百九十四話 はじめての雨に身をゆだねて
手早く夜の食事と寝る準備を終えて、再び【シードリアテイル】へとログインをする。
大地に戻って最初に感じたのは、両肩と頭をくすぐられる触覚。
『しーどりあ~!!!!』
次いで上がった幼げな可愛らしい声音と、ぽよぽよと肩口と額に近い場所で跳ねる感覚に、目覚める前から小さな四色の精霊さんたちが定位置で遊んでいたのだと気づき、小さく笑みが零れた。
「――おや、ふふっ。はい、みなさん。ただいま戻りましたよ」
『おかえり~!!!!』
定位置から空中へとうき、開いた緑の瞳の眼前でくるくると舞って喜びを表す精霊さんたちに、自然と口角が上がる。
そのまま半ば無意識で上体を起こすと、ゆらりとさきほどまで横になっていた場所がゆれ、慌てて網目状の蔓を掴む。
……そう言えば、蔓のハンモックに横になって、ログアウトをしたのだった。
「失念しておりました……やはり、新しいお宿は新鮮ですね!」
『しんせ~ん!!!!』
反省をしつつも、刹那に湧いた高揚を言葉に変えると、小さな水と風、土と光の精霊さんたちも楽しげな声を上げる。
それに微笑みを深め、軽やかにハンモックの上から床へと下りると、朝の陽光が射し込む窓を振り返り――ふっと、笑みを零す。
窓の外には、外壁から枝のように伸びた装飾部分の蔓が見え、そこには一羽の黒々とした毛並みの鳥が留まっていた。
「無音鳥、ですねぇ」
『むおんどり、み~つけた!!!!』
眩い陽の光の下、なんとものんきな様子で留まっている無音鳥に、つい和む。
窓のそばへとひゅいっと近寄り、楽しげに歓声を上げる小さな四色の精霊さんたちにも癒されながら、いつもの準備を開始する。
小さな多色と水の精霊さんたちに、それぞれの精霊魔法をお願いして、《隠蔽 三》にてかくれんぼをしてもらう。
併せて〈オリジナル:見えざる癒しと転ずる守護の水風〉も発動すると、三つの見えざる魔法の並行発動を維持する、いつもの姿の完成だ。
さらりと時折魔法のそよ風がゆらす、金から白金へと至る長髪を軽く片手で払い、四色の精霊さんたちへと声をかける。
「それでは、まずは神殿へお祈りをしにまいりましょう」
『はぁ~い!!!!』
元気いっぱいの返事と共に、しっかりと肩と頭の上に乗る小さな精霊さんたちへ微笑み、緑の宿部屋から階下へ。
予想以上のにぎやかさで朝食を楽しむ、他の宿泊客の接客をしていた女将さんに会釈をして宿の外へと出ると、相変わらずの人波を誇る大通りの中へと迷わず入る。
中央の噴水広場を抜け、つづく大通りを進むと、朝の陽射しに照らされてより輝かしさをまとった白亜の建物は、すぐに緑の瞳に映った。
壮麗な神殿へと踏み入り、やはりエルフの里の神殿とは違い、一段と多い人々の間をぬいながら精霊神様の巨像のそばへと近づく。
白き神像の足元にたたずみ、祈りを捧げていたエルフの神官のエルランシュカさんへと顔を向けると、静かな金の瞳と視線が合った。
神官服と艶やかな長い緑髪をゆらして向き直り、ふんわりと微笑むエルランシュカさんに、左手を右胸へと丁寧に当て、朝のあいさつを紡ぐ。
「よき朝に感謝を」
『――よき朝に感謝を』
そっと両手を胸の前で重ねる、神官の一礼と共に返された穏やかなあいさつに、微笑みを返して後方で響いた靴音に場所をゆずる。
お祈りに来る人々が多いということは、当然素晴らしいことではあるのだけれど、エルランシュカさんのような素敵な神官さんとゆっくりお話ができない点だけは、少し寂しいと思う。
