百八十九話 森の緑に染まるがごとく
まだ明るい夜空が照らすノンパル草原の、その右側に広がるノンパル森林を目指して、やわらかに伸びる草をわけて進んで行く。
前方で広がる森林は、静かに樹木が立ち並び、入り口の浅い場所にはまばらに、奥へと向かうほど密集して生えているように見えた。
かなり視界がひらけている草原とは異なり、その内側にはしっかりと影を宿している。
とは言え、エルフであるこの身にとって、樹がつくりだす葉陰は決して、恐れるものではない。
むしろ親近感が湧くような気分に、ずいぶんとエルフらしくなったものだと、自画自賛をして微笑む。
軽やかで楽しげな胸中のまま、草原を進むその道中で……ふと、やけに白のローブやズボンが映えて見えることに気づき、あっと声が出た。
『しーどりあ、どうしたの?』
「いえ、その……失念しておりました」
右肩で不思議そうに問いかける小さな水の精霊さんに、楽しげな気分から一転、思わず眉を下げて答える。
「今回の依頼は魔物と戦うものではありませんから、無用な争いを避けるためにも、本来は森の中にとけこむような装いが望ましいのですが……今の衣装は、少々森の中には不向きな色合いだと気づきまして。……宿屋に寄り、着替えをしてからこちらへと出向いたほうが、良かったかもしれません」
『あわわっ!!!!』
苦笑と共に伝えた私の言葉に、四色の精霊さんたちが慌てたような声を上げ、ひゅいひゅいと肩と頭の上でゆれ動く。
まさしく私もそのような気持ちだと自覚しながら、ちらりとすでに遠くなった後方の石門を振り返った。
宵の口のこの時間では、神殿と似た白亜の石門の白さが、いっそう際立って見える。
……しかし、どう見ても残念ながら、もう石門よりもノンパル森林のほうが距離としては近い。
前方へと向き直りながら、今回は完全に失念していたと表現するほかないと感じ、ため息が零れた。
ザァ――と吹き抜けた風に、金から白金へと至るグラデーションのかかった長髪と、白のローブがゆれる様子を視線で追う。
見晴らしのいい草原での戦闘などではあまり気にならなかったが……さすがに森林の中での依頼となると、やはり白の衣類は目立ちすぎるに違いない。
さて、どうしたものかと自然と片手が口元へ触れ――刹那、閃きが降る。
「あぁ! そう言えば、小ネタの裏技がありました!」
『うらわざ????』
ポンッと手を打ちながらの言葉に、小さな四色の精霊さんたちが疑問符を飛ばす。
その様子に、にこりとイイ笑みを返して答えを紡いだ。
「えぇ。以前、語り板で見かけたのです。その名も――必殺裏技早着替え!」
『おぉ~~!?!?』
驚きと混ざる疑問をそのまま形にした、幼い声音が響く。
どことなく、そわそわとした雰囲気へと切り替わった精霊さんたちに、いつもの穏やかな微笑みを返しつつ、まずはと森林の入り口へと近寄る。
そして、まばらに立ち並ぶ樹の一本の幹の陰へと隠れるように身をよせると、白いローブにとおしている左腕を持ち上げた。
ふよっと眼前へと移動してきた精霊さんたちが、胸の前に持ち上がった左腕を不思議そうに取り囲む。
その興味津々と言った姿に笑みを零しながら、そっと右手で左腕……正確には、腕をとおしている白のローブへと触れた。
ちらりと、前方に深く広がる、エルフの里の森とはまた異なる色合いを持つノンパル森林の緑を見やり、この森林の中で行動するのにふさわしい服を決める。
後は、そう――イメージをするだけで、いい。
ぱちりと、緑の瞳のまたたきを合図に。
――まさしく一瞬で、身にまとっていた白のローブが、緑のマントへと切り替わった。
『わぁ!?!? かわった!!!!』
「ふふっ、大成功、ですね!」
全力で驚いてくれる精霊さんたちの可愛らしさに、ついつい笑みを零しながらも言葉を返す。
これぞ、いつだったか語り板にて見かけた、小ネタ……もとい、必殺の裏技、早着替え!
無事に成功したことに、少なからず嬉しさを感じながら、青いチュニックはそのままにして、さらに森に潜むのに適した薄茶色のズボンと、夜の時間に似合う黒色の編み上げブーツへと手早く着替えていく。
この早着替えの素晴らしい点は、着脱の手間をかけずに一瞬で衣替えができるところと、装飾品などは外れずにすぐさま新しい衣類へ装着されるところ。
新しい緑のフード付きマントの胸元で煌く、リリー師匠のお店で買った羽の形の銀のブローチと、黒の編み上げブーツに飾りはまる銀輪に、微笑みが深まる。
すっかり新しくなった装いは、さっと確認する限りでは、森林の中でも目立たないものとなった。
「これで良し、です!」
『よし~~!!!!』
満足気に響いた声音に、喜びの声音が重なる。
くるくると嬉しそうに空中で回る、小さな四色の精霊さんたちは、私以上に新しい装いを気に入っているようだ。
楽しげな四色の舞を笑顔で見つめた後、改めて周囲を見回してみる。
じっくりと観察をすると、遠目から見るだけでは分からなかったことに気づいた。
それは、ノンパル森林の入り口へと入ったからこそ見えた、明確な相違点……このノンパル森林とエルフの里の森の、樹の大きさの違い。
エルフの里の森ですっかり見慣れた、人が二人や三人ほど並ぶ横幅を有していたあの巨樹は、ここにはない。
人で比べるのであれば、一人分ほどの横幅をもつ樹が並ぶ森林――それが、このノンパル森林だった。
「案外、エルフの里の森とは異なるものですね」
緑の瞳をまたたきながら呟き、身体を隠してくれていた樹の幹に、そろりと片手で触れる。
濃い茶色の幹は少し冷たく、つと見上げた先には、横や上へと伸びた枝に鮮やかな緑の葉がしげっていた。
樹々の間を吹き抜けたそよ風が、緑のマントをゆらすのに、自然と口角が上がる。
まるでこの森の緑に染まるような装いは、きっとこの後の探索で役立つことだろうと、そう確信した。