百六十六話 夜の音色と星への報告
『おかえりしーどりあ~!!!!』
「ただいま戻りました、みなさん」
素早く食事をして寝る準備まで整えてのログイン直後、もはや慣れ親しんだ恒例のおかえりとただいまを伝え合いながら、ベッドから身を起こす。
水、風、土、そして闇の小さな精霊さんたちが、くるくると嬉しそうに舞う姿に自然と微笑みをうかべながら、視線を窓へと向ける。
急いだかいがあったようで、今はまだ宵の口から夜の時間へと移り変わったばかりのようだ。
ほっと吐息を吐き、この夜の時間でなければお逢いできないかたがたの元へご報告に向かうべく、各種魔法を展開して準備したのち、宿部屋を後にする。
お祈りはまたのちほど、と決めて神殿を出ると、大老様がたの家々のその奥へ。
少し歩みを進めれば、本日も闇色の竪琴を丁寧に磨く、大老アストリオン様の姿が見えてくる。
「アストリオン様!」
まだ距離があったが、そう声を張ればすぐに深い藍色の瞳と視線が合った。
近くまで歩みより、優雅にエルフ式の一礼をおこなう。
「こんばんは。今夜もよい夜ですね」
『あぁ、よい夜だ』
深い美声が紡ぐその言葉が、不思議と今日は一段と心に響いた。
一つ短く深呼吸をして、アストリオン様にもご報告をと口を開く。
「アストリオン様。実は空の時間で明日、次の街へ行くことに決めました。本日はそのご報告に」
『――そうか。そなたも、旅立つか』
「はい」
一拍の間の後、夜の静けさをまとった呟きが、美しく紡がれる。
肯定を返すと、藍色の瞳はそっと何かを考えるように伏せられた。
降りた沈黙に、小さな四色の精霊さんたちも声を上げない。
やがて、ゆるやかに吹き抜けた夜風にいざなわれるかのように、アストリオン様は藍色の瞳を開いて私へとその視線を注いだ。
『――その決意や、よし。しばし、激励の音を聞いていくと良い』
「はい! ありがとうございます……!」
凛とした言葉と素敵な申し出に、思わず満面の笑みで感謝を伝える。
すぐさま対面の巨樹の根本へと腰を下ろすと、ポロロン……と竪琴の音色が響いた。
穏やかにはじまったゆるやかな雰囲気を放つ旋律は、しかしすぐに一変し、どこか荒々しく、激流に似た怒涛の音色へと変わって奏でられる。
そこにアストリオン様の、聞く者すべてを深く魅了する歌声が加わり、鮮やかに森の静けさを音楽でぬりかえ彩っていく。
強く背中を押されるような、心を奮い立たせてくれるような、楽の音。
なるほど――これはたしかに、激励の音だ。
ひときわ高鳴る音の余韻だけを残し、古き吟遊詩人の演奏が終わりを告げる。
瞬間、万感と共に両手を叩いて、拍手を捧ぐ。
「ありがとうございます、アストリオン様! 素敵な音楽による激励、たしかに受け取りました!」
満面の笑顔でそう紡ぐと、アストリオン様は藍色の瞳をかすかに細めて、口を開いた。
『うむ。迷わず進め、栄光なるシードリア――我が後継よ』
ゆるやかな微笑みと、威厳を宿した導きの言葉に、刹那、息をのみ。
次いで、凛と返事を響かせた。
「お導きのままに!」
私の返事を聞いたアストリオン様は、深くうなずいてくださった後、振り向きざまに、そっと視線を彼方へと投げる。
それを追うように視線を移し、その先にあるものに気づいて、素早く巨樹の根本から立ち上がった。
流れるように優雅で丁寧なエルフ式の一礼をおこない、アストリオン様の意図を察したがゆえの言葉を紡ぐ。
「それでは、星の石にもご報告をしてまいります」
『……うむ。よき心がけだ』
どこか満足気なアストリオン様に見送られ、藍色の瞳が示した場所――星の石がある場所へと、歩みを進めていく。
『ちからいっぱいの、おとだったね!』
『せなかをおす、おとだったよ!』
『げんきがでるおとだった~!』
『がんばれって、きこえたよ~!』
道中、そう肩と頭の上で声を上げた、小さな四色の精霊さんたちの言葉に、深々とうなずきを返す。
「えぇ。まさしく、激励そのものを形にしたと感じることのできる、力強い音楽でした」
『ね~~!!!!』
心からの同感を宿した言葉に、みなさんの歓声が重なり、微笑みが深まる。
吟遊詩人であったアストリオン様に、あれほど素敵な音楽で激励を受けたこと自体が、私にとっては輝く宝物のようなもの。
新しい地には、さまざまな困難が待ち受けているかもしれないが……それでも迷うことなく、楽しんで進んで行こうと、心から思った。
――そう強く思えるほどの音を、受け取ったのだから、と。
強い決意と共に、前方に見えた星の石が隠された場所へと歩みより、闇色の護りを抜けてその奥へと入り込む。
すぐに開けた視界に、サークル状の黒石に囲まれた、星空色の巨石が映った。
美しい星の石を、神殿にある神々の巨像を見上げる時と同じ、静かな心で見上げる。
両手をそっと組み、《祈り》を発動しながら、報告の言葉を静かに紡いだ。
「私は空の時間で明日、この里を発ちます。次に向かうパルの街の外にも、星の石はあるのだと、アストリオン様から以前うかがいました。そちらにも必ず――祈りを捧げにまいります」
この空間と同じ、静けさをのせた言葉に、返事はない。
けれど、きっと届いていることだろう。
不思議とそう確信しながら、しばし祈りに没頭した。