百十六話 魔物の特殊変化について
現実世界でしっかりと食事を終え、寝る準備も整えてから、この四日目最後になる【シードリアテイル】へのログインをおこなう。
橙色の光が瞼に射し込む眩さと、頬を撫でたあたたかな風に自然と微笑みがうかんだ。
『おかえり!!! しーどりあ~!!!』
「ただいま戻りました、みなさん」
綺麗に重なった小さな三色の精霊さんたちの声に、緑の瞳を開き見てあいさつを返す。
背をあずけていた巨樹の根本から立ち上がると、巨樹が並ぶ様子を何とはなしに眺める。神殿裏のこの場所は、ログアウト前と変わらず、穏やかな雰囲気をたたえていた。
どこかほっとするような心地良さに、微笑みを重ねてから、いつもの準備をおこなう。
この夕陽が眩い時間の間に、クインさんの書庫へ行かなくては。
「さぁ、みなさん。まずは書庫へ、あのスライムのような魔物の情報がないか調べに行きましょう」
『は~~い!!!』
元気な精霊さんたちの返事にうなずき、夕陽に照らされる土道を進んで行く。
相変わらず、他のシードリアの姿がまばらな様子を眺めつつ歩みを進めると、クインさんの書庫にはあっという間にたどり着いた。
橙色の光に照らされたクインさんは、普段よりも神秘的に見え、背筋を伸ばして声をかける。
「クインさん、こんにちは」
『――やぁ、ロストシード』
すぐに穏やかな若葉色の瞳がこちらを映し、優しいテノールの声が返事をくれた。
優雅に上品に、エルフ式の一礼を交し合い、本日の本題を伝える。
「今日は書庫の本を読みにまいりました。もう夕方ですが、大丈夫でしょうか?」
『あぁ、夜になるまでならかまわないよ』
「ありがとうございます!」
ありがたい言葉に思わず満面の笑みで感謝を紡ぐと、クインさんも笑顔を深めてうなずきを返してくれた。
さっそく書庫へと歩みより部屋の中に入ると、ざっと蔓の棚を見回す。
レアモンスターのような未知と遭遇をした場合には、書庫にそれに関する本が増えている可能性がある――その考えは、見慣れない背表紙が答えを告げていた。
棚から取り出した本のタイトルは[魔物の特殊変化]。
どうやら、今回の推測は正解だったらしい。
口元の微笑みを深め、椅子に腰かけ机の上で丁寧に表紙を開き、《瞬間記憶》で手早く読み込む。
魔物の特殊変化について、詳しく書かれた内容からは新しい学びを幾つも得ることができた。
「ふむ、あの魔物は、ツインゼリズという名前だったのですね」
『おぉ~!!!』
三色の精霊さんたちの歓声に微笑みながら、新しく得た情報を整理する。
魔物には環境や状況にとって特殊な変化が起こるらしく、普通の個体を通常個体と呼ぶのに対し、その変化が起こった個体を特殊個体と呼ぶとのこと。
その特殊個体数が多い代表的な魔物として、スライムが二段重なったような姿のツインゼリズがいる。
通常個体はスライムと同じく二段とも一色で、色はすごしている環境に影響されるらしく、エルフの里では川の近くにいることから、水色のアクアツインゼリズが通常個体として存在しているのだとか。
ただ本来ツインゼリズ自体、スライムがすごすことが厳しい環境の場所にいることが多いため、エルフの里にいることそのものが珍しい状況だそうで。
つまり私は……その里の中では珍しいツインゼリズの、さらに個体数自体は少ないとされる特殊個体と遭遇した、ということになるわけだ。
「またなんとも、希少な出会いだったようで」
思わず、小さな苦笑が言葉と共に零れ落ちる。
ちなみに、ツインゼリズにもキングアースベアーのような上位種がいて、それはスライムが三段に重なったような姿の、トリスゼリズという魔物なのだとか。
「急激なレベルアップの謎も、やはり特殊個体は倒した後に獲得できる経験値量が多いことが要因のようですねぇ」
開いたページの中、[特殊個体の魔物は、おうおうにして強敵であり、倒すことで経験値を豊富に得ることができる]と書かれている部分を指先でなぞり、納得にうなずく。
さすがにレベルが五つも上がるのは、予想外が過ぎたけれども……その理由が分かった以上は、驚くこともない。
むしろ、いわゆるレアモンスターである特殊個体が、かなりの種類――もとい、多岐にわたって存在すると書かれていたことのほうに、驚いた。
つい気になって、机の上で開いている本の周囲をふわふわと飛ぶ、小さな三色の精霊さんたちに問いかける。
「小さなみなさん。みなさんは、ツインゼリズ以外の特殊個体を見たことはありますか?」
『ないよ~!』
『みたのははじめて~!』
『みたことないよ~!』
「そうでしたか。……さすがに、普段お見かけするほど、特殊個体が存在しているわけではないようですね」
精霊のみなさんの返答を聴き、ふぅむ、と片手を口元にそえて思考していく。
こうして書物に記録されているていどには、周知されている存在なのだとして、その数自体が多いとたしかに大変なことになりかねない。
なにせ――特殊個体は明確な強敵なのだから。
「……えぇ、まぁ。あのような強敵と日々お顔を合わせてしまうと、それはそれで問題ですよね……」
沈みゆく夕陽の陰りを、視線を投げた窓の先に見る。
改めて、よく勝つことができたものだと、しみじみと思った。




