百九十五話 虹色の導きと古き魔法書
雨天から快晴へと戻るのと同時に、朝から昼へと時間が移る。
いっそう眩さを増し、雨天の名残の暗さを払った陽光に、こちらの気分までつられて高揚した。
「雨上がりも、素敵ですね」
『うん! みずもとばすよ~!』
「おや、ありがとうございます、小さな水の精霊さん」
『えへへ~! どういたしまして!』
笑顔で言葉を零すと、小さな水の精霊さんがくるりと身体を回り、水気を払ってくれる。
本当に、なんともありがたいことだ。
にこにことした笑顔のままお礼を伝えて、嬉しげに右肩へと戻る小さな姿を視線で追った後、かぶっていたフードを外し、内側に入れていた長髪を取り出してぱさっと背へ流す。
さて、足の向くまま進んだ結果とは言え、せっかく噴水広場に来たのだ。
この後は、ノクスティッラの採取依頼を報告する前に、一つ――好奇心がおもむくままの、古本屋探しに出かけよう!
キラリと緑の瞳を煌かせる気持ちで、小さな四色の精霊さんたちへと方針を紡ぐ。
「みなさん。ちょうど噴水広場に来ましたから、ここで少し、クインさんが教えてくださった古本を売るお店を探してみましょう!」
『ふるいほん~!!!! さがす~~!!!!』
ぽよぽよと跳ね、わくわくの気持ちを伝えてくれるみなさんに、ますます微笑みが深まる。
「では、まずは書館の通りから……!」
『しゅっぱ~~つ!!!!』
若干、狙った魔物と戦う時に似た、不敵な笑みがまざったのはご愛嬌。
さっそくと噴水広場から書館の通りへと踏み入り、貴族のかたがたの邸宅があるらしい、奥のほうにはいかないように気をつけつつ、周囲を見て回る。
書館の後ろ側につづく小さな裏路地をのぞき、右へ左へと伸びる道を進んでみたものの、それらしき店はない。
では反対側はどうだろうかと、裏路地から出て来て書館の対面側へと近づくと、突如鮮やかな虹色の光がサァ――と前方へ伸びた。
「これは!」
『わぁ~!!!!』
精霊のみなさんと一緒に小さく歓声を上げ、ニジイロアゲハ様から授かった《祝福:幸運の導き》の光を追う。
淡い虹色は、どうやらちょうど足を進める予定であった、カフェ[甘味処 フリュイ]側の路地裏に伸びているらしい。
キラキラとした煌きに導かれるまま、まっすぐに裏路地を進んで行くと、一軒の木製の家へとたどり着く。
その中へと入っていく虹色の光を確認し、次いで本を描いた看板がかかげられているのに気づいて、驚きと感動が胸中を満たす。
――まさか、発動した祝福が、探していた古本屋へ導いてくれるとは!
高揚と好奇心が湧く感覚に口元の笑みを深め、古びた扉をゆっくりと開く。
瞬間、樹と紙の本の香りが嗅覚として再現された。
『いらっしゃい』
「こんにちは」
奥から届いたしわがれた男性の声に、反射的にあいさつを返す。
入り口からでは姿が見えない声の主が、おそらくこの店の店主さんなのだろう。
他の客がいる気配のない静かな店内へと一歩踏み入り、扉を閉じてひとまず声が聞こえた奥へと歩みよる。
通路のように並ぶ本棚に、古い紙の本がずらりと収められているのをちらちらと眺めつつ進むと、突き当りの壁の近く、本棚に隠れるように奥まった場所で、白髪のご老人がゆったりと本のページをめくっていた。
すっと居住まいを正し、エルフ式の一礼をおこなう。
上げた顔をチラと見たヘーゼルの瞳は、深い知恵をたたえているような、凪いだ穏やかさを宿していた。
『好きに見ておいき。読むだけでも歓迎じゃよ』
「はい、ありがとうございます」
しわがれた穏やかな声で紡がれた言葉に、こちらも穏やかに返事をすると、店主とおぼしきお爺様は、一瞬だけやわらかにヘーゼルの瞳を細め、うなずいてくれる。
ゆったりとした所作で、また手元の本へと落ちた視線を見て、その読書の時間を邪魔しないよう、そろりと振り返り、店内の奥へと伸びている虹色の光を追う。
いくつかの本棚を横切り、壁側に並んだ本棚の中央付近へとつづく幸福の導きは、一冊の古ぼけた本を淡く輝かせていた。
ようやくその本の前へとたどり着くと、ふっと虹色の光が消え去る。
祝福に感謝をしながら、銀か灰色か迷う、ずいぶんと古い表紙の本を丁寧に棚から抜き取り視線を注いだ。
緑の糸で刺繍されたタイトルを見て、ぱちりと緑の瞳をまたたく。
[緑と風の中級魔法の魔法書]
たしかに、そう書かれている。
とっさに、あやうく開きかけた口を、気合いで閉じた。
代わりとばかりに、頭の中で叫ぶ。
――魔法書!! それはまさしく、ロマン!!
