百二十九話 便利な精霊魔法と水遊賛美
頭上で輝く、光魔法〈ルーメン〉だけが光源となり周囲を照らす、深い水の中。
そっと抱えていた膝から両手を外し、丸めていた身体を伸ばした、少女と呼ぶには大人びた風貌の水の上級精霊さんは、一礼をした私へと同じエルフ式の一礼を返してくれた。
美しい所作に思わず見惚れていると、小さな水の精霊さんがぴゅーっと泳ぎ、水の上級精霊さんに近づく。
『ぼくたちのおおきなひと! もうだいじょうぶ?』
『いたくない?』
『いやなのなくなった?』
小さな水の精霊さんの問いかけに、私のそばにいる風と土の精霊さんも問いを紡ぐ。
その言葉にふわっと微笑んだ水の上級精霊さんは、こくりとうなずいた。
『えぇ、もう大丈夫。心配してくれてありがとう、小さな子たち。それから――心優しい、シードリア』
小さな精霊さんたちに向けられていた、綺麗な青色の瞳がこちらへと注がれ、嬉しげに細められる。
『あなたが浄化をしてくれたのでしょう? 本当にありがとう』
可憐な美貌に咲いた笑顔に、自然とうかぶ微笑みをそのままに、しっかりとうなずきを返す。
「ご無事で何よりです。なにせ、浄化の光魔法を使うのは、今回がはじめてだったもので……」
『まぁ! そうだったの?』
「えぇ」
『とってもあたたかかったわ! あなたはきっと、浄化が得意な子ね』
「そう、なのでしょうか?」
『えぇ、きっとそうよ!』
細い手で拳をつくり、そう断言する姿はどこかリリー師匠を思い出す可愛らしさがあり、思わず小さな笑みが零れた。
彼女が言う通り、たしかにはじめての魔法使用で上手く浄化することができたのならば、少なくとも魔法の扱いとしては上出来だったと言えるのだろう。
密やかに安堵の吐息を吐き、微笑みを深めていると、水の上級精霊さんは白魚のような手を片方、頬へと悩ましげにそえた。
『なにかお礼をしたいのだけれど……なにがいいかしら』
「いえ、お礼だなんて……」
悩ましくも真剣な水の上級精霊さんの言葉に、軽く首を横に振ると、澄んだ青色の瞳がじっと注がれて、思わず口を閉じる。
これは、アレだ。受け取ることが確定しているたぐいの、流れ。
なにやら覚えのある展開に、微笑みを固めたまま青色の瞳を見つめ返していると、とたんにその瞳が煌いた。
『――そうだわ! あなたたちにとって、便利なわたしたちの魔法を教えてあげる』
にっこり、と美しく笑った水の上級精霊さんに、反射的に小首をかしげる。
「便利な魔法、ですか?」
『えぇ。こう唱えるの』
私の問いかけに答えた彼女が、身体から淡く放つ青色の光を、わずかに強めた後。
『〈アルフィ・アルス〉』
そう、精霊魔法とおぼしき魔法名を詠唱した刹那――大小の青い光る球体が薄暗い水中を彩った。
驚きに見開いた緑の瞳に映る、美しい光景に息をのむ。
たくさんの、水の精霊さんたちだ!
