百八十四話 宿屋[まどろみのとまり木]
楽の音と喧騒の響く大通りを抜け、中央の噴水広場にただよう食べ物の屋台の美味しそうな香りにひかれつつも、さらにつづく大通りへと歩みを進めていく。
両端に並ぶお店を眺めながら通り抜けると、目当ての宿屋が並ぶ区画にたどり着いた。
様々な造りの宿屋が並ぶ中、ひときわ興味を惹かれたのは、蔓で造られた、どこか一本の巨樹を思わす宿屋。
朝の青空と降り注ぐ陽光が蔓を照らす様は、エルフの里の光景を思い出す。
屋根近くにかけられた木の看板には、[まどろみのとまり木]と書かれていた。
「なんとも素敵なお名前のお宿ですね!」
『すてき~~!!!!』
思わず弾んだ呟きに、小さな四色の精霊さんたちの可愛らしい声が重なる。
周囲に並ぶ岩や木製の宿もおもむきがあるのは確かだが、私としてはやはりこの宿がとても気になる!
であれば、もはや迷うことはない!
蔓の扉を引き、カランと響いた来店を示す音と共に、緑の香りのする室内へと入り込む。
――瞬間、透明の翅がゆれる、綺麗な姿が見えた。
食堂も兼ねているのか、丸机と椅子の組み合わせが幾つか置かれた部屋の中、厨房であろう奥とこの場とを仕切るカウンターを布で拭いていた女性が、ゆったりと振り返る。
『あらあら、いらっしゃいませ。栄光なるシードリアのお客さま』
後頭部でくるりと編んでまとめられた、艶やかな金髪に尖った耳、一対の透明な翅。
やわらかな碧の瞳をこちらへと注ぐ、ふわりと可愛らしい風貌のフェアリー族の女性が、うふふと上品に頬へ片手をあてて微笑む。
女性はすいーっと空中を滑るように移動し、宿の受付用であろう、さきほど拭いていたカウンターのすぐ隣にある長机の奥へと回り込むと、上品に手招きをした。
すぐそばに二階へつづく蔓の階段が見えているそちらへと歩みより、エルフ式の一礼を優雅におこなう。
「はじめまして、ロストシードと申します」
『まぁまぁ、ご丁寧に。わたくしのことは、女将さん、と呼んでくださいね』
うふふ、と上品に笑う女性が、この宿の女将さんだったとは!
口調もそうだが、仕草もあまりに上品すぎて、むしろ女将さんという呼称に違和感を覚えるくらいだが、この呼びかたはご本人の希望なので変えるわけにもいかない。
左手をそっと右胸に当て、穏やかに微笑み言葉を紡ぐ。
「はい、よろしくお願いいたします、女将さん。本日は宿泊をさせていただきたく、まいりました」
『あらあら、うれしい! ここは妖精族御用達の宿屋、まどろみのとまり木。エルフ族のかたには、きっと気に入っていただけると思いますわ』
とても嬉しげに語られた言葉の中に、気になる単語があり、思わず小首をかしげる。
「妖精族御用達、ですか?」
『えぇ。エルフ族やフェアリー族には、なじみのあるつくりの家でしょう? 妖精族のシードリアのかたがたが、好んで泊まってくださいますの。ドワーフ族のかたは、お隣の岩宿のほうがお好みでしょうけれど』
上品な笑みを零す女将さんに、そう言えばと、この蔓造りの宿をみてエルフの里を想起したことと、隣にあった岩造りの宿屋を思い出す。
女将さんがおっしゃる通り、エルフのシードリアで、この宿に心ひかれるかたは少なくはないだろう。
フェアリーやドワーフのかたは分からないが、それぞれ好みのイメージとしては、なんとなく分かる気がする。
納得の意を込めてうなずきを返すと、女将さんは楽しげな笑顔で翅をゆらした。
『宿泊部屋は、上の階にありますの。この札と同じ、六番って書かれた扉の部屋が、あなたのお部屋ですよ』
「なるほど……」
コト、と軽い音を立てて長机の上に置かれた、神殿の宿部屋の扉にかかっていた木札と同じつくりの札には、[六]という数字と[入室済み]の文字が書かれている。
理解を言葉に変えながら、そろりと札をひっくり返した裏面には、同じく[六]という数字と、こちらは[外出中]の文字が書かれてあった。
出かける際には、裏面のほうにしておくといい、ということだろう。
再度うなずき、女将さんに感謝を伝える。ついでに、大切な確認も忘れずにつけ加えて。
「分かりました、ありがとうございます。……それと、一日ではなく、よろしければ長期の宿泊をさせていただきたいのですが、可能でしょうか?」
若干の不安を感じ、そっと眉を下げた表情で紡いだ問いかけに、女将さんはあらあらと頬に片手を当てる。
『まぁまぁ、もちろん可能ですよ。ロストシードさんは、栄光なるシードリアですもの』
「ありがとうございます……!」
穏やかな歓迎を宿した返答に、思わず満面の笑みで感謝を紡ぐ。
うふふ、と笑った女将さんは、流れるように言葉をつづけた。
『シードリアのかたは特別価格ですから、お支払いは一泊鉄貨五枚ですわ。お引き払いの際に、まとめてお会計をいたしましょう。それと、お食事はこちらの食堂でなされた場合に限り、その時々でのお支払いとなりますわ』
「はい! 分かりました」
するりと理解できる上手な説明にうなずきを返すと、女将さんはぱたりと翅をゆらして微笑む。
『どれほど深い夜の時間でも、シードリアのお客さまは当宿屋に出入り可能ですから……いつでも、遠慮なさらず冒険にお出かけになってくださいね』
「――はい!」
なんとも素敵仕様のお宿に泊まることができる幸福に、にっこりと笑みが咲いた。
読者の皆さま、今話もお楽しみいただき、ありがとうございます!
今話が、今年最後の更新となります。
来年も可能な限り、『遊楽記』の更新をつづけてまいりますので、ぜひとも引きつづきお楽しみいただけますと、とても嬉しいです!
新たな年にも、皆さまのそばに素敵な物語がありますように♪
来年もよろしくお願いいたします!!