十六話 徒然なるままに日暮らし
お祈り部屋から再び壮麗な広間に戻ると、そびえ佇む精霊神様の巨像のそばには変わらず、どことなく私に似た、私よりも儚げな神官さんが立っていた。
「ロランレフさん」
『――ロストシード様。お祈りはもうよろしいのですか?』
私の声かけに艶やかな金の長髪をゆらして振り向き、その中性的な美貌と翠の瞳を穏やかな微笑みで満たしながら、ロランレフさんはそう確認をしてくれる。
それにはい、と返事をすると、優しげな眼差しが注がれた。
『さようでございますか。精霊の皆様がたとも、交友をお深めになったのですね』
的確な言葉に、少し驚く。
「えぇ、実はそうなのです。……一目見て分かるほど、分かりやすい変化がありましたか?」
つい気になって問いかけると、ロランレフさんはゆるりと首を横に振った。
そっと、胸の前で両の手が組まれる。
ふわりと穏やかな微笑みが、その美貌に広がった。
『いいえ。目に見える形としてではなく、精霊の皆様がたの心が伝わってきたのです。ロストシード様も、すぐにお分かりになりますよ』
ふふふ、と軽やかに、慈しむように微笑まれると、少しばかり気恥ずかしい。
頬が赤くなっていないことを願いつつ、しっかりとうなずきを返しておく。
精霊のみなさんに関しての事柄なら、エルフであるこの身はいずれそのようなことも分かる日が来ることだろう。
三色の精霊のみなさんを見やり、そう思っていると、ふいにロランレフさんが何かを思い出したような声を零した。
顔を向けると、一瞬神殿の入り口へと向けられていた瞳とすぐに視線が合う。
『ロストシード様。そろそろ夜がおとずれます。お宿はどうぞ、二階の部屋を自由にお使いください』
「二階の部屋を、お宿に……?」
『はい。すべての今日の宿なき方に、神殿は部屋をお貸ししております』
告げられたありがたい申し出に、ふと視線を上へと移すと、たしかに二階部分に転落防止の柵が連なる廊下があり、その奥に扉が並んでいた。よくよく廊下をたどると、入り口の両脇に二階へと続く階段が設置されている。
どうやら神殿へと入った際には、神々の巨像に気を取られていたため、見落としてしまっていたらしい。
なるほど、と小さく呟き、ロランレフさんにお礼を告げた。
「ありがとうございます。のちほど必ず使わせていただきます」
『はい、ぜひとも』
優しく微笑むロランレフさんにエルフ式の一礼をし、美しい返礼を受けた後、神殿の入り口へと向かう。
コツリ、カツリと歩むたびに響く白亜の神殿はやはり荘厳で、この中にある部屋を宿にしていいという事実にいささか心が躍った。
しかし、この宿という概念。
事前に収集した情報では、絶対安全なログアウト場所というよりも、実際にはただの快適な個室扱いらしい。
先ほどのロランレフさんの言葉を紐解くかぎり、おそらく少なくともシードリアは皆神殿を宿がわりに使うことができるのだろう。
とは言え、この先の大きな街などでは当然宿屋があり、好みの宿屋があればお金を払って宿を借り、それを事実上の個室扱いにすることが可能なのだとか。
そういう宿屋の食事には、能力向上の恩恵がある食事が出されるらしいので、そこは気になるところだ。
――ただ、この【シードリアテイル】というゲームは、そもそもログアウト場所でログインが可能だそうで。
いわゆる対人戦要素も、個人間の同意の上で模擬戦形式におこなうことができる決闘と呼ばれるのもの以外は、すべてイベント限定。
当然として、通常時は対人戦関連の不穏さなどは欠片もなく。
より根本的な点を語るのならば、街中以外の野外フィールドでもシードリアの全員がかけられている加護により、他のシードリアを傷つけることはできないという、すこぶる安全仕様になっているのだ。
もちろん、魔物との戦闘中に他のシードリアが目の前に現れたとしても、飛ばした魔法がそのシードリアを傷つけることはない。
