ。
魔法の消し方も、これで把握できた。
ふわりふわりと枝から枝へ跳躍しつつ、土の盾を作っては消しを繰り返していく。
これだけならば、あとは魔物に狙いを定めることを十分に意識できれば問題ない、というところまですぐに慣れることができた。
問題は、高速移動を可能にする風の付与魔法をかけた状態から跳躍し、空中で魔法を消しつつ土の盾を新たに出現させる、という動きになると、格段に魔法操作がせわしなくなる点だった。
「こ、これは……思ったよりも大変ですね……」
『がんばれ~しーどりあ~!』
『じょうずだよ~!』
『できてるよ~!』
「あ、ありがとうございます……」
ぜぇはぁ、とは言わないまでも、魔法の発動と消去とを繰り返す忙しさに、呼吸を繰り返す。
実際には息切れなどはしないのだが、気分の問題上このような状態になる場合もある。
あくまで、気分の問題だが。
ふぅ、と息を吐き、膝に両手をついてかがめていた背中を伸ばして、深呼吸を一つ。
この忙しい魔法の扱いに、今の段階――もとい、初日時点で慣れておくことは、これから先の長い大地での旅路できっと役に立つだろう。
と言うより、役に立たないはずがない。
なにせ、この先も魔法使いとして、戦闘時には多くの魔法を使って戦うのだから。
どれほど並行して魔法を使えるようになったとしても、それならばとさらに使う魔法を追加する自身の姿が透けて見える……とも言う。
「……よし。要するには、慣れてしまえば良いのですよ」
――未知に対して好奇心を抱き、困難な物事にこそ楽しみを見いだす。
我ながら、ずいぶんと物好きな性格をしているとは思うが、こればかりは性分なので仕方がない。
口元にうかべるのは、シエランシアさんお得意の、不敵な微笑み。
タッと地面を蹴り、練習を再開してから忙しい魔法のあつかいに慣れるまで、ひたすら念入りに練習を繰り返す。
満足できるところまで慣れた頃には、夜は深まり、さらなる闇色を大地にもたらしていた。




