二百二十六話 知識人に問いかけていわく
無事に浄化できた水の魔石を取り出し、つるりとした美しい球体を掌の上で転がす。
『きれい~! みんなも、ありがとうっていってるよ~!』
「えぇ。みなさん、ご無事で何よりです」
水の精霊さんの言葉通り、ふわふわといつの間にか噴水の内側から現れた小さな水の精霊さんたちが、嬉しそうにくるくると舞う様子に微笑む。
忘れない内にと、青の指輪に付与魔法をかけなおしてから、水の魔石をカバンにしまうと、ざわっと音が満ちた。
「――戻って、きましたか」
『みんないる!!!!』
周囲を見回すまでもなく、姿を消していた人々の姿と喧騒が、戻っている。
おそらくは、私たちのほうがここに帰ってきたのだろうと、思わず安堵の吐息が一つ、零れ落ちた。
しかし、それにしても今回の一件はあまりにも不明な点が多い。
別空間に、穢れの出現、それと穢れに染まった水の魔石……意味として理解できたのは、せいぜい泥人形との戦闘くらいだ。
このような謎を、一人で紐解くことは、さすがに困難だと言わざるを得ない。
――よし。ここは素直に、クインさんに助言を求めに行こう!
そうと決まれば、さっそく行動あるのみ!
「みなさん。今回の一件の謎につきましては、一度エルフの里に戻り、クインさんにおたずねしてみましょう」
『はぁ~い!!!!』
私の告げた方針に、元気に返事を響かせた精霊のみなさんへと笑いかけ、噴水の奥にあるワープポルタへと足を進める。
そっと片手をかざした蒼の球体が輝きを放つのに瞳を閉じ、次いで開けば、眼前に広がるのはエルフの里。
懐かしさを覚える、里の入り口近くへと、転送が完了していた。
「あぁ……やはりエルフの里は落ち着きますねぇ」
『おちつく~!!!!』
つい、のほほんと穏やかな心地で呟くと、小さな四色の精霊さんたちもぽよぽよと肩と頭の上で跳ねながら、同意を返してくれる。
それにうなずきながら、入り口から土道へと足を進め、土の感触を楽しみながらクインさんのもとへ。
葉をしげらせる巨樹の根本では、読書をする変わらないクインさんの姿があった。
「クインさん。ご無沙汰しております」
そっと声をかけると、文字を追っていた若葉色の瞳が、すぐにこちらを見上げる。
柔和な顔が、親しみのこもった、穏やかな笑顔を広げた。
『やぁ、もう帰ってきたのかい? ロストシード』
「えぇ。実は少々おたずねしたいことがありまして、一時的ではありますが、戻ってまいりました。……あ! よき朝に感謝を!」
美しいテノールの声に、事情の説明を返した後、すっかり失念していた朝のあいさつを付け加える。
慌ててあいさつをおこなった私の様子が面白かったのか、クインさんは楽しげに軽快な笑い声を上げた。
『あはは! よき朝に感謝を。君からの質問なら、大歓迎だよ』
「ありがとうございます!」
優しくありがたい言葉に感謝を紡ぎ、招かれたクインさんの隣で大樹の幹に背をあずけて、先の一件のあらましを伝える。
眩い朝の陽光の下、どうにも不明なことが多すぎて状況を理解できないため、クインさんは何かご存知ではないだろうかと問いかけた私を見つめ、珍しくクインさんはその表情をくもらせた。
『穢れを浄化できた、ということは、間違いないだろうね』
若葉色の瞳がちらりと、差し出していた私の掌の上を見る。
カバンから取り出して掌の上に乗せていた、この綺麗な球状の水の魔石は、さいわいにも浄化出来ているようだ。
「良かったです。お伝えした通り、初手では穢れに対して、浄化魔法の効き目が薄かったものですから……」
『あぁ。それほどまでに、濃い穢れだったのだろうね』
「なるほど……」
たしかに、初手であの穢れた黒霧が〈プルス〉の白光によって、少しは薄くなっていた理由として、濃い穢れを一応浄化出来ていたのだと考えるとつじつまが合う。
少しだけ薄められた穢れが、抵抗の形として泥人形となり、浄化魔法の使い手である私に戦いを挑んだ、と言ったところだろうか?
それならば、泥人形を倒してさらに力を弱めた穢れを、浄化して水の魔石の美しさを取り戻せたことにも、説明がつく。
今一度納得にうなずき、クインさんを見やると、しかしその表情はまだくもったまま。
……そう言えば、まだ根本的な謎が残っていた。
『ただ、どうしてその様なことが起こってしまったのか……これは、難問だ』
形のいい眉根をよせたクインさんの姿に、つい緑の瞳を見開いてしまう。
……クインさんでも、答えに迷うような出来事だったのか!
そう、まさにクインさんが呟いた、この一件が起こった原因が、謎のままなのだ。
うっかり驚愕に固まった私を見やり、クインさんの表情が申し訳なさそうなものへと変化する。
『ごめんね、ロストシード。こうして僕を頼って来てくれたのに、今回君に伝えることができるのは、推測だけのようだ』
「いえいえ! クインさんの推測を教えていただけるだけでも、私にとっては充分ありがたいことです!」
遠慮がちな声音で紡ぐクインさんに、慌ててそう返すと、ようやく柔和な顔に小さな微笑みが戻った。
笑みを取り戻したクインさんいわく、今回の件は誰かがこの水の魔石を穢したことからはじまった事件だろう、とのことで。
目的は、よくあるのは街を混乱におとしいれるためだとか、実験の検証のようなものだとか、いろいろとあるらしく。
いずれにせよ、少なからず悪意のある所業であることはたしかなので、私が浄化することができて良かった、と優しく微笑んでくださるクインさんに、微笑みを返す。
――もっとも、首謀者さえ見当がつかない現状では、この事件をさらに究明するために追いかけるということは難しいだろうとも、苦みを感じさせる声音で付け足されたけれど。
『うぅん……これも推測だけれど。もしかすると、何かが起こる前触れなのかもしれないな』
「何かが起こる、前触れ……ですか?」
さらに、小さくうなってそう紡ぐクインさんの言葉に、真剣な表情で問いかける。
若葉色の瞳が、ひたとこちらへと注ぐのを見返すと、クインさんは一つうなずいて言葉をつづけた。
『あぁ。大きな事件の前には、たいがいこういった事件が起こるものだからね。――くれぐれも、気をつけて冒険するんだよ、ロストシード』
「はい!」
導きを宿した言の葉に、凛と承知を返す。
静かに、何かがはじまる予感に湧き出た、小さな好奇心をそっと抑えながら。