これほどに対人面の安全さが重視され、その安全性をいわゆる売りとしているゲームである以上、ログアウトの場所になど気を使う必要性は、実際問題としてないと言わざるを得ない。
むしろログアウト地点にログインができるのであれば、わざわざ現在地から宿屋に帰ってログアウトをするシードリアは少ないだろう。
そのような事情がある上での、事実上の個室扱い、だ。
とは言え、私としてはロランレフさんの申し出を無下にするつもりはない。
宿には宿の、その場にはその場にしかない魅力があるものだ。
安全性を活かしてログアウトを便利に活用することが、この大地での楽しみ方の一つであるのならば、宿で寝泊まりしてすごすこともまた、楽しみ方の一つと言えるだろう。
休憩と寝泊りだけに使うのも良し、個室のように気ままにすごす部屋にするのも良し。
――きっと、どのような過ごし方も、すべてが新鮮で鮮やかに輝いて見えるだろうから。
やわらかに、口角が上がる。
白亜の神殿の広く開け放たれた出入口には、あたたかな橙色の光が射し込んでいた。
一歩、神殿の外へと足を踏み出すと、とたんに木漏れ日に燦々と照らされる。
その夕陽の眩さに、思わず手でひさしをつくりながらも、神殿よりさらに奥の森へと沈みゆく大きな太陽を見上げた。
お祈り部屋での魔法習得についやした時間は、思ったよりも長かったようだ。
この【シードリアテイル】内の時間は、現実世界の三時間を日中、その後の三時間を夜、さらにその後の一時間を夜と日中の間の時間として移り変わっており、時間の推測はそう難しくない。
日中は一時間目が朝、二時間目は昼、三時間目は夕方。ここで夜に切り替わり、四時間目に夜のとばりが下り、五時間目が夜、六時間目が深夜。そして七時間目で夜と日中の二つの時間の間にあたる夜明けの時間となり、この合計七時間で移ろう。
これにより現実世界では【シードリアテイル】内の日中と夜と夜明けの時間がずれ、毎日同じ時間帯でしか遊ぶことができない人も、異なる時間を楽しむことができるようになっている。
この素晴らしい時間設定に関しては、素直にありがたく思う。
おかげで、大地に降り立った時は朝のすがすがしい木漏れ日を浴び、リリー師匠の店から神殿へと向かう頃には強く降り注ぐ陽射しを楽しむことができた。
今も魔法習得に一時間半ほどかかっていたことを示す、沈みかけの夕陽がなんとも眩く美しい。
三色の精霊のみなさんと一緒に、静かに樹々を輝かせる橙色の光を見つめる。
神殿のさらに奥には、手前側にあるものより大きめの蔓の家々が、木漏れ日を受けて並んでいた。
店のようにその家の中を示す蔓飾りもないところを見るに、あの家々はエルフのみなさんの住居なのだろうか?
気になって、精霊さんたちに声をかける。
「みなさん、あちらに見える御家は、どなたかの住居でしょうか?」
『そうだよ~!』
『ながいきしてるこたちのおうち~!』
『たいろうたちのおいえだよ~!』
「なんと、大老様がたの御家でしたか」
改めて、大老様たちの家々だと思って見つめると、たしかに花蔦の飾りなどが豪華なものだと見て取れた。
「後々、あちらにもご挨拶をしに行きたいものですね」
『わ~い!』
『いっしょにいくよ~!』
『またいこうね、シードリア~!』
ゆるく微笑みながら呟くと、三色の精霊のみなさんが嬉しそうに同意してくれる。
それにうなずきを返し、今はまだ他の未知を楽しむために、大老様たちの家とは反対側へと足を進めた。
神殿へと訪れるために歩んで来た一本の広い土道を、ゆっくりと精霊のみなさんと連れそって歩いていく。
吹き抜けた風に乗った風の下級精霊さんに、腰まで鮮やかに流れる金から白金へといたるグラデーションの長髪と、フィオーララさんの服屋で買った艶やかな緑色のマントの裾を、ほんの少しもてあそばれる。
たったそれだけのささいな出来事にも胸が高鳴るのだから、本当にこのゲームに出逢えてよかったと、心底から思った。
――さぁ、次は何をしようか?
三色の下級精霊のみなさんを肩と頭に乗せ、笑みを深めてまっすぐに、足を進めた。