百三十話 休息にたわむれはつきものです
水の上級精霊さんたちとの水中遊泳はとても心地好く、時間の感覚を遠ざけるほど心躍る楽しさだった。
『たのしかった~~!!』
『つかれた~!』
『いっぱいつかれた~』
「おや、少々長く遊び過ぎたでしょうか」
小さな水の精霊さんの歓声に反し、風と土の精霊さんが上げた疲労を伝える言葉に、ようやくそれなりの時間が経っていたのだと気づく。
水域の制限をうけることなく、思い切り泳ぐことができる魅力に、予想以上に夢中になっていたらしい。
不思議そうな表情でこちらを見つめる、水の上級精霊さんへと振り返り、少しだけ眉を下げる。
「ええっと、すみません。私たちはそろそろ、お暇させていただきますね」
『あら! そうよね、エルフは水中で生きているわけではないのだもの。それはシードリアも同じよね』
「えぇ、そうなのです」
申し訳なさを宿した言葉に、水の上級精霊さんはうんうんと納得を見せてうなずいてくれた。
そっと左手を右胸にそえ、改めて感謝を告げる。
「便利な精霊魔法のご教授と、遊泳のお誘い、ありがとうございました。とても楽しかったです」
『よかった! こちらこそ、穢れを浄化してくれてありがとう、ロストシード』
「はい。ご無事で本当によかったです」
ふわりと笑った水の上級精霊さんは、くるりと可憐に一回転をして便利な精霊魔法〈アルフィ・アルス〉の発動により現れていた、大小の水の精霊さんたちを帰すと、ひらりと手を振った。
『気をつけて帰ってちょうだいね』
「えぇ、ありがとうございました」
『おおきなひと、ありがと~!』
『ありがと~!』
『またね~!』
ひらひらと白魚のような美しい手がゆれ、青い姿が水の中でひるがえると、あっという間に〈ルーメン〉の白光が届かない暗い水底へと姿が消える。
その様子を見届けてから、小さな三色の精霊さんたちへと声をかけた。
「――さぁ、地上へ帰りましょう」
『はぁ~~い!!!』
元気な返事に微笑みを返し、今度は水の多い空洞のルートを通り帰路を進む。
水路の端にたどり着くと、水から上がり〈アルフィ・アルス〉の発動を終了して、小さな水の精霊さんたちに感謝を伝え見送った。
かわりに風の付与魔法を再び両脚にまとった後は、一気に外を目指して駆け抜ける。
目醒めの地の奥、地底湖ダンジョンの入り口である巨樹の空洞から顔を出した時には、すっかり夕陽の橙色が森を彩っていた。
昼食後のログイン時には、大地は深夜の時間だったはずなので、かれこれ数時間は水の中にいたことになる。
少しの驚きと、今日の半日近くはダンジョン探索にあてたのだという新鮮さに、思わず笑みが零れた。
思いのほか時間をかけた探索は――心から楽しいものだったから。
「近くの小川で、少しゆっくりすごしましょう」
『うん! ゆっくりする!』
『おやすみも、だいじ~!』
『ゆっくりする~!』
肩と頭の上で、ぽよぽよと跳ねて同意を示す精霊のみなさんに微笑み、ゆったりと地面の感覚を楽しみながら歩き出す。
それほど歩く間もなく、近くにあった小川にたどり着き、そっと淵に腰を下ろしてブーツを脱ぎ、足をつける。
防御面の低下と言う意味では少々不用心ではあるが、今は冷たく心地好い水の温度と感触に癒されたいという気持ちがまさった。
さらさらと流れる水の音に、ほぅと吐息を零す。
「いやされますねぇ……」
『いやされる~!!!』
のほほんとした呟きに、小さな三色の精霊さんたちが楽しげに応えてくれる。
そのまま、まったりと橙色の木漏れ日を浴び、同じくその光を煌かせる水面の美しさに見惚れることしばし。
そう言えばと、おもむろに灰色の石盤を開き、基礎情報のページを確認してみる。
「レベルは……二十八になりましたか」
『おぉ~~!!!』
上がった歓声に微笑みながらも、戦闘回数に比べてあまり上がっていないレベルに、ふむと片手が口元に伸びた。
地底湖ダンジョンでは、十以上の動く岩の魔物を倒したはず。