エルフの里の神官、ロランレフさんと交わした穏やかな会話を懐かしみつつ、今回も四柱の神々へお祈りをおこない、神殿から一歩外へと出た――その時。
ぽつり、と一滴の雫が石畳を叩く音が、やけに鮮明に聴こえた。
本来はとても小さなはずのその音に、かすかに驚き、ぱちりと緑の瞳をまたたく。
しかし、その驚きが消える暇もないほどに次々と、ぽつり、ぽつりと雫の音が回数を増していく様が耳に届き、思わず周囲を見回した。
「これは……?」
疑問を口にしながら、雫が石畳を叩く音が重なるたびに薄暗さをまとっていく、周囲の不思議な状況に自然と空を見上げ――ハッと緑の瞳を見開く。
ぽつりと一つ、頬に冷たい雫が降り落ちた。
つい先ほど、神殿へと入る前に広がっていた青空は、すっかりと灰色の雲におおわれて、様変わりをしており。
またたく間に曇天へと変わった空から降ってきていたのは、この【シードリアテイル】の大地でははじめて見る――雨、だった。
『あめ~~!』
右肩でぽよっと跳ねながら、小さな水の精霊さんが嬉しげに上げた声を聴き、ようやく現状を理解する。
なるほど、このような天気の変化も起こるのか……と。
「これはまたなんとも、新鮮な体験ですね」
『しーどりあ、はじめての、あめ!』
「えぇ。はじめての雨、です」
『あめ~~!!!』
感慨深さを宿した声音での呟きに、水の精霊さんがご機嫌で反応をしてくれる。
それにうなずきと肯定を返すと、他の三色のみなさんも楽しげに声を上げた。
一気に香り立った水辺のような豊かな雨の香りと、一定の間隔で響く水が跳ねる音に、自然と微笑みが深くなる。
緑のマントに付いているフードを、しっかりとグラデーションがかかった長髪を内側へ入れ込みながらかぶり、頭上から降り落ちる雨を楽しむ。
エルフの里では、ついぞ雨に打たれることがなかったため、パルの街でこのような雨天に遭遇することそのものが、心底から新鮮に感じた。
サァサァと降る雨の中、足が向くままに大通りへと踏み出す。
人波を避けながら進んで行くと、以前小さな噴水のそばで演奏と歌声を披露していた吟遊詩人の女性が、近くのお店で楽器を抱えながら雨宿りをする姿が見えた。
たしかに、楽器をぬらすわけにはいかないだろうと、雨天での困りごとの知識を何気なく得ながら、足はまだ先へと向かう。
雨宿りをする人々も少なくないためか、大通りはいつの間にか少し行き交う人の数が減っている。
にぎやかさも落ち着いた今の大通りは、まるで雨音こそが主役だと告げているかのようだ。
雲の陰が落ちた街の中、雨のステージを進むような心地で、ゆったりと石畳を進み……やがて、中央の噴水広場へとたどり着く。
噴き出して水面を叩く噴水の水音と、ぽつぽつと石畳を叩く雨音が、まるでちょっとしたオーケストラだ。
思わず頬をゆるめて、その美しい音色に耳を傾けていると、やがて波が引くような静けさで、雨音が消えて行く。
『あめ、おわり~!』
ぽよっと右肩で跳ねた小さな水の精霊さんの声に、閉じていた緑の瞳を開くと、ピタリと止んだ雨の後には、すっかりぬれて色を濃くした石畳が広がるのみ。
石畳を叩く雨音は、もう一音もない。
反射的に見上げた空も、徐々にその雲を薄くして行き……。
「あぁ……これは、美しい」
深みを帯びて口から零れた呟きは、本心からのもの。
曇天がいつもの青空を取り戻していく、その途中。
石門がある場所の上で、灰色の雲を押しのけて射し込む陽光が――美しい虹を描いていた。