二百三十六話 魚が跳ねる親睦会
無事に一匹目の魚を、はじめての魚釣り体験で釣り上げたのち。
「さて、今回は誰が一番多く釣り上げることができるかな?」
ここからが本番だと言わんばかりに、そう意味深長な笑みをうかべて告げたロゼさんの言葉によって、第何回目かは分からないものの、サロン【ユグドラシルのお茶会】魚釣り大会が、流れるようにはじまった。
「負けませんことよ!!」
「わたしも、がんばりますっ!」
「おれだって、負けないからな!!」
「ほら、ロストシードも頑張って」
「え、えぇ」
つい、みなさんが意気込む様子に呆気に取られていた私にも、ロゼさんが声をかけてくださり、ひとまず再び糸を川に投げ入れて釣りを再開する。
私がまったりと糸をたらした川の流れを眺めている間に、横ではフローラお嬢様とアルテさんがさっそく薄紅魚を釣り上げたり、ルン君が岩におもりを引っかけてしまったり、とたんににぎやかさが増した。
見回した周囲でも、他のシードリアとおぼしきかたがたの釣竿がゆれ、たらした糸が沈み込んだ瞬間、くっと引かれた糸の先から薄紅魚が飛び出ている。
対岸で輝く笑顔に、つられてこちらまで微笑みが深くなった。
「みなさん、たくさんお魚を釣ることが出来ていますね」
『おさかないっぱい!!!!!』
「えぇ」
楽しさを宿して呟くと、小さな五色の精霊さんたちもわくわくに満ちた声音を響かせる。
それに穏やかなうなずきを返していると、隣でようやくルン君が引っかけた糸を解放することに成功したらしいロゼさんと、視線が合った。
どこかお茶目に小さく笑んだロゼさんに、どうしたのだろうかと小首をかしげると、ふいに空を見上げたロゼさんが口を開く。
「実は、この夜明けの時間帯には、幻の魚が釣れるって言うウワサがあるらしくてね。元々僕たちもそれ目当てで、この時間に釣りに行こうという話になっていたんだ」
「そうでしたか……では、このにぎわいも?」
「うん。みんな、幻の魚目当てかな」
「なるほど」
紡がれたロゼさんの言葉に、うなずきを返す。
ちょうど今は、幻想的な薄青の木漏れ日が森の中を彩る、夜明けの時間。
幻の魚が釣れるとウワサの時間帯ということで、集まった魚釣りを楽しむ多くの人々は、楽しげながらもやはり真剣な眼差しで川の流れのその奥を見つめている。
これは……私も、のんびり川の流れに糸を任せていては、いけないようだ。
幻、などと表現をされてしまうと、どうしても好奇心が湧いてしまう。
なにせ、神秘的なウワサには、それ相応の――ロマンが隠されているものなのだから!
ふっと笑みを深め、再度引き上げた糸を水面に投げ込む。
そうして、ようやく糸を狙ったところへと落とすのにも慣れてきたところで、変化があった。
突然、ぐっと糸が引かれる感覚に、慌ててゆるりと釣竿を握っていた両手に、力を込め直す。
明らかにしなった釣竿の様子に、これは大きな魚が引っかかったのだろうかと好奇心が湧き、そのまま強く糸を引っ張り上げ――その姿が水面から飛び出す手前で反応した《存在感知》に、思わず口を引き結ぶ。
ばしゃんっ! と水飛沫を上げ、糸を引き上げた結果と言うより、自力で水面からこちらへと勢いよく飛び出してきた姿が、魚の魔物だと認識した瞬間――スパッと銀線が閃いた。
反射的に眼前に放ったのは、〈オリジナル:無音なる風の一閃〉。
見事空中で魚肉となった、魚の姿をした魔物の素材が、そのまま水面へと落ちてしまう前に《同調魔力操作》でうかばせる。
あまりにも唐突な展開にさらりと幕を降ろし、ほっと安堵の吐息を零す。
「あぁ、驚きました。つい反射的に、さばいてしまいました」
「うん、普通は反射的にはさばけないと思うけどね」
「えっ?」
吐息に次いで零した言葉に、左隣からロゼさんのツッコミが入る。
思わず、紫紺の瞳と見つめ合ってしまった。
なぜか、周囲の人々からも唖然とした空気が伝わってくる。
……はて?
相手は魚の魔物なのだから、反射的にさばいてしまっても、問題はないはずなのだけれど……。
つい、ロゼさんと見つめ合ったまま首をかしげていると、ひょいっとルン君がロゼさんの後ろから顔をのぞかせた。
「さっきロスト兄が釣ったのって、ここでよく釣れる、アクアフィッシュって魔物だぜ!」
「アクアフィッシュ……なるほど」
ルン君の言葉に、そう言えばと記憶の中を探る。
たしかに、魔物図鑑に川の中から飛び出してくる、水色のウロコと銀色の尾びれをもつアクアフィッシュという魔物が記されていた。
つまり、残念ながらこれはよく釣れる魔物の魚なのだと、魚肉をそっとカバンにしまいながら納得する。
その間にも、左隣ではロゼさんとルン君の会話が進む。
「問題はそこではないのだけど……まぁ、いいか」
「どうしたんだ? 姐さん」
「いや、なんでもない。それより、もうすぐ朝になるよ。ルンは幻の魚を釣るって、意気込んでいただろう?」
「そうだった!!」
「わたくしたちも、幻の魚を釣り上げますわよ、アルテ!!」
「はいっ!」
最後はフローラお嬢様とアルテさんまで加わって、再び勢いづくみなさんに思わず笑みが零れた。
「ふふっ。私も、幻の魚を釣ることが出来るよう、はげみます!」
「あぁ。楽しんで、麗しのロストシード」
「はい!」
ロゼさんの愉快気な応援に笑顔でうなずき、再度糸を川へと投げ込む。
しばしのち、ぱぁっと切り替わった朝の時間のおとずれに、そこかしこから悔しげなため息と言葉が漏れ聞こえた。
どうやら、残念なことに今回は、釣り人の誰も幻の魚を釣り上げることができなかったらしい。
当然、私たち【ユグドラシルのお茶会】の面々にも、釣り上げた者はいなかった。
「あ~~っ! 今回もダメだったか~~!」
「悔しいですわね!!!」
「残念ですね……」
「今回こそは、誰かが釣ると思ったのだけどね」
盛大に悔しがるルン君とフローラお嬢様に、苦笑と共に言葉を返すアルテさんとロゼさん。
四人の素敵な仲間を見つめて微笑みながら、幻の魚と言うロマンとの出逢いは――まぁ、また機会があることだろう、と楽観的に考える。
それよりも、この魚釣りという名の親睦会こそ、私にとっては価値があるものなのだから。
――胸に満ちるのは、素直に楽しいと思う、純粋な喜び。
そのあたたかな感情に、一人のほほんとひたりながら、悔しさを糧に朝の時間いっぱいはたくさん魚を釣ろうと決めたみなさんに、うなずきを返すのだった。




