百二十八話 水の上級精霊と浄化魔法
昼食後、速やかに【シードリアテイル】へとログインをする。
小さな三色の精霊さんたちの輝きにただいまを告げ、いつもの準備と〈ルーメン〉を展開して暗い洞窟内を照らしてから――ふと、そう言えばここには元々活きのいい岩の魔物がいたことを思い出した。
慌てて見回した〈ルーメン〉の光が照らす岩場には、しかし何もいない。
……よく考えると、そもそもログイン直後から今に至るまで、《存在感知》は反応していないのだ。
とすると、この場では魔物はリスポーンしないのではないだろうか?
たしか他のゲームでも、ダンジョンにはこのような安全が確保された空間や部屋が存在していた。
おそらくは、この空間もそのような場なのだろうと結論づけ、次いで先へとつづく空洞に視線を注ぐ。
足場のない水路のようなその空洞は、やはり泳いで進む必要があるだろう。
ふっとうかんだ微笑みをそのままに、肩と頭に乗る精霊さんたちへ声をかける。
「それでは、泳いで先へと進みましょう」
『はぁ~~い!!!』
元気な返事に笑みを深め、ゆっくりと水の中へと入っていく。
浅瀬で少し泳いで慣れを感じてから、水の流れに乗って空洞に入り、先へ先へとすいすい泳いで進む。
陸地よりもいっそう快適とさえ思える水中での移動は、満足の一言だ。
いつものように、移動を素早くおこなえる風の付与魔法をまとう両脚で強めに水を蹴ると、それだけでぐんっと前へ勢いよく進み、新しい移動体験に笑みが零れる。
冷たささえ心地好い水の中を楽しみながら、ずいぶん長らく泳いだ後――唐突に広々とした深い空間へと出た。
ぐるりと見回した限りでは、ここから先へとつづく道らしきものはない。
思わず、肩と頭からふよふよと前方へ移動してきた精霊さんたちを見つめる。
「もしや、ここがすべての空洞が繋がっているとおっしゃっていた……?」
『うんっ! ぜんぶ、つながってる~!』
『おみずぜんぶ、ここにくるの~!』
『つながってるの~!』
「なるほど。それではここが、終着点というわけですね」
問いかけに対する答えにうなずき、改めて水中内を見回す。
《水感》を習得した、大きめの水たまりのような先の場所とは比べ物にならないほどに、広く深くまでつづいている、水の空間。
水のゆらぎのせいか、《夜目》の効果があってなお、暗がりに包まれた水底は見えない。
見えないものを、見るためにと行動をはじめるその気持ちを――人は、好奇心と呼ぶ。
「ここまで深いと、どのようになっているのか、やはり気になってしまいますね」
ふっと微笑み呟くと、小さな三色の精霊さんたちもそわそわと動きはじめる。
深い水域へ潜るとなると、必然的に生命力が削れていくだろうが、そこは回復魔法でなんとかなることを祈ろう。
……未知への好奇心は、止めるわけにはいかないのだから!
「みなさん、下へ行きましょう!」
『しーどりあ、きをつけて~!』
『せいめいりょく、すくなくなるよ~!』
『かいふくだいじ~!』
「えぇ。重々承知しております。生命力を気にかけ、回復魔法をかけながら潜っていきますね」
『うんっ!!!』
精霊のみなさんからの助言に答え、方針を定めて――いざ!
すいっと水を蹴り、両手で前方の水をかいて、下へ下へ。
暗闇を、頭上で照る〈ルーメン〉がゆっくりと照らし出していく光景を眺めつつ進むと、すぐにひやりとした感覚があった。今の水感レベルでは熟練度が足りないために、生命力が削れてしまったのだろう。
回復魔法〈オリジナル:癒しを与えし水の雫〉を時折発動し、生命力を回復させながら、さらに深く潜っていく。
しばらく潜ると、〈ルーメン〉の光さえ届かない暗がりの先で――美しい青がゆれた。
思わず動きを止めると、ひゅんっと小さな水の精霊さんが前へ出る。
『ぼくたちのおおきなひとだ!』
声を上げた水の精霊さんの言葉に緑の瞳をこらすと、たしかに暗がりの中には水の上級精霊さんとおぼしき姿がゆらめいていた。
ただ、その美しいはずの姿は、なにやら霧のようにその身をおおう、赤が混ざる黒いもやで隠されている。
綺麗な青の姿に、あまりにも似合わない黒霧に、思わず眉をひそめた。
「あの黒い霧のようなものは……何でしょうか?」
心配そうにふよふよと動いていた、小さな水の精霊さんへと問いかける。
水の精霊さんは戸惑うようにゆれると、こちらへと戻ってきた。
『わからないの……でも、おおきなひと、いやがってるよ!』
気落ちしていると分かる弱々しい声音が、転じて凛と響く。
小さな水の精霊さんがそう言うのであれば――あの水の上級精霊さんを、お救いしなければ!
ぱっと、さらなる深い水中を見下ろし、急いで水を蹴る。
相変わらず減りゆく生命力ゲージを回復魔法で戻して、黒霧がうすく広がるあたりまでたどり着く。
問題は、この黒霧の中をそのまま進むのは、なにやら危険な気がする、と言う点。
単に状態異常を引き起こすたぐいのものであるならば、夜明けのお花様から授かった《祝福:不変の慈愛》が多少なりとも護ってくれるはずだ。
しかし……どうにもコレは、毒や麻痺などの比ではないほど、厄介なものに思えてならない。
なぜそう感じるのかは分からないが、このような時の直感は、不思議と当たるもの。
「……さて、どうしたものか」
思わず小さく零すと、右肩を小さな水の精霊さんがつついた。
そちらを振り向くと、くるっと一回転。
『じょうかして! しーどりあ!』
幼くも力強いその言葉に、ハッと閃きが降る。
刹那で両脚にまとう風の付与魔法を消し、反射的に開いた口から、凛と魔法名を告ぐ。
「〈プルス〉!」
サッと黒霧へと向けた右手から、美しく鮮やかな白光が輝いた。
以前、天神様のお祈り部屋で授かった、古い浄化の魔法。
穢れ、魔物、闇属性の存在と魔法に対してのみ、攻撃性を有する……そう書かれていた変容型の補助系光魔法は、暗がりの水中に眩いばかりの白を広げる。
赤をチラチラと煌かせる黒霧は、あっという間にあっさりと白光に包まれて消えていった。
白光もまた、水にとけるように消えゆくその最中に、黒霧の中から現れた美しい青い長衣と長髪を撫でるようにゆらして、魔法の終わりを告げる。
鮮明になったその場には、膝を抱えて華奢な身を丸める、美麗な水の上級精霊さんがたゆたっていた。
かすかに悩ましげにゆがめていた可憐な顔が、ふっと穏やかになり、そろりと綺麗な青色の瞳が開かれてこちらを映す。
不思議そうにまたたいたその瞳に、つとめてやわらかに微笑みを返し、我ながら器用に水中でエルフ式の一礼をおこなった。