十九話 魔法の要を痴話喧嘩で聴く
食堂を後にし、宵の口と称するにふさわしい夜の空を見上げる。
かすかな涼しさを宿した夜風が、そよそよ心地好く金と白金色の長髪とマントの裾をゆらした。
食後の満足感と共にゆったりと歩を進め、広場を通りすぎていく。
この時間帯になると、広場で魔法の訓練をしているシードリアたちは数を減らしており、店が並んだ通りのほうがにぎわっているようだった。
私の足も、そのにぎやかさの中に向かって進む。
目指すは、一番広場に近い場所にある、杖のマークを蔓細工でつくり飾っている武器屋。
その隣には、弓と剣のマークが見えるが、そちらの武器屋には今のところ立ちよるつもりはない。
元々魔法特化型の戦闘スタイルにしようと考えていた上、お祈り部屋で十分な量の魔法を習得できたのだ。私が手にする武器は、やはり魔法関連の武器だろう。
そう思いながら杖のマークを飾った武器屋の前までくると、何やら店内が騒がしい。
思わず立ち止まり、耳を澄ませる――すると不思議とかすかに聞こえるていどだった声が大きくなって耳に届いた。
唐突にかすかに魔力が抜ける感覚と、意識の端で精霊魔法〈恩恵:シルフィ・リュース〉が発動したことが提示される。
これは、隠しわざである種族特性の一つに含まれていた精霊魔法だ。
さっと宵の口にも問題なく見える、灰色の石盤を眼前に出し、〈恩恵:シルフィ・リュース〉の説明を読む。
[恩恵により発動する、永続型の補助系精霊魔法。風の精霊の力で、遠き地の音を運び聞き取りやすくする。恩恵は他動的に発動するため、発動の制御は不可能]
そう書かれた文を見つめ、事前の情報収集で得た知識をかろうじて思い出した。
この恩恵とついた魔法は、珍しく貴重で便利な一方、自身での制御ができず、必要な時に必ずしも発動するわけではない点が欠点だと、事前の情報にはあった。
とは言え、今回に限っては問題なく音を届けてくれているらしく、確認作業をしつつも、耳にはたしかに店内の男女の言い争いが届いていた。
いわく。
『だーかーら! 威力なんてこの森では必要ないでしょう?』
『いいや、必要だ。戦いの場において、いつなんどき、何があるかなど分からないのだから』
とのこと。
それはまぁ、たしかに。
戦場に予想外の展開など、この大地でもつきものだろう。
思わずうなずく。
しかし話しの内容とは別に、なるほどと一つ納得したことがあった。
近くに見える他の店には、今もシードリアたちが出入りしている様子が見て取れる。
だというのに、なぜかこの店の前だけはがらんとしており、他のシードリアたちがいないことが不思議だったのだ。
……どうやら原因は、二人の男女のこの言い争いにあったらしい。
そっと横の壁にあたる場所まで立ち位置をずらして、耳を澄ます。
いくらこの店の近くには他のシードリアがいないとしても、入り口、それもこの店にはしっかりとつけられ閉じられている扉の前で佇むのは、邪魔になる可能性があるのでよしておこう。
……風の精霊さんたちのはからいとは言え、喧嘩を盗み聞きするのも、本来褒められたものではないが、入店するのであればさすがに機を見計らいたい。
言い合いはなおもつづく。
『だからこそ、安定性を高める手飾りのほうが良いのよ!』
『そうは言うがな……』
『いざって時に魔法が撃てなかったら、それこそ危険じゃない!』
なるほど、たしかに。
張り上げる女声の言い分にも、うなずく。
魔法関連の武器屋では、どうやら安定して魔法を撃てるようにすることが重要だと主張する女性と、魔法の威力が重要だと主張する男性の言い合いが、堂々巡りをしているようだった。
『だとしても、ここから先強き魔法使いとして開花していくだろうシードリアたちには、魔法使いの武器にふさわしい杖を早くからもち、そのあつかいに慣れてもらったほうがいい』
『強き魔法使いとして本当に開花したいのなら、早くから手にした方がいいのは、絶対こっち! 魔力そのものが安定化する、わたしの手飾りのほうよ! たしかに杖を持っての戦いに慣れるのも大切だけど、その前に魔力の安定性を高めることのほうが大切だわ!』
『だがな、杖と手飾りは二つ同時に使うことはできない。どちらか一方しか選べないのであれば、やはり杖をだな……』
『いーえ! 手飾りよ!』
