百四十一話 知踊る謎解きの時間
たどり着いた一本の巨樹のそばで、いつもの通り巨樹の根本に腰を下ろし、加護の秘密を宿す本を読むクインさんとは、すぐに視線が合う。
「こんにちは、クインさん」
『やぁ、ロストシード。いらっしゃい』
優しいテノールの声と微笑みの歓迎に、こちらも穏やかな微笑みと上品な一礼を捧げる。
今日はまず書庫で本を読みたいという旨は、当然のごとく了承の返事をもらえた。
さっそく書庫の中に入ると、とたんに広がる紙の本の香りを楽しみながら、目当ての本を探す。
ただ残念なことに、書庫には[中級魔法の習得方法]とタイトルに書かれた本が追加されていたくらいで、ダンジョンなどの本も追加されてはいないようだった。
それでも貴重な知識だと、中級魔法について書かれた本を読んでみる。
いわく、中級魔法の習得方法は、[基本的にはレベル三十以上、可能ならば五十であること。習得したい属性の魔法に親しんでいること]とのこと。
「……私、まだレベル三十になっていませんよねぇ。風と水の属性の魔法に親しむ、という部分は、必ずしも否定はできませんが……」
とりあえず疑問を呟いてみたはいいものの、残念ながらオリジナルの中級魔法の謎は、この簡潔な内容の本では解けそうにない。
こういう時は――素直に、クインさんにたずねてみよう!
取って返すように書庫から出て、私の足音に顔を上げたクインさんの、不思議そうな表情に口を開く。
「すみません、クインさん。実は、本日は気になっている謎を解決できないかと、こちらにうかがったのですが……書庫の本から得ることができる知識だけでは、どうしても答えが分からないのです。いくつか、クインさんにおたずねしてもよろしいでしょうか?」
『あぁ、もちろんかまわないよ。何が知りたいのかな?』
軽い状況説明からのお願いに、快い返事をくれるクインさんは本当に優しいかただ。
ご自身の隣の地面をぽんぽんと叩く動作に、クインさんの隣へと腰を下ろして感謝と疑問を伝える。
「ありがとうございます! 二つほどおたずねしたいことがありまして。一つは、里の入り口から奥へと入った森の中の、樹の洞から地下へと通じるダンジョンのことなのですが……」
『あぁ、あのダンジョンか。古くからある、秘密のダンジョンだよ』
「秘密のダンジョン、ですか?」
あっさりともたらされた答えに、小首をかしげながら問いを重ねると、クインさんはそっと片手を持ち上げて人差し指を立て、それをご自身の口元にそえた。
すぅっと若葉色の瞳が何やら意味ありげに細められ、穏やかながらもどこか意味深長な微笑みをうかべたクインさんに、これは踏み込んではいけない内容なのだと察する。
真剣な表情でうなずきを返すと、少しだけ楽しげに笑みを深めたクインさんは、すぐにいつもの穏やかな表情に戻してくれた。
地底湖ダンジョンのことは、ロランレフさんでさえ古き歴史はこれから知っていくことになるだろうとおっしゃっていたので、クインさんが口を閉ざす理由も分からないわけではない。
気にはなるものの、薄々はこのような結果になることは予想済み。
では、もう一つの疑問をと口を開きかけたところで、クインさんが先に『そうだ』と声を上げた。
『かわりに、普通のダンジョンのことをすこし語ろうか』
「よろしいのですか?」
ありがたい言葉に、思わず問いかけると、クインさんはゆったりとうなずく。
『ロストシードが望むなら』
「ぜひ、よろしくお願いいたします!」
『あはは! 喜んで』
ゆるりと細められた若葉色の瞳に、笑顔で願いを告げる。
軽快な笑い声につづけて語ってくださったクインさんいわく。
一般的なダンジョンはエルフの里の秘密のダンジョンとは異なり、迷路状のものが多く、仕掛けや魔物の数も桁違いであるため、用心して冒険をしなければならないらしい。
用心とはまず、そのダンジョンの地図を手に入れることだそうで。
基本的に、ダンジョンの多くは冒険者ギルドにて、踏破された分の地図が売っており、お値段も安いらしい。
また、国が管理し、なおかつ広く解放されているダンジョンの場合は、王立書館にも地図が置いてあり、そちらは無料で見ることができるとのこと。
