百三十三話 [穢れと浄化のクロニクル]
夜明けの薄青の光を浴びながら、たどり着いた壮麗な神殿へ踏み入ると、軽く神官のみなさんにごあいさつをしながら精霊神様の巨像の前へ。
神像のすぐそばには、いつものようにロランレフさんがたたずんでおり、優しげな微笑みをうかべて瞳を閉じ、お祈りをしていた。
お邪魔をしないように静かに神像へ歩みより、白光に煌く精霊神様の像の美しさに、今日も視線をうばわれる。
思わず小さく感嘆の吐息を零すと、右隣で穏やかな祈りをつづけていたロランレフさんが、動くのが横目に見えた。
そちらへと振り向くと、やわらかな翠の瞳と視線が合う。
どちらからともなく微笑み、軽くあいさつを交わす。
『ようこそ、ロストシード様』
「こんにちは、ロランレフさん」
『こんにちは~!!!』
『はい。小さな皆さまも、こんにちは』
やわらかに微笑むロランレフさんと、肩と頭の上でぽよぽよと跳ねる小さな三色の精霊さんたちのやりとりは、なんだかとてもなごむ。
癒される心地についにこにこと笑みを深めていると、ふいにロランレフさんの翠の瞳に真剣な色が灯った。
反射的にすっと背筋をただすのと、改めてロランレフさんと視線が合ったのは、同時。
ふわりと嬉しげに笑顔を広げたロランレフさんに、どうしたのだろうかとぱちりと緑の瞳をまたたく。
『実はさきほど、水の精霊の皆さまから連絡がありまして』
「水の精霊さんから……連絡、ですか?」
穏やかに紡がれた言葉に、小首をかしげて問いを返す。
私の問いかけにゆったりとうなずいたロランレフさんは、あたたかな眼差しで言葉をつづけた。
『ロストシード様の、地下でのご活躍についてのお話を、少々』
「……あ!」
嬉しげな微笑みとその言葉に、ようやく話題の内容が見えてくる。
思わず上げた納得の声に笑むロランレフさんへ、閃いた答えを紡ぐ。
「もしかして、地下の水中でお逢いした、水の上級精霊さんの件ですか?」
『はい』
「やはり!」
かろやかなうなずきに、答え合わせが正解だったと嬉しくなる。
自然とゆるむ口元を整えていると、ロランレフさんがうやうやしく両手を胸の前で組んだ。
『他でもない、ロストシード様こそが穢れを浄化して下さったのだと、そのように聞いております。本当に、なんとお礼を申し上げればよいか……』
「いえ! 私はたまたま、出来ることをおこなっただけですので!」
感極まったように翠の瞳を伏せるロランレフさんに、慌てて首を振り言葉を伝える。
あの地底湖ダンジョンに探索をしに行ったことも、水の上級精霊さんと出逢ったことも、なにも特別な意図があっておこなったわけではない。
本当にただ、好奇心のおもむくままの冒険だったのだから、ロランレフさんにお礼を言ってもらえるようなことはしていないはずだ。
内心若干焦っていると、ゆるりとロランレフさんが首を横に振る。
再び開かれた翠の瞳は、とても真摯な色を宿しているように見えた。
『いいえ、ロストシード様。あなたはとても重大なことを解決してくださったのです。――かの浄化は本来、私がおこなわなければならなかったものでしたから』
「ロランレフさんが、ですか?」
紡がれた言葉に驚き問うと、『はい』とわずかに沈んだ声が返る。
かすかに陰りを帯びた表情は、はじめて見るロランレフさんの哀しげな表情。
『私は地下へ定期的に通い、彼女と共に浄化をおこなう役割を任されているのです。それゆえ、元より近々下りて行く予定ではありました。ただ、近年は彼女が苦しむほどの穢れがあったことに、気づくことができず……』
彼女、とロランレフさんが表現した存在こそ、あの水の上級精霊さんに違いない。
定期的に浄化をしに地下へと通うお仕事をなさっている上で、多い……あるいは濃い穢れに気づくことができなかったこと。
何より、そのために水の上級精霊さんがたいへんな思いをすることになったことを、ロランレフさんは自らの非として申し訳なく思っているのだろう。
一つうなずき、つとめて穏やかに納得を返す。
「なるほど……では、偶然とはいえ私が浄化をおこなった件は、たしかに重要なことだったのですね」
『はい。改めまして、感謝申し上げます、ロストシード様』
「――はい! お役にたつことができて、嬉しいです!」
一拍の迷いを、すぐに穏やかな笑顔に変える。
偶然の成り行きだったとはいえ、ロランレフさんの役にたてたのであれば、ここは素直に感謝を受け入れよう。
あえて弾んだ声音で感謝に対する嬉しさを返すと、ようやくロランレフさんの顔にも、いつものやわらかな微笑みが戻った。
それに心の中だけで安堵の吐息をつきつつ、ふとそう言えばと肝心なことを思い出す。
あの浄化の後、すぐに水中遊泳に夢中になってしまったため、例の穢れについてたずねることをうっかり失念していたのだ。
せっかくの流れなので、これはロランレフさんにおたずねしてみよう。
さっと表情を引きしめ、真剣な声音で問いを紡ぐ。
「可能でしたら、定期的におこなっている穢れを浄化する件について、少し詳しくおたずねしても……?」
小さく首をかしげての言葉に、ロランレフさんは少しだけ迷うそぶりを見せたものの、穏やかにうなずきを返してくれた。
静かに『すべてを語ることは、できませんが――』と前置きがあった後、微笑みはそのままに、真剣な光を灯す翠の瞳と視線を交わす。
『地下の穢れの浄化は、歴代の神官と力ある水の精霊とで、定期的におこなうお約束になっています。これは、遥かな古代から引き継がれつづけてきたもので、役割を持つ当代が私と彼女です』
「なんと……遥かな古代から、おこなわれていることなのですね?」
『はい。この古き歴史に関しましては――シードリアの皆さまがたは、これからの旅路で知っていくことになるかと』
「なるほど……」
シードリアの目醒めの地にて、連綿と引き継がれなされてきた、穢れの浄化。
遥かな古代からつづくこの歴史を、シードリアはこれから知ることになる。
じっくりと、ロランレフさんの教えてくれた言葉を理解しながら、一つ閃く。
これから先の旅路では――星魔法を巡る特別な物語以上に、壮大な物語が待ち受けているのではないか、と。
それはいったいどれほど……ロマンに満ちた展開だろう!!
ぱっと、自身の表情が華やいだのを自覚する。
ロランレフさんの、不思議そうにまたたく翠の瞳を見返して、深く微笑む。
このような未知ならば、大歓迎だと言う気持ちを込めて、言葉を紡いだ。
「古き歴史を知り行く旅路は――きっと素晴らしいものになると、私は信じております!」
満面の笑顔で告げた言葉に……心優しい神官さんは、導くような微笑みをそっと返してくれた。