百五十四話 指南役のお墨付き
神殿から外へと出ると、ちょうど鮮やかに朝の時間へと時間が移り変わった。
『しーどりあ、またね~!』
「はい、小さな闇の精霊さん。また夜のお時間を楽しみにしておりますね」
『うん!』
なごやかにまたねを交わし、姿を消した小さな闇の精霊さんを見送ったのち、四色の精霊さんたちと共に土道を行く。
お次は、昨日あまりに後発組であるシードリアのみなさんがいたために断念した、シエランシアさんへのご報告だ。
無事に訓練兼依頼を完了したことを、お伝えしなければ。
現実世界ではまだ朝の時間ということもあり、すれ違うシードリアの姿はまだなく、たどり着いた広場に集まっているシードリアも少ない様子に、ほっと安堵の吐息を吐く。
これならば、ゆっくりとシエランシアさんとお話ができるだろう。
すぐに重なり合った空色の瞳のもとへと、歩みよる。
まずは、朝のあいさつから。
「よき朝に感謝を」
『よき朝に感謝を。――どうやら、無事に事を成したようだ』
「はい。とても新鮮なお時間になりました」
『フッ、悪くない指示だったらしい』
「えぇ、それは間違いなく」
優雅な雰囲気の中に、不敵さを混ぜて交わすシエランシアさんとの会話は、やはり他のかたがたとは異なる魅力があるように感じる。
収集依頼の素材である透明な翅を渡し、かわりにと銀貨をそっと握らされたのには密やかに驚きつつも、同じくそっとカバンにしまう。
――これにて、今回の秘密の指示による訓練兼依頼も完了だ!
満足さに微笑みを深めながら、シエランシアさんにも今後のことをお伝えするために言葉を紡ぐ。
「シエランシアさん。実は空の時間で明日には、私も次の街へ行くことに決めまして。これまで与えていただきました、たくさんの学びと導きに感謝申し上げます」
丁寧に思いを言葉にして、上品にエルフ式の一礼をおこなう。
上げた顔と共に注いだ視線の先、眼前のシエランシアさんは変わらないかっこいい笑みをうかべていた。
『そうか……ついに。なに、わたくしはわたくしの役割を果たしただけだ。気にすることはない。しかし、次の街か……』
「……何か、問題がありましたか?」
凛とした言葉から一転、考え込むような仕草と共につづいたシエランシアさんの言葉に、やや緊張しながら問いかける。
私の問いに、ちらりとこちらへ視線を向けたシエランシアさんは、口元にそえていた片手を外してフッと口角を上げた。
『いや。ただ、次の街とこの里では、探索できる場所の広さも特徴の多さも、桁外れなのだ。当然、魔物も多種多様……予測と異なる事態など、あって当然だと思ったほうがいいほどに、な』
「それは……」
言い聞かせるように紡がれたシエランシアさんの言葉に、二の句を告げないまま口を閉じる。
戦闘面の指南役であるシエランシアさんが言うのだ、おそらくパルの街ではフィールドそのものの探索難易度が上がるのみならず、戦闘面でもかなり厳しい状況におちいる可能性があるのだろう。
思わず表情を引きしめると、空色の瞳がではどうする? と問いかけるように細められた。
――不測の事態さえ大前提として考えなければならない、新しい地での戦闘面に関する対策……それは。
自然と口元にのびた片手をそえ、口を開く。
「前提として、冒険者ギルドなどで周囲の大地や周辺にいる魔物について、情報収集をしておく必要があると思います」
『その後は?』
「情報にもとづき、揃えられる限りの装備を整えます。ちょうどこの後は、この里で私が身につけることのできる、一番効果の高い防具や武器を買おうと考えていました。それに加えて、必要ならば次の街でも装備を新しくします」
『……ふぅん』
つらつらと対策を紡いでいくと、シエランシアさんは意味深な声を零し、目線でつづきをうながしてきた。
小さくうなずき、それに応える。
「実際に戦闘の可能性がある場所へおもむく前に、事前展開できる魔法の準備をおこないます。これはシエランシアさんから心得を教えていただいてから、今もずっとおこなっていることですので、抜かりはないかと」
『それは感心だ』
どこか満足気なものにかわったシエランシアさんの笑みに、こちらも微笑んでつづきを紡ぐ。
「戦闘時は……実際の状態によって対応が異なるとは思いますが、いざという時は迷わず戦略的撤退を選ぶことも、行動の選択肢に入れて戦います」
『なるほどなぁ』
真剣な表情でひとまず思いつく限りの対策を伝えきると、シエランシアさんはふいに、ニヤリと笑みの形を変えた。
……おっと、なにやら少々困りごとの予感が。
『――それだけ事前におこなう物事を考えることができるのであれば、わたくしから言うことは特にないな』
「えっ」
あっけらかんと響いた低めの声に、思わず間抜けな声を出してしまった。
ついまじまじとシエランシアさんを見つめると、ひょいっと肩をすくめて、杖を持ち直すなり、やれやれと首が横に振られる。
『そもそも、いくら次の街とは言え、わたくしは君が苦戦する姿など、はじめから想像していないぞ』
「……えっ? そうだったのですか?」
『――ロストシード。君はそろそろ、自らの強さを自覚したまえ』
「え、ええっと……あはは」
あまりにも直接告げられた言葉に、反射的に乾いた笑みが零れた。
――つまるところ、シエランシアさんは私にカマをかけたのだ。
さしずめ、新しい地でしでかすであろう事態を、事前に想定するため、と言ったところだろうか。
……どうやら私は、むしろ強いことを自覚するようにうながされるほどの、評価をしていただいているらしい。
頭の中に一瞬、自重という文字がうかんだが、いやいやと思い直す。
魔物に対しては容赦など必要ないと、最初に私に教えてくださったのは、他ならぬシエランシアさんだ。
ならば、戦闘面での自重は、必要ないはず!
今回はむしろ普通に、次の街でも十分に戦っていくことができる力があることを自覚しなさい、と言われているのだろう。きっとそうだ。
脳内で自問自答を終え、下げていた視線を上げると、ふっと珍しいやわらかな微笑みがシエランシアさんの口元にうかぶ。
『事前の情報収集は、わたくしもおこたらないほうがいいと思う。だが、この里で装備を新しくするのであれば、君の場合は街へ行ってそうそうにまた装備をかえる必要は、まずないだろう』
「なるほど……えぇ、わかりました」
シエランシアさんがそう言うのであれば、状況を確認する必要はあるものの、おそらく本当に街に着いていきなり装備を新調する必要はないことだろう。
ほっと吐息を零すと、腰に片手を当てたシエランシアさんは、またいつもの不敵でかっこいい笑みに切り替える。
空色の瞳が、確信を灯すように朝の陽光に煌いた。
『わたくしが断言しよう。油断さえしなければ、君がこれからの旅路で魔物相手に倒されることなどあり得ない。しかしそれでも、強敵だと思う相手と対峙したその時には……』
フッと深まった不敵な笑みが、鮮やかに緑の瞳に映る。
『鮮やかに、完膚なきまでに――確実に仕留めろ』
「――はい!」
かっこいい指南役の、ゆるぎない心得をしかと聴き、決意と共に返事を響かせた。