となると、想像以上にレベルが上がらなかったのは、おそらく元々レベル二十以降ではレベルを上げるために、より多くの経験値を獲得しなければならないからだろう。
やはりあの、ツインゼリズの特殊個体が有する経験値量は、おかしかったに違いない。
うんうんと誰にともなくうなずき、石盤を消す。
ふと視線を川へ向けると、橙色の木漏れ日に薄紅色のウロコを反射させる、魚が泳いでいる様子が見えた。
すいっと水面へ近づいた小さな三色の精霊さんたちが、近づいてくるその薄紅色の魚と、水中と水面で戯れるのを微笑ましく眺める。
「……おや? 薄紅色の魚と言えば……?」
『なぁに? しーどりあ?』
『どうしたの~?』
『なになに?』
唐突に思い出した記憶に、意識せず零れた言葉へと問う精霊さんたちへ、穏やかに返事を紡いだ。
「あぁ、いえ。そう言えば以前、食堂の看板に書かれていたおすすめメニューに、そちらのお魚さんと思しき名前があったような、と」
『おさかなさん!!! たべる!?』
「実際に食べましたからね。食べること自体は……えぇ、できる気がしますねぇ」
『おぉ~~!!!』
わくわくとした雰囲気が、ぱぁっと周囲に広がる。
三色の精霊さんたちが放つその雰囲気を受け、おそらく食材にできるだろう薄紅色のウロコの魚……たしか、薄紅魚と看板では書かれていた魚の姿を、視線で追う。
試しに、《同調魔力操作》を使って捕獲できないかと、水中に魔力を通してみたものの……これが案外難しい!
『そこっ!』
『あ~!』
『がんばれ~!』
「これは、なかなか……!」
精霊のみなさんの声援を聴きながら、魚の周囲の水へ魔力を通し――ようやく一匹、水球の中に閉じ込めた状態で空中にうかび上がらせることに成功した。
「やりました!」
『かくほ~~!!!』
跳ねた声音と、みなさんの歓声が森に響く。
確保した魚を見つめ、さすがに生き物をカバンに収納するのはどうかと、少し迷った末に〈オリジナル:無音なる風の一閃〉を放ってみる。
風の一閃はスパッと綺麗に魚へと銀線を刻み……薄紅魚は、何故か魚肉と骨に姿を変えた。
「……えぇ?」
反射的な困惑が、思わず口から零れた。
ぴたりと空中で動きを止めた三色のみなさんも、さぞかし混乱していることだろう。
――とりあえず、これはこの世界の不思議法則だと思うことにして、そっと同じくらい不思議なカバンに収納しておく。
沈黙のままに謎を全力で横に放り投げ、固まっている精霊のみなさんへ、湧いた好奇心と共ににこりと微笑んだ。
「小さな精霊のみなさん。みなさんもすこし、同調で動かしてみてもいいですか?」
『わ~! いいよ~!』
『うごくの、わくわく!』
『うごいてみる~!』
「ふふっ、ありがとうございます。それではさっそく――」
声をかけたとたんに元気に動きだした姿に笑み、精霊のみなさんも《同調魔力操作》を使って周囲の空間に魔力を通し、それごと動かしてみる。
想像よりもあっさりとそれ自体は可能で、きゃっきゃとみなさんから楽しげな笑い声が上がった。
「できるものですねぇ」
しみじみと感動を秘めて呟くと、くるりくるりと私の意思でゆっくり順番に空中を回転していた精霊のみなさんが、その身の輝きを強める。
『しーどりあのまりょく、ぽかぽか!』
『あたたか~い!』
『ほかほかするよ!』
「ほほう……魔力はあたたかいのですね」
みなさんの嬉しげな声音に、深い響きの声音を返す。
魔力に温度があるという情報は、まだ語り板にもなかったはずだ。
新情報に口元の笑みを深め、もう少しだけみなさんと遊んだ後、川から足を上げて今度は近くの巨樹の根本へと腰を下ろす。
幹へと背をあずけると、長時間のダンジョン探索と水中遊泳での疲労を感じた。
たしかに、ここまで思い切り遊ぶと、さすがに疲れもするだろうと思う。
ちょうど現実世界では夕食の時間となる頃合いなので、もうこの場でいったんログアウトしよう。
準備を手早くすませ、小さな三色の精霊さんたちとまたねを交わして、静かにログアウトを紡いだ。
※明日は、主人公とは別のプレイヤー視点の、
・幕間のお話
を投稿します。