『それら地図を実際の冒険時に役立て、無事に踏破することが、立派な冒険者の第一歩だと言われているよ』
そうしめくくったクインさんに、深い納得と感謝を伝える。
「なるほど……とても充実した学びになりました。ありがとうございます、クインさん」
『あはは! どういたしまして。ところで、たずねたいことは二つあると言っていたね?』
「えぇ――実は」
色が変化した陽光に、昼から夕方の時間に移ったことを感じながら、はじめて習得した中級魔法である〈オリジナル:見えざる癒しと転ずる守護の水風〉について問う。
属性には比較的親しんでいたほうかもしれないけれども、そもそも中級魔法を習得できるレベルに到達していないにもかかわらず、いったいなぜ習得することができたのだろうか、と。
私の問いかけに、クインさんは『う~ん……』と珍しく悩ましげな表情を見せた。
『属性に親しんでいたということは、ロストシードは風と水の魔法を多用していたのだね?』
「はい。風の魔法は特に、持続発動をしておりました」
『あぁ、そういうことか。水の魔法も持続発動を?』
「いえ、水の魔法は、攻撃魔法として主に魔法戦闘でよく使っていまして」
『ふむ』
クインさんからの問いに答えると、一つうなずきが返る。
若葉色の瞳が、静かにこちらへと注がれた。
『まず、常にすべての属性の子たちと一緒にいることで、すべての属性の魔法を扱う状態に身体が慣れていたことが、最たる要因だろうね』
すらすらと紡がれた言葉に、思わずぱちりと緑の瞳をまたたく。
すべての属性の子……つまり、小さな多色の精霊さんたちが一緒にいると、なぜ分かったのだろう?
〈ラ・フィ・フリュー〉を持続発動してくれている多色のみなさんには、たしかにかくれんぼをしてもらっているはずなのだが……。
不思議そうな顔をしているのが分かったのか、クインさんから軽快な笑い声が立つ。
『あははは! うん、普通なら気づけないだろうけど、僕は少し敏いから。ちょっとした隠しごとくらいなら、ね』
「さ、さすがクインさんです!」
御見それしました、という気持ちで言葉を返す。
いや、本当に……クインさんは凄い。
しみじみと書庫の守護者たるかたの偉大さを感じていると、その間にクインさんはしばし真剣な表情で地面に視線を落とし、それからゆっくりと紐解くように、中級魔法習得の謎について語ってくれた。
いったいなぜ、極端に早い段階で、中級魔法を習得できたのか?
その一番の要因は、小さな多色の精霊さんたちの協力のもと、〈ラ・フィ・フリュー〉を常時展開していたことで、すべての属性の魔法をあつかう状態に身体が慣れていたこと。
これは、そもそも精霊さんたちは属性と魔力をつかさどる存在であるがゆえに、たとえ一番得意な魔法が精霊魔法であったとしても、すべての魔法の補助ができ、その力を常に身に浴びていれば、慣れるのはある意味当然だそうで。
他にも、レベルが二十を超えていたことで、ぎりぎり下級魔法から中級魔法へといたる土台の、本当に最低限な状態を満たしており。
さらには精霊神様の神像への《祈り》という、魔法を習得するための補助がある状態でおこなったからこそ、習得が可能だったのだろう、とのこと。
ただそれでも、今回の習得はある意味ではオリジナル魔法……もとい無詠唱ならではの荒業であり、あくまで幸運と良い条件が重なった結果だったのは、間違いないらしく。
やはり普通ならば、なかなか習得できるものではないのだと、クインさんは小さく苦笑を零した。
『まぁ、それでもロストシードなら、そう遠からず中級魔法くらいなら簡単に習得できるようになるだろうけれど』
「――ありがとうございます、クインさん」
そう、穏やかに未来への可能性で語りを終えたクインさんへ、深々と一礼をおこなう。
地底湖ダンジョンのことはともかくとして、中級魔法の謎については、きっとクインさんでなければこれほどまでに分かりやすく紐解き、謎の答えを知ることはできなかったはずだ。
改めて、クインさんの素晴らしさと、その身に宿る知識の奥深さに心底から感激し、重ねて感謝を紡ぐ。
同時に――やはり私もクインさんのような知者になりたいものだと、強く思った。