百四十二話 指南役からの秘密の指示
豊富な知識と丁寧な説明で、私の疑問に答えてくださったクインさんへと感謝の言葉を重ねて、土道へと戻る。
ちょうど、沈み消えた陽光のかわりに、明るさをのこす宵の口の時間がおとずれた里の中を眺め、一息つく。
青い夜空を見上げながら、さてこの次は何をしようかと思考をはじめたところで――ふよふよと前方から、小さな風の精霊さんが近寄ってきた。
いつもそばにいてくれている、三色の精霊さんたちの中の風の精霊さんではない。
なにせそちらの風の精霊さんは、今もぽよっと定位置の頭の上で跳ねている。
では、まだ振り返ると目視できる距離にいる、クインさんの小さな風の精霊さんかと言うと……おそらくそれも違うだろう。
ゆっくりと近づいてきていた、はじめましてと思しき小さな風の精霊さんは、ぴたりと私の眼前で動きを止めたのだから。
とりあえず、あいさつをしてみようか。
「こんにちは、小さな風の精霊さん」
『かぜのこだ~!』
『ぼくたちのこ、どうしたの~?』
『こんにちは~!』
私のあいさつにつづき、三色の精霊さんたちもそれぞれが声をかける。
すると、眼前でうかぶ小さな風の精霊さんは、くるっと一回転をしてみせた。
次いで、『しーどりあ!』と幼い声が響く。
『しえらんしあが、よんでるの~!』
「シエランシアさんが、私を?」
『うん!』
再びくるっと舞う姿と先の言葉に、ようやくこの小さな風の精霊さんが、シエランシアさんの言葉を伝えに来てくれたのだと理解した。
納得にうなずき、微笑みながら言葉を返す。
「えぇ、分かりました。伝言をありがとうございます。今からシエランシアさんのもとへ行きますね」
『あんないする~!』
「はい。よろしくお願いいたします」
広場にいるシエランシアさんのもとへ行くのに歩む、この一本道の土道の上で迷うことはさすがにありえないが、意気込む小さな風の精霊さんの気持ちを無下にするわけにはいかない。
ふよふよと進みはじめた小さな銀色の姿を、しっかりと追いかける。
拓けた広場は、すぐに見えてきた。
後発組と思われる数人のシードリアのみなさんが、広場の中央で魔法や剣や弓の訓練をしている様子を、三人の指南役さんたちが眺めている。
すいっと一足先に、案内をしてくれていた小さな風の精霊さんが、シエランシアさんの近くへと飛んで行き、次いで空色の瞳がこちらへと振り向いた。
穏やかに微笑んだまま、たどり着いたシエランシアさんの眼前で、優雅に一礼をする。
『よく来た、ロストシード』
「シエランシアさんがお呼びとあらば」
低めの女声が紡いだ言葉に、にこりと微笑みを深めて言葉を返す。
かっこいい笑みをうかべるシエランシアさんは、一つ満足そうにうなずいてから、話を切り出した。
『君を呼び出したのは、訓練と……まぁ、珍しい依頼のためといったところだ』
「訓練と、依頼ですか」
『あぁ。――秘密の、な』
最後だけひそめられた言葉に、なるほどとうなずきを返しながらも、いったいどのような訓練と依頼なのだろうかと、好奇心が湧く。
秘密の、などと言われてしまうと、心が躍るのは必然と言えるだろう。
心なしか、そわそわとしはじめた精霊さんたちを空色の瞳でチラリと見やり、シエランシアさんはフッと不敵な笑みをうかべる。
『魔法使いと言うよりは、弓使いなどの狩人向けの訓練だが……君にはちょうどいいと思ってな。見つけにくい標的を探し出して倒し、素材を回収してもらう』
「なるほど。特殊な訓練兼、素材収集依頼ということですね」
『いかにも』
告げられた内容のシンプルさとは裏腹に、おそらくは相応に難しい訓練と依頼なのだろうと解釈しつつ紡ぐと、シエランシアさんは満足気に笑みを深めた。
魔法使いよりも狩人向けとおっしゃる訓練内容には、そこはかとなくロマンを感じる。
それに、いったいどのような素材を収集するのかも気になってきた。
まずはその素材を持っているのだろう、魔物についてたずねてみよう。
「見つけることを訓練にするほど、素材をもつ魔物は非常に見つけにくいということだと思うのですが、どのような魔物なのでしょうか?」
『ノンバタフライという、透明な蝶の魔物だ。今回、この魔物の翅を十枚収集してもらう』
「透明な蝶の魔物……」
シエランシアさんの答えを聴き、見つけにくい標的を探し出すという訓練の難しさを察しながら呟きを零す。
ノンバタフライという魔物を見つけて、素材である翅を十枚収集する――聞く分には簡単そうな訓練と依頼は、その魔物が透明な蝶の姿をしているという一点で、難易度が跳ね上がるのだろう。
記憶から引き出した魔物図鑑の中には、残念ながらノンバタフライの名前はない。
つい片手を口元にそえて考えていると、『そう言えば』とシエランシアさんが声を上げ、慌てて視線を眼前へ戻した。
『アレは以前、アースベアーの住処の近くで確認されている。ロストシード、君はアースベアーと戦ったことはあるか?』
「いえ、アースベアーとはありませんが……」
問いかけに、若干答えるのをためらう。
なにせ、倒したことがあるのはアースベアーの上位種……キングアースベアーのほうだ。
今回の問いの響きから読み取る分には、シエランシアさんは私がアースベアーとさえ戦ったことがあるか、半信半疑といったところだろう。
そのように認識しているかたに、上位種を倒したと告げれば、どうなるか……まったく予想ができないとは、とてもではないが言えない。
とは言え、シエランシアさんの問いに答えないわけにもいかないのは事実。
覚悟を決め、声をそっとひそめて伝える。
「上位種の、キングアースベアーとなら、戦って倒したことがあります」
『……は?』
瞬間、空色の瞳が見開かれ、珍しく間の抜けた声がシエランシアさんから零れた。
まずい、と感じた瞬間、いつもは凛とした美貌に喜色が満ちる。
結果――はじめて聞くシエランシアさんの大爆笑に、気恥ずかしさと戸惑いで身を縮めることとなった。