百五十五話 錬金術師としての未来
シエランシアさんにお墨付きをいただいた後、そっと離れた広場から、お次はアード先生のお店へ。
しっかりと閉じられた蔓の扉を開くと、ふわりともう馴染み深く感じる植物の香りが嗅覚をくすぐった。
自然と見やったお店の奥で、深緑の瞳と視線が合う。
静かに足を運び、いつもの定位置でポーションをつくっていたらしいアード先生のそばまで歩みよる。
「アード先生、よき朝に感謝を」
『あぁ。よき朝に感謝を、ロストシード』
穏やかに朝のあいさつを交し合ったのち、本題を紡ぐ。
「本日は、一つご報告がありまして」
『……何かあったのか?』
かすかに心配そうな色を灯した深緑の瞳と言葉に、ゆるやかに首を横に振る。
「いえ、問題ごとがあったわけではないのです。すでに里にいらっしゃる他のかたにも、順次お伝えしていることなのですが……私も、空の時間で明日には、次の街へ行くことに決めまして。このことをアード先生にもお伝えしたかったのです」
『そうだったか。――いよいよ、か』
本題をお伝えすると、アード先生は束の間、感慨深げに瞳を閉じた。
静々と、言葉をつづける。
「ですので、本日はその準備の時間に当てることにいたしました。売り物用も含めた各種ポーションの製作……それに、こちらでお買い物もさせていただきたく」
『分かった。思うままに、すべてをおこなうと良い』
「ありがとうございます、アード先生」
よどみなく返された言葉に微笑み、さっそくと作業部屋へと入り込む。
各種素材を机の上に並べ、《同調魔力操作》にて作業を開始。
まずは手早く、マナプラムを使う魔力回復ポーションと、リヴアップルを使う生命力回復ポーションを、アースビーのハチミツを混ぜて美味しく仕上げていく。
充分な量を作ったその後は、少しだけマモリダケを使う防魔ポーションもつくり、それぞれをカバンに収納する。
ポーションが無事に出来上がったことに、ほくほくとした気持ちでお店のほうへと戻ると、窓から射し込む光はすっかり昼の眩さを放っていた。
『作業は終わったか』
「はい。この通りに」
静かにかけられたアード先生の声に振り向き、そばに近づいてカバンから数本、完成したポーションを取り出す。
じっと見つめた深緑の瞳が、上出来だと示すように細められ、たしかなうなずきが返された。
『問題ない。むしろ効能はわずかだが、以前よりも上がっている』
「なんと! 今回は特別、以前ほど効能が上がるようにと意識したわけではなかったのですが……」
『意識せずとも、ロストシードの技量は日々洗練されているということだろう』
「そうなのでしょうか……?」
驚きの事実と、技量が日々上がっているというアード先生の言葉に、思わず小首をかしげる。
今回は本当に、前回の作業を思い出してつくっただけだったのだが……もしかすると無意識に、効能が上がるようにと思いながらつくっていたのだろうか?
つい考え込みそうになったところで、低い声が耳に届いた。
『買い物もするのだったな。何を買いたい?』
「あっ、ええっと。パルの街の周辺にいる魔物との戦いで、必要だと考えられるものを一式、と思っていたのですが……アード先生のオススメの品はありますか?」
問いかけにそう返すと、アード先生はさっと店内を見回して、そのまま幾つかのポーションを手に取っていく。
その背中をゆったりと追いかけながら、アード先生が手に取ったポーションを把握する。
解毒ポーションに、麻痺解除ポーション、石化解除ポーション……なるほど、つまるところは状態異常を解除するポーションか。
どうやらパルの街の外には、状態異常をもたらす魔物が多くいるようだ。
それ自体は予想の範囲内なので、アード先生が選んでくださったことにも驚きはない。
『あの街の先へと向かうのであれば、最低限これらは必須だ。それと、これは売れたポーション代だ』
「なるほど。学びになります――ポーション、売れましたか」
手渡されたポーションを受け取り、銅貨を払いながら交わした会話につづき、さらっと以前売り物用としてつくったポーションが売れたという情報と手渡された銅貨に、一瞬固まる。
問いかけにもならなかった呟きに、アード先生がしっかりとうなずいたのを見て、こちらも深いうなずきを返した。
……自作のポーションが売れたという点については、もう素直に喜ぶことにして。
状態異常に関しては、第一に夜明けのお花様から授かった祝福が、その効果を発揮してくれるとは思う。
しかしそれはそれとして、こうしたポーションでの備えというものはやはり大切だ。
「必要な物を選んでいただき、ありがとうございます。ポーションもお買い上げいただけるものに仕上がっていたようで、嬉しく思います」
『あぁ』
微笑みながら感謝と喜びを伝えると、短い返答と共にうなずきが返る。
次いで、アード先生の深緑の瞳が、チラリと作業部屋のほうに向いた。
何だろうと小首をかしげると、こちらへと視線を戻したアード先生が口を開く。
『少し待っていてくれ』
「えぇ、分かりました」
珍しい言葉の意図は読めないものの、しっかりとうなずき待つ姿勢を示す。
そのまま静かな足取りで作業部屋へと入っていくアード先生を見送り、しばしまったりと店内を眺めていると、やがてカチャリと瓶が立てる音を連れて、アード先生がこちらへと戻ってきた。
蔓籠を片手に持つアード先生のそばへと歩みよると、そっとその蔓籠を差し出される。
ぱちりと緑の瞳をまたたきながら受け取ると、中身は小瓶や水入れなど、ポーション製作時には欠かせない器具がずらりと入っていた。
「これは……?」
『餞別だ』
「餞別、ですか?」
思わず零した疑問の言葉に予想外の答えが返り、反射的にアード先生と贈り物とを交互に見つめてしまう。
一つ、小さくうなずいたアード先生は、深緑の瞳を細めて口を開いた。
『次の街へ行くのであれば、それらを持っていて損はないだろう。存分に、活用すると良い』
「なるほど……! ありがとうございます、アード先生! ありがたく、活用させていただきますね」
『あぁ』
素敵な餞別に、つい満面の笑みで声音を弾ませてしまう。
心なしか、肩と頭の上でずっと静かにしている精霊のみなさんまでも、そわっとした雰囲気になっているのに気づき、また微笑みが深まる。
喜ぶ私に短く応えた後、アード先生はなぜか静かに、こちらへと視線を注ぐ。
ふいにその深緑の瞳が、真剣な色合いを宿したように見えて、自然と背筋が伸びた。
低い声が、どこか厳かに響く。
『無意識に、より高き効能を求める――その境地に至るためには、基礎的な技量は当然とし、魔力操作の熟達と共に、錬金術への熱意がなければならない』
唐突に紡がれた、先の製作したポーションの効能が上がっている、という会話のつづきのような言葉に、ぱちりと緑の瞳をまたたいた。
しかし、こちらが何かの言葉を発する前に、アード先生が言葉をつづける。
『確信している』
迷いなく告げられた言葉に、何を、と問う手前で――答えが、響いた。
『ロストシードはこの先、素晴らしい錬金術師になると。そう、確信している』
見開いた緑の瞳に、確信を宿した小さな笑みをうかべた、錬金術師の先生が映る。
ふっとうかんだ微笑みは、嬉しさに満ちたものだと自覚できるほどに深く。
「この先の未来で――必ずや」
そうなってみせます、と音もなく伝えた言葉は、たしかな決意を宿し、静かな店内に凛と響いた。