魔法の一覧などではなく、はっきりと魔法書と書かれた本に、ロマンを感じるのはもはや必然だ!
そわそわと動きはじめた小さな四色の精霊さんたちと共に、好奇心をあふれさせる素晴らしい本の表紙を、そろりと指先でつかむ。
深呼吸を、一つ。
わずかな緊張感と共に、ゆっくりと表紙を開き、じっくりと文字を読んでいく。
いわゆる魔法書が、この【シードリアテイル】にとってどのようなものであるのかは、実はまだ語り板でも詳しくは調べていなかった。
魔法書、という文字を見かけたことはあったものの、今後のお楽しみにと初見の楽しみを優先したことで、知識としては残念ながら役に立つものが頭の中にない。
それならば、本物を今まさに初見で楽しめばいいのだと、微笑みながら読み進めると……どうやらこの魔法書には、毒のある花弁や葉を強風で舞い踊らせ、中範囲一帯を毒状態にする、中級魔法の説明が書かれているようだった。
ずいぶんと丁寧に魔法発動後の光景が書かれていたため、思わずそのまま頭に明確なイメージをして――しゃらん、と鳴った美しい効果音に、ハッと眼前を見る。
ちょうど魔法書の真上の空間に、光りうかぶ文字。
[〈オリジナル:舞い踊る毒の花風〉]
どこからどう見ても、これはオリジナル魔法の表記だ。
あぁ――やってしまった!!
思わず、片手を額に押し当てる。
どうやら……買う前に、商品の効果を発動させてしまったらしい。
読むだけでも歓迎と言われたとはいえ、さすがにこれは買ってからするべき行為だったと、流れもしない冷や汗が背を伝うような心地に、小さくうめく。
素早く身をひるがえして、店主とおぼしきお爺様のもとへと戻り、魔法書を差し出しながら深々と腰を折る。
「すみません!! 買わせていただく前に、こちらの魔法書の魔法を習得してしまいましたっ!!」
突然の私の行動に驚いたのだろう、二拍ほどの沈黙ののち、『おぉ、まぁまぁ、顔を上げなさい』とお爺様が声をかけてくださった。
そろりと顔を上げると、ヘーゼルの瞳と視線が交わる。
次いで、その瞳がやわらかに細められるのが、見えた。
『よいよい。魔法書がお前さんを選んだのじゃろうて。記念に、そのまま持って帰るとよかろう』
「えっ!? いえいえ! さすがにそれは……!」
『ほっほ! 礼儀正しい子じゃのう』
愉快気に笑みを零したお爺様に、なんとか銀貨一枚をお支払いして、お次に来店する時こそはゆっくりと古本を見せていただこうと決意しながら、お店から出る。
素早く開いた石盤の中、魔法一覧に新しく刻まれたオリジナル魔法の説明文を視線だけでなぞっていく。
[魔法書により無詠唱で習得した、中範囲型のオリジナル攻撃系複合中級風兼緑魔法。発動者の周囲、あるいは指定した地点に毒のある花弁や葉を強風で舞い踊らせ、中範囲一帯を毒状態にする。他の毒効果をもつ緑魔法を加えることで、より強い毒状態になる。無詠唱でのみ発動する]
……まさかの、三つ目の中級魔法の習得である。
彼方に視線を投げる勢いで、思わず裏路地にも射し込む昼の陽光を見上げながら、祝福が導いた古き魔法書の魔法を試す時が楽しみだ、と微笑みがうかぶ。
――眼差しだけはなおも、遠く空の彼方に飛ばしながら。