二百三十四話 遠足気分と煌く川
昼食を終え、【シードリアテイル】へとログインした直後、額に感じたふわふわとした感覚に、つい小さな笑みが零れた。
「ふふっ。小さな精霊のみなさん、ただいま戻りました」
『おかえりしーどりあ~~!!!!』
額の上で遊んでいたのか、それとも頭をなでてくださっていたのか。
額をくすぐっていた小さな四色の精霊さんたちは、すぐに私へとあいさつの声を響かせる。
可愛らしさに微笑みながら、蔓のハンモックから床へと降り立ち窓を見やると、はやくログインしたかいがあり、外はまだ深夜の時間の闇色に染まっていた。
これならば準備時間も含め、サロンのクラン部屋へとたどり着いた後に、集合の約束をした夜明けの時間になるだろう。
約束の時間の前に集合場所で待機しておくのは、礼儀正しいロストシードというシードリアにとって必須とも言える行動なので、遅れてしまうわけにはいかない。
一つうなずき、まずはといつもの精霊魔法とオリジナル魔法を発動して、小さな多色と水の精霊さんたちにご挨拶を紡ぎつつ、かくれんぼをお願いする。
次いで、魚釣りに行くとのことなので、白のローブから水属性と相性の良い水色のローブへと衣替えをおこなう。
その他の、今身にまとっている青いチュニックや薄茶色のズボン、それと黒の編み上げブーツは、それぞれ相性も良いのでそのまま着ておく。
艶やかな触り心地の、軽い水色の生地を楽しみ、それではと小さな四色の精霊さんたちへ声をかけた。
「それでは! 集合のお時間の前に、サロンのお部屋へとまいりましょう!」
『しゅっぱ~~つっ!!!!』
元気な出発の声と共に、宿屋を出て中央の噴水広場を通り抜け、書館が建つ通りを進んだ先の建物の中へ。
廊下の端にある木製の扉を開くと、つぶらな水色の瞳と視線が合った。
「あ!」
「おや」
同時にかすかな驚きを含んだ声を上げ、次いで微笑みを交し合う。
そのまま優雅に【ユグドラシルのお茶会】が借りているサロンのお部屋へと入り込むと、長机の定位置に腰かけて本を読んでいたアルテさんが、そっと本を閉じる様子が見えた。
……大切な読書の時間を邪魔してしまったのなら、申し訳ない限りなのだが、手早く本を片付けるアルテさんの姿からは、残念さは伝わってこない。
単純に、ヒマをつぶすために本を読んでいた、と言ったところだろうか。
アルテさんの対面の、私の定位置となった椅子へと腰かけて、穏やかに彼女へと紡ぐ。
「お早いですね、アルテさん」
「あっ、えっと、楽しみだったので、ついはやく来すぎてしまって! ……あ、でもロストシードさんも、おはやいです」
チラリと水色の視線が飛んだ先の空中には、おそらくアルテさんだけが見えるように設定された、現実世界の時間が刻まれているのだろう。
やわらかにうなずき、微笑みながら彼女の言葉に返事をする。
「えぇ。私も、みなさんと遊ぶ時間を楽しみに思うあまり、少々早くにこちらへ」
「わぁ、そうだったんですね!」
「はい」
少しだけ見開かれた水色の瞳が、一変してやわらかに細められるのを合図に、お互いが一緒に遊ぶことができるのを楽しみにしていたのだと知った嬉しさから、くすりと笑みを零し合う。
二人そろって、まるで遠足前の幼子のように楽しさで心が弾んでいることを自覚して、しばし小さな笑い声が部屋の中に響いた。
アルテさんとは、読書好きであること以外にも、似ているところがあるなぁ……などとのんきに考えている間に、フローラお嬢様とロゼさん、それにルン君が部屋の中でログイン時の金光を輝かせて、姿を現す。
全員が集合したことを確認したフローラお嬢様は、ぱっと扇子を開き、鮮やかな笑顔で告げた。
「さぁ、出発ですわ!!!」
――予定より少しばかり早い出発の合図に、キラリと全員の瞳が煌いたのは、言うまでもない。
まだ闇色に染まるパルの街を抜け、石門からノンパル草原へと踏み入ると、低い塀をたどって、パルの街の中では住宅街にあたるほうへと足を進めていく。
途中で夜明けの時間へと移り変わり、小さな光の精霊さんを迎え入れる様子をまじまじと観察されながらも、住宅街を抜けた先のほうの森の中にあるらしい、川を目指す。
塀の途切れた場所から広がっていた、水路が通った畑を横目に、ノンパル森林へと踏み入り進み――ようやく、目的の川へとたどり着いた。
「おぉ……これはまた、ずいぶんとにぎわっていますね」
「人気の、と言うより、現在唯一、本格的な魚釣りが楽しめる場所だからね」
「なるほど……」
眼前に広がる光景に驚き、思わず零した呟きに、ロゼさんがハスキーなお声で教えてくださる。
それにうなずきながら、魚釣りをする人々でにぎわう、大きな川を改めて眺めた。
広々とした川幅をもつ川の流れは比較的ゆるやかで、水面のゆらめきを反射して周囲の樹々が煌めいている。
その水面をのぞき込むと、所々鮮やかな緑の苔をまとう岩が水中から一部を突き出していて、近くの浅い水の中にはスイスイと泳ぐ小魚が見えた。
もう少し遠く、底が深くなっている川の中央を見やると、少し大きな魚も泳いでいる。
そこへと、釣り人のみなさんによってたらされた水の色と同化する水色の釣り糸が、水面と共に夜明けの光に煌いていて……なんだかとても、心惹かれる心地になった。
美しい川と好奇心を誘う光景に、緑の瞳まで煌く心地でそっと身をかがめ、魚釣りのお邪魔にならないように近くの浅い水面へと手を浸けてみる。
とたんに、波紋と共に澄んだ冷たい水の感覚が手に広がり、思わず口元の笑みが深まった。
身を起こして立ち上がり、深呼吸を一つ。
森の中に流れる川のそばにふさわしい、あたりに満ちる強い土と緑と水の香りを楽しみながら、一歩後ろで私を見守りつつも、それぞれに川へと視線を向けていたみなさんへと振り向く。
そろって向けられた異なる色を持つ瞳に緑の瞳を重ね、少しだけイタズラな響きを混ぜて、みなさんへとまだ伝えていなかった事実を、紡いだ。
「実は、はじめてなのです――魚釣り」
ぱちりと見開かれたそれぞれの瞳の奥に、束の間楽しげにゆれた色が見え、反射的に口角が上がる。
――さぁ、新しい体験を楽しもう!!




