二百二話 商人の戦法と突然の声がけ
夜明けから移り変わった朝の時間のおとずれに、小さな闇の精霊さんがくるっと眼前で一回転をする。
『またね~! しーどりあ~!』
「はい。また夜の時間にお逢いいたしましょう、小さな闇の精霊さん」
『うんっ!』
しっかりとまたねを交し合い、ぱっと消える闇色の姿を見送ってから、さてと背中をあずけていた壁から身を離す。
朝の明るい陽光に照らされるノンパル草原に、緑の瞳を細め、石門へと歩みよりパルの街の中へと戻った。
お次は――商人ギルドへと行き、売れた商品があればその分の報酬の受け取りと、新しく技神様のお祈り部屋で製作した商品をお渡しして、また売っていただけるように手続きをしよう!
軽やかな足取りで石畳の大通りを戻り進み、金貨を乗せた天秤が刻まれた壁をもつ、商人ギルドの扉のない広い入り口をくぐる。
さまざまな商品がそこかしこに整えられて並んでいる様子は、初見ではなくともやはり驚きと感動を覚えてしまう。
以前向けられていた警戒するような鋭い視線が、今回は見守るような真摯さで注がれているのは、すでに私もこのギルドに登録をした者だから、だろうか?
少し不思議な心地になりながらも、広い部屋の少し奥にある長い石のカウンターへと歩みよると、濃い銀髪をゆらして立ち上がったフィードさんが、壁に並ぶ扉の一つへと導いてくれた。
素直に従い小部屋の中へ入ると、四角い机をへだてて互いに椅子へと腰かけ、いわゆる商談を開始する。
ただ商談と言っても、こちらは商品を提供して商人ギルドに自身のかわりに売ってもらう手続きをするだけなので、実にシンプルだ。
もちろん、このようなシンプルさなので、商人側にもギルド側にも不正などをおこなう余地はない。
もめてしまう可能性があるとすれば、せいぜい売値の相談時くらいだろう。
それさえ、可能性があると言うだけのことで、さほど金額にこだわっていない私と、誠実な対応をしてくださるフィードさんとの商談では、探り合いなど起こるはずもなく。
銀縁の楕円形型メガネの奥で、静かに私の顔と書類とを見るフィードさんの黒い瞳と、にらめっこをする必要性がそもそもないのだから、今回も問題なく商談は終わるだろう。
売れた分の報酬を受け取り、次いで新しい商品をお渡しして、さらさらと紙に必要事項を記せば、手続きは完了――と、思いきや。
『二種類の商品のことですが……』
そう、静かに切り出したフィードさんが、どことなく改まった様子でそっとメガネを押し上げたのを見て、思わず背筋を伸ばした。
何も問題などないと思っていたのだが……もしかして、実は商品に問題があったのだろうか!?
じわじわと広がっていく緊張感に、自然と口元を引き結ぶ。
真剣さを宿したフィードさんの黒い瞳が、ひたとこちらを見つめ――次いで、ふとなごやかに細められた。
虚を突かれたのは、ほんの一瞬。
『とても好評ですので、次回はぜひ、この倍の数をいただければ、と』
「わ、分かりました……!」
すぐに、そう紡いだフィードさんの整った微笑みの中に、そこはかとない圧を感じて、慌てて数回のうなずきと共に言葉を返す。
……さすが、商人ギルドで受付をしているだけのことはある、と感心なのか尊敬なのか、はたまた畏敬なのかあやしい感情が、胸中で波打つ。
とは言え、お願いされた内容自体は、商品の数を増やして欲しい、と言ういたって真面目なもの。
これに関しては、半ば反射的に返した了承で言質を取られているとしても、特別こちらに不利になるようなことはないと断言できる。
気圧されたように感じたのはたしかだったが、私にとっても商人ギルドにとっても利益の出る提案には、違いない。
落ち着いて考えてみれば、何も問題はなかったと気づくことができ、密やかに安堵の吐息を零す。
同時に、これが商人ギルドでお勤めをされていらっしゃるフィードさんの、いわゆる得意な戦法なのだろうなぁ、と察して、一瞬だけ視線を彼方へと飛ばした。
もっとも、お相手が対面にいる場で長く現実逃避をするわけにもいかないので、すぐに視線も意識も引き戻すことになったけれど。
『それでは、次回はぜひに』
「はい。忘れず倍の数を製作してまいります」
『感謝申し上げます』
「こちらこそ。商品のこと、どうぞよろしくお願いいたします」
『はい、お任せください』
丁寧に紡がれたフィードさんの言葉に、こちらも丁寧に穏やかな声音で返す。
最後はフィードさんと微笑みを交わして握手をおこない、今回の商談もなんとか無事に終わりを告げた。
小部屋から出て、疲れたようなほっとしたような心地で商人ギルドから大通りへ。
刹那――やけに近い距離で、石畳を鳴らす靴音が聞こえた。
「あのっ!」
真横で発せられた、焦ったような声に、反射的にそちらを振り向く。
焦げ茶色のお下げ髪が二本、肩をすぎてゆれるのを珍しく思いながら、銀の丸メガネをかけた薄い青緑色の瞳のエルフ族の少女に、ひとまずはと優雅に向き直り微笑む。
まっすぐにこちらへと注がれる力強い視線を見る限り、私に声をかけた、という認識で間違いはなさそうだ。
軽く小首をかしげながら、問いかけてみる。
「はい。私に何か、御用でしょうか?」
「っ!」
ハッとしたように、もしくは改めて緊張を感じたように、ぐっと背筋を伸ばした……おそらく、同じエルフ生まれのシードリアのかたであろう少女は、胸元で左右の手をそれぞれぎゅっと握りしめて、口を開く。
「あなたが、ロストシードさん、ですかっ!?」
「えぇ、はい。たしかに私はロストシードですが……?」
唐突な確認の言葉に、ぱちぱちと緑の瞳をまたたきながら、肯定を返す。
最後に疑問が混ざったのは、眼前に立つ少女に見覚えがなかったからだ。
はて? ともう一度小首をかしげる。
同じエルフのシードリアとは言え、少なくとも私にとっては、このかたとは間違いなく初対面のはず。
それがなぜ、いきなり名前を確認されているのだろう?
いや……このかたにとっても、私とは初対面だからこそ、名前を確認したのか。
束の間、混乱と納得の自問自答を脳内でくり広げながら、少女の次の言葉を待つ。
私の返答に、すーはーと手本のような深呼吸をしてみせた少女は、次の瞬間、薄い青緑の瞳を煌かせて。
「あたしのアトリエに入りませんかっ!?」
そう、紡いだ。
――なんですと?