どちらの言い分もとても分かりやすく理解でき、よき学びになる。
そう言えば、絶賛《隠蔽 一》で隠しながら持続発動中の〈ラ・フィ・フリュー〉。この精霊魔法の説明にも、[安定性と威力がすこし向上する]と書かれていた。
つまりは魔法にとって要と呼べるものは、その二つなのだろう。
なにせ、武器屋のおそらく店主や職人であろう二人が、言い争ってまで重要性を語っているのだから。
ちなみに、これもおそらくではあるが、いくら〈恩恵:シルフィ・リュース〉と言えど、他のシードリアたちの会話を遠くから盗み聞きする際には発動はしないはずだ。
ゲームの中だからこそ、プライベートは手厚く守護されている。この認識は、昨今ではしごく当然の考え方。
むしろだからこそ、言い争う男女がノンプレイヤーキャラクターだと推測できたとも言う。
――さて、しっかり上手いこと繰り返されている対立した会話も、もう三周目に入った。
二人の会話の中から魔法にとって大切な要素を学び、今後の方針も固まったところで、そうっと扉に近づき、蔓の取手を握って引く。
とたんに、青と黄緑の瞳がぱっと注がれた。
それにつとめて穏やかな微笑みをうかべる。
「こんばんは。買い物をしても……よろしいでしょうか?」
『もちろんよ! いらっしゃい!』
『もちろんだ。ようこそ』
綺麗に重なった歓迎の声に、思わず笑みが深まった。
同じように金の長髪を背に流す美しいエルフの男女は、やはりシードリアではなく、ノンプレイヤーキャラクターだ。
一時休戦、とばかりにお互いに視線を交わすと、青の瞳をもつ女性が近づいてきてくれる。
『ここは魔法を補助する武器の、手飾りと杖の店よ。わたしが手飾り、彼……わたしの夫が、杖を作っているの』
にこり、と綺麗な笑顔でそう女性が紡ぐと、杖を丁寧に立てかけなおしていた男性が振り向き、無表情ながらかるく会釈をしてくれた。
それに微笑みながら会釈を返しつつ、静かに驚く。
――まさかのご夫婦である。
ということは、さきほどの言い争いは、いわゆる痴話喧嘩のようなものだったのかもしれない。
あやうく若干微妙な表情になりかけたのを、強い意志で微笑みを上書きしてごまかす。
きっと、喧嘩するほど仲良しなご夫婦なのだろう。そう思っておく。
そんな私の内心の絶妙な葛藤を知ってか知らずか、奥さんのほうが無邪気な笑顔で問いかけてきた。
『あなたは魔法の安定性と威力、どちらが大切だと思う?』
『――手飾りは安定性、杖は威力を上げる武器だ』
すっと奥さんの横に、いつの間にか近づいてきていた旦那さんが並び、そう付け加える。
……もはやド直球の直接対決もかくや、という状況だ。
気分的にはそっと遠くへと視線を飛ばしたいところだったが、私の方針はすでに決まっており、その決断がゆらぐことはない。
少々姿勢をただしたのち、はっきりと二人に答える。
「私は、安定性が大切だと思いました。その……失礼ながら、外からお二人の話しを耳にしまして……その上で、私はいつなんどきも安定して魔法を使う魔法使いになりたいと思ったのです」
一息に言い切ってしまうと、ぱちり、とよく似た仕草で奥さんの青の瞳と、旦那さんの黄緑の瞳がまたたく。
二人は驚きに満ちた表情のまま、今一度お互いの顔を見つめ合うと、次いでにっこりと奥さんのほうが満面の笑みをうかべた。
そう――今回の痴話喧嘩の勝者は、奥さんのほうである。
かるく肩をすくめる旦那さんを横に、奥さんが勢いよく私のほうへ振り返ると、心底嬉しげに告げた。
『ステキな理解者に会えて嬉しいわ! わたしはマナンルル。夫はテルディーアよ。気軽にマナとかテルって呼んでちょうだい、シードリア!』
「こちらこそ、お会いできて嬉しいです。ロストシードと申します。マナさん、テルさん、どうぞよろしくお願いいたします」
使いなれてきたエルフ式の一礼をすると、ご夫婦そろって優雅に返礼をしてくれる。
以前から感じていたことだが、このエルフの里のみなさんは本当に礼の所作が美しい。
見惚れるほどの一礼に、私もいつかこのようにできるようになりたいという、純粋な憧れがすでにしっかりと芽生えている。こればかりは、実践あるのみ、だろう。
素敵な礼に小さく感動をおぼえていると、さっとマナさんが蔓の机の上を手で示す。
にっこりとした笑顔が、どうぞ存分に見て行って、と言っているように見えた。