『わぁ~! みんなだ~!』
『みずのこたちだ~!』
『わ~いわ~い!』
小さな三色の精霊さんたちが、水の精霊さんたちとたわむれるように楽しげに舞う。
その姿の可愛らしさに、ふっと口元がゆるみ、ようやく驚きと感動が胸中におさまった。
青い光に包まれた水の上級精霊さんと視線が合い、微笑みが重なる。
『あなたも唱えてみて』
「はい。――〈アルフィ・アルス〉!」
導くようなやわらかな言葉にうなずき、凛と詠唱を紡いだ。
瞬間、私の周囲にもぱっと煌き、小さな水の精霊さんたちが現れると同時に、しゃらんと綺麗な音が鳴る。
水中でもゆらぐことなく、光り現れた文字は精霊魔法[〈アルフィ・アルス〉]。
開いた灰色の石盤を見やり、説明文をさっと視線でなぞった。
[水の精霊の手助けにより発動する、持続型の補助系精霊魔法。水属性の属性魔法と精霊魔法の安定性と効能がすこし向上する。またより水に親しむことで、素早い泳ぎが可能となり、深い水域での負荷が軽減する。詠唱必須]
そう書かれていた説明文に、水の上級精霊さんが告げた、便利な精霊魔法という意味を察する。
魔法名の意味は、水の精霊の水送り、だろうか。さすが、この精霊魔法の効能をよく表している。
第一に、下級精霊を示す[ラ]の表現がない精霊魔法ということは、その存在の大小にかかわらないすべての水の精霊さんに、手助けをしてもらえるたぐいの精霊魔法ということ。
それは必然的に、下級精霊さんだけでは成すことができないような効能の魔法を、発動することができるということにほかならない。
ちらりと見やった水の上級精霊さんの近くを泳ぐ、大小の水の精霊さんたちが、この認識を肯定している。
第二に、〈ラ・フィ・フリュー〉と限りなく似たような形式で書かれた文言を見る限り、水属性だけとはいえまたもや魔法の安定性と効能の向上が見込めること。
正直なところ、ここに恩恵がのった水の精霊魔法の攻撃が、どれほどの威力になるのか……想像もできない。
端的に言って、とんでもないバフ効果と言えるだろう。
そして第三に、この精霊魔法一つで水の中をより素早く泳ぎ、深い場所へも生命力が削られることなく自由に行けるようになるということ。
これは本来、《水感》スキルの熟練度を上げることでこういう状態になれるはず。
――まさに、破格の便利さ、段階飛ばしの便利な精霊魔法と言えるだろう。
状況理解を終え、石盤を消して勢いよく水の上級精霊さんを見やる。
小さく不思議そうに小首をかしげた彼女へ、うやうやしく左手を右胸に当てて一礼し、感謝を紡いだ。
「とても素敵な精霊魔法を教えてくださり、本当にありがとうございます」
『あら! これはわたしからのお礼なのだから、気にしないで』
水の上級精霊さんの返事に、そう言えばそうだったと顔を上げると、見つめ合ったお互いの顔に笑みが広がる。
刹那、大切なやりとりをしていなかったことを思い出し、改めて姿勢をただして向き合った。
「たいへん申し遅れました。改めまして――私は、シードリアのロストシードと申します」
優雅に名を告げると、青色の瞳がぱちりとまたたく。
『ろすとしーど……ロストシードと言うのね!』
「はい。以後、お見知りおきを」
『えぇ! 忘れないわ!』
歓喜にあふれた声音での返答に、こちらもにこりと笑顔が広がる。
次いで、美しい手が導くようにすぅっと先へと伸ばされた。
今度はこちらがその意図をはかりかねて、ぱちりと緑の瞳をまたたく。
うかがうように見た水の上級精霊さんは、とても穏やかに微笑んでいた。
『一緒に泳ぎましょう! ロストシード!』
「――はい!」
なるほど。これは、遊泳のお誘いだったらしい。
チラリと確認した視界の左上、削られつづけていた生命力ゲージの減りは、ピタリと止まっている。
回復魔法をかけて戻してから、先に人魚のように泳いでいった、水の上級精霊さんへとつづいた。
〈ルーメン〉の白光と精霊のみなさんの光が照らし出す、薄暗く深い水の中。
幻想的な淡く輝く青の光をまとい、美しい精霊のみなさんと共に水の中をゆったりと泳いで行く。
〈アルフィ・アルス〉により現れた水の精霊さんたちが放つ青い光は、元から水中で煌く青色の粒と呼応するように互いにその輝きを増して煌めき、そのたびに視線をうばわれる。
宝石のごとき青の煌きは、薄暗い水の中ではまるで夜空の星々のようだ。
けれど、では今は星空を泳いでいるのかと思いつくと、それは違うと詩的な思考が否を告げる。
手や頬に触れる水の感触はとてもなめらかで心地好く、たゆたい煌く水の精霊さんたちの美しさは、まさにこの水中でしか見ることができない奇跡の一つ。
――この素晴らしさはきっと、星空では体験できないだろうから、と。
そのように思うほど、この遊泳には心が弾んだ。
『わぁ~い! たのし~!』
『すいす~い!』
『わ~い!』
いつものように肩と頭にくっつき、小さな三色の精霊さんたちが上げた歓声に、思わず頬がゆるむ。
時にはより速く、そしてより自由に――水の上級精霊さんと並んで泳ぐ時間は、本当に素敵な時間だった。