二十三話 夜には夜の学びがある
かっこよく不敵に笑むシエランシアさんから、ハーブスライムの討伐依頼紙を受け取ると、それをカバンにしまいこむ。
ハーブスライムはこの広場の奥の森をまっすぐ進んだところにいるらしい。
迷子になることもなさそうなので、さっそく森へ入ろうと思い、意気揚々と足を踏み出した時。
暗い青に、それでもまだ薄明るく照らされていた広場に、さあっと夜の闇が下りた。
空を見上げると、先ほどまでは暗い青が広がっていた夜空に、銀に煌く星々を飾った紺色混じりの黒い空があった。
どうやら宵の口から、本格的な夜へと時間が移ろったらしい。
夜のはじまりの暗い青の空も美しかったが、星空もまた煌きがなんとも綺麗なものだ。
少しだけその美しさを楽しみ、しかしと前方へと視線を戻す。
夜空で輝く星々は、残念ながら大地の足元を照らすほどにはその光を地上へ届けてはいないようだ。
闇色が満ちた森の中では、うっすらと遠方に樹々が並んでいる様子が見て取れるだけで、あとは広場の中央で見知らぬシードリアが撃った魔法が輝くのみ。
いや、すぐそばで三色の下級精霊のみなさんは、変わらずほのかな輝きを放っているのだが、その小さな光源だけで夜の森を進めるのかは定かではない。
思ったよりも暗がりに満ちてしまった森を見つめ、どうしようかと考えていると、後方からシエランシアさんの声が響いた。
『夜の森は危険度が高くなるが、夜にしか得られない学びもあるだろう』
その言葉に後ろを振り向くと、ひらりと左手が振られる。
どうやらシエランシアさんと残り二人の指南役のみなさんが、直接ご教授してくれる時間は、宵の口までだったらしい。
広場の隣にあったすこし大きめの蔓の家に、三人は静かに入って行った。
それを見送り、小さく呟きを零す。
「夜にしか得られない学び、ですか……」
『もりにいく~?』
『すらいむとたたかう~?』
『おてつだいするよ~!』
シエランシアさんが去り際に伝えてくれた言葉を繰り返すと、それに反応した三色の精霊のみなさんがそわそわとたずねてくる。
それに、小さくうなずきを返す。
少し暗くて見えづらくなったからと言って、足を止める必要はない。
夜ならではの楽しみも、きっといたるところにあるはずだ。
ふわりと、自然に口元に微笑みが戻る。
三色の精霊のみなさんを見つめ、今度こそはっきりと答えた。
「えぇ、行きましょう――夜の森へ!」
好奇心のままにそう告げると、もはや定位置となりつつある私の肩や頭に、精霊のみなさんが留まる。
夜闇の中をゆっくりと、広場の奥を目指して進むと、すぐに樹々が並ぶところへとたどり着いた。
こうして樹々のそばに近づくと、より植物の香りを感じる。
どこか心落ち着くその香りに、深呼吸を一つ。
覚悟を決めて、葉が空をおおっているがゆえにいっそう暗い闇の中へと踏み入る。
……しかし、驚くほど先の土道と変わりなく歩くことができ、少し拍子抜けしてしまった。
視界が良好なわけではない。ただ、見えづらくともどこに樹々が立っているのかはすぐに察知でき、ぶつかることはない。
これは、さすが多くの作品で森の子と呼ばれるエルフだ! と喜ぶところだろうか?
不思議なまでに快適に進む歩みにそのようなことを思いつつ、そう言えばと種族特性のことを思い出す。
あの一覧の中に、この快適な森歩きを実現できそうなものが、一つだけあった。
近くの巨樹にいったん背をあずけ、ステータスボードを開く。
不思議なことに、灰色の石盤の文字は周囲の暗さなど関係なく読めた。
種族特性の一覧からスキル《軽体》を見つけ、説明文を読み上げる。
「[非常に身軽で機敏な身体動作が可能。常時発動型スキル]、ですか……少し、試してみましょうか」
簡潔な説明文だけでは、詳しいことは分からない。
ならばと、目の前にある巨樹から伸びる太い枝に目をつける。
私の比較的高いはずの視点よりも幾分上にあるその枝めがけて、ぐっと踏み込み両手を伸ばす。
身軽な身体動作の確認として、両手でつかんでぶら下がってみようと思ったのだ。
しかし、細身の身体は軽々と空中へと浮き、あまりの身軽さに思わず手をかけた枝に身体を引きよせ――枝の上に登ることができてしまった。
「おぉ、なんと軽やかな……!」
『わ~! シードリアすご~い!』
『ふわってとんだよ~!』
『じょうず~!』
感動の呟きに、三色の精霊のみなさんからも声が上がる。
太い枝の上は思ったよりも安定して立つことができ、幹に手をそえて周囲を見下ろしてみても身体がゆれることはない。
思い切って、少し先のほうにあるこれまた太い枝へと、飛び移ってみた。
あえて、効果音をつけるとするなら、ひょい、とかぴょん、といったものがつきそうなほどに、軽やかにあっさりと目の前の枝に着地する。
これが《軽体》の身軽さで、間違いないだろう。
「これは……本当にエルフを選んで正解だったと思える素晴らしさです!」
胸にあふれた高揚感と共に、そう感動に打ち震える。
次はどの枝に飛び移ろうか、子供のように周囲を見回していると、ふいに聞き慣れたしゃらんという美しい効果音が鳴った。
驚きにまたたく間もなく、眼前にうかんだ文字は[《夜目》]というスキル名。
光の粒となって身体へ吸い込まれていくそれを見届け、再び石盤を開いて確認をする。
「ええっと……[《夜目》]は、[夜の世界を見慣れた目。暗闇を見通すことができる。常時発動型スキル]……なるほど」
瞬時に、現状の幸福を理解した。
どうやらようやく、夜の時間での自由を手に入れたらしい。
さっと見やった周囲は、確かに暗さは伴っていたが、先ほどまでより格段に闇の中にも何があるのか見通すことができた。
――これは、素晴らしいスキルを手に入れたのではないだろうか!
持ち上がった口角が、自然と笑みを形作る。
ふわっと軽やかに地面へと降り立つと、じっくりと近くの巨樹を見つめ、その幹のおうとつまで分かる様子に目を見開く。
シエランシアさんの言っていた、夜にしか得られない学びとは、まさにこのスキルのようなものを言っていたのかもしれない。
周囲をゆっくりと見て回る私の緑の瞳は、夜空の星に負けず、感動と好奇心に煌めいていることだろう。




