十八話 花咲く味覚に美味の皿
※飯テロ注意報、発令回です!
味覚を存分に楽しむ機会を待ちつつ、じっくりとページをめくっていたメニュー本を読み終わる頃。
『おまたせしました~! もりうさぎのスパイス焼きと、クルンの実入りふわふわパンと、とくせい煮込みやさいスープです!』
そう快活に響く声と共に、緑の蔓が乗せている料理の皿が、そろりそろりと器用に目の前に並ぶ。
これはおそらく、緑の中級精霊さん自身の蔓をあやつる精霊魔法だろう。
にこにこと嬉しげなその笑顔に向き直り、しっかりとお礼を告げる。
「ありがとうございます。頂きますね」
『はいっ! おたのしみくださいませ~!』
緑の中級精霊さんは可愛らしくぺこっとお辞儀をすると、またぴゅーっと素早く去って行った。
その小さな姿が見えなくなるまで眺めてから、眼前で湯気をたてる皿に、改めて視線を戻す。
「本当に、美味しそうな香りですね……」
感心と共に、そう呟きが零れた。
嗅覚をはっきりと刺激するのは、こんがりと焼かれたステーキ状の肉と爽やかさの混ざったスパイスの香り。
優しくただようのは、コンソメのような香りを宿した野菜スープの湯気だ。
小さめの蔓籠には、小ぶりな木の実のパンが二つ。
クルミのような木の実の欠片が所々に見えるそのパンも、ふかふかとして実に美味しそうに見えた。
そわそわとする三色の下級精霊のみなさんをちらりと見つつ、エルフの礼儀作法の本に書かれていた食前の作法を記憶から引き出す。もっとも、この食前の作法に関しては、他の種族も広く使っているものらしいが。
そっと胸の中央に左右の掌を重ねて当て、軽く瞳を閉じて、一言。
「――恵みに感謝を」
『かんしゃ~!』
『めぐみをありがと~!』
『ありがと~!』
私の言葉に続く精霊のみなさんの声を聴きながら、小さく重ねて頂きますと告げ、食事をはじめる。
まずは、ほかほかと湯気を立ち昇らせる煮込み野菜スープから。
丈夫な陶器のスープカップには、黄金色のスープが満たされており、底にはやわらかく煮詰められた緑や黄色の野菜が綺麗な宝石のように沈んでいる。
銀色に煌くスプーンでひとさじすくい、いざ実食!
口に入れた瞬間、甘くてまろやかな風味が広がり、まるで味覚が花開いたような感覚が生まれた。野菜の旨味が凝縮された、実にコクのあるスープを二口、三口と味わう。
野菜スープだけでもこの美味しさならば、パンの食感はどのようなもので、スパイス焼きはどれほど美味なのだろう?
ゲーム内でこれほどまでに鮮やかな味覚を感じられる喜びと、膨れ上がる高揚感のままにスプーンをいったん置き、蔓籠の中のパンを手に取る。
片手におさまる小さめの、薄茶色に照る木の実のパンは軽く、指で摘むとふわりとした感触。それをちぎると、出来立てのパンの香りと共に、香ばしい木の実の香りが広がった。
ちぎった一口大のパンをそっと口に入れると、やはりやわらかな舌触りで、噛み進めると時折小気味好く木の実を砕く食感も楽しい。
ひととおりパンの食感と味を楽しみ、いよいよメインの――森兎のスパイス焼きへと視線を向けた。
すでに大きめの一口大に切り分けた状態の肉はほどよい厚みで、こんがりと艶やかな茶色が白色の皿に映える。
試しに、とフォークとナイフを持ち、切り分けられている肉の一つをもう半分にしようとフォークを刺すと、たちまち肉汁があふれた。そっと滑らせたナイフは、ほどよい弾力を手に伝え、しかしすぐに綺麗に肉を断つ。
「おぉ……」
その芸術的にも完成された肉料理の見目に、思わず感嘆の声が零れ落ちる。
切り分けた一欠けらを、覚悟を決めて口の中へ――とたんに、驚愕が顔にうかぶのを感じた。
そう、この肉はあまりにも……あまりにも、美味しすぎる!
偶然とはいえ、塩気のきいたコショウのような味と爽やかなハーブかレモンに近い味の調味料が、絶妙に私好みだという点が非常に嬉しい要素だ。
もちろん、あまりにも、と評する美味しさのゆえんは、調味料の風味だけではない。
なんと言っても、やわらかくも弾力があり、噛めば噛むほどに味を深めるこの森兎の肉!
森兎がどのような見た目をしているのか、現状ではそれを知らないという無知さが悔しいほどに、本当に美味な肉料理だ。
たまらず、頬がゆるむ。美味しさにとろける、とはまさに今の私の状態を指すのだろう。
あまりにいい笑顔をしていたのか、三色の精霊さんたちがくるくると舞いながら声を上げた。
『おいしそう!』
『しーどりあ、おいしい?』
『すっごくおいしそう!』
それににこりと笑みを重ね、強くうなずく。
「えぇ、それはもう! とても美味しいです!」
『よかったね~!』
『おいしいの、いいこと~!』
『よかった~!』
ふよふよくるくる、と嬉しそうに私の周囲を飛び回る三色の精霊さんたちを眺めながらも、再び視線は料理へ。
心行くまでしっかりと食事を楽しむことに決め、美食の皿へと再度手を伸ばす。
小食を自覚している身としては、少しばかり多いかもしれないと思っていた皿の上はしかし、ゲーム内だからなのかはたまたその美味しさゆえか、あっという間にからになった。
葉で作られたコップの爽やかな水を最後に堪能しつつ、心底満たされた味覚にほぅ、と吐息が零れる。
ふと見やった窓の外には、すでに夕陽の橙色はなく、夜のはじまりである薄らと明るさをまとった暗い青の空が遠くに垣間見えた。
日中には日中の、そして夜には夜の魅力が、きっと私たちを待っていることだろう。
そう思うと、居てもたってもいられず席を立つ。
すぃっと再び私の肩や頭に乗った三色の精霊のみなさんと共に、調理場が奥に見えるカウンターにて、お会計を済ます。
あの美食の値段は、なんとたったの銅貨一枚! 千の値の貨幣一枚だという。
支払い時に一瞬固まってしまったのは、もはや仕方がないと言えるだろう。
あまり食へのこだわりがない私が、必ずやまた食べに来ようと思えるほどの美味しさを提供してくれたシェフと店に感謝しつつ、夜の帳が下りた外へと踏み出した。