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過去を喰らう

作者: 九頭坂本

 思い出は、

時間と共に美化されていくものだと

何処かで聞いた事があるが、

どうやらそれは真実のようだった。

すっかり歳をとって

いい大人になってしまった私が、

「あの頃は良かった」なんて

本気で思っているのはきっとそのせいだ。

高校生の頃の写真が詰まった

分厚いアルバムを閉じ、窓の外を見た。

あの頃と変わらないはずの青空が、

今ではすっかり霞んで見えてしまっている。

私が大人になって、何かを得たからなのか、

それとも何かを失ってしまったからなのか。

大人になる、と言うことがどう言う事なのか、

今となってはよく分からなかった。

「あの頃に戻りたいな」

そう呟くと、

私しかいない散らかった広い部屋の中を、

小さくて存在感の無い音の波が伝っていった。

そのうちその音の波も消えて、

静まり返った空気が私を包んだ。

「あ。これ、知ってる」

突然に、あの頃の記憶が蘇ってきた。

高校一年生だったか二年生だったかは

もう覚えていないが、

私は確かにこの空気を知っていた。

鮮明に覚えている。

これはまさに、私と私の親友が2人で出た、

初めてのライブの時の空気だった。

思い出したら笑ってしまいそうになる。

私の勢いだけの雑なギターに合わせて

あの子の耳の痛くなるような歌声が響き渡って、

そうして演奏を終えた後、

観客達からは拍手も貰えず

ただ私達に冷たい視線が注がれていた。

その親友とは、

高校を卒業してから疎遠になっている。

久しく連絡も取っていない。

携帯の履歴を見ると、

私達が最後に会話をしたのは10年以上前だった。

久しぶりにメッセージでも

送ってみようかと考えたが、

流石にもう当時と同じアカウントを

使っているとも思えず、やめた。

改めて履歴を見てみると、

私が今現在連絡を取っているのは

仕事仲間と両親くらいだった。

それらの下に、

あの頃の思い出がそのままの形で形骸化して、

ゴミのように放置してあった。

仲の良かった私の友達達は、

今頃みんな大人になって、

色んなものを抱えて生きているのだろう。

そのうちに私との思い出を忘れていって、

私は、たまにアルバムを見て「懐かしい」と

言われるだけの存在になるのだろう。

そう考えると、

私だけが取り残されていくようで

どうしようもなく心が苦しくなった。

気を紛らわすために

私は冷蔵庫から缶チューハイを取り出し、

一気に煽った。

心がドロドロとした液体に塗れて

満たされていった。

大人になって本当に良かったことといえば、

好きに酒が飲めることくらいかもしれない。

私は回ってきたアルコールに任せて、

気まぐれに探し物を始めた。

昔の記憶を頼りに家のあちこちを漁り、

押し入れの一番奥でそれは発見された。

あの頃私が使っていた、

安物で宝物の青いギターだ。

すっかり埃を被ってしまっていたが、

持ち前の安っぽい質感はそのままだった。

まとめて置いてあったピックやアンプなどの

道具も回収し、とりあえず組み立てた。

立ってギターを構え、前を向く。

試しに弦を弾くと、

思っていたよりいい音が鳴った。

 

 痛む頭を押さえながら部屋の中を見渡すと、

そこには山のように積み上がった酒の缶があった。

朝の柔らかい日差しが

部屋の中に差し込んできている。

私は何故だか、ギターを抱えたまま寝ていた。

昨日の記憶は全くないが、

無理な姿勢で寝ていたせいで体の節々が痛んだ。

ゆっくりと体を伸ばしていると、

テーブルの上に写真が散らばっているのが見えた。

どうやら昨日の私は、

もう一度アルバムの中の写真を眺め、

思い出に浸り直していたようだった。

適当に確認しながら写真を仕舞っていると、

その中の一枚が目に止まった。

私と、私の親友が写っている写真だった。

私の手には青いギターがあって、

2人でカメラに向かってピースサインをしている。

撮影された場所は、

私達の家の近くにあった人気のない公園だった。

この公園は、

あの頃、演奏の練習場所が見つからず

困り果てた私達が

いつも練習に利用していた場所だった。

この公園の場所は、今でも覚えていた。

私はあることを思い立ち、アルバムを閉じた。

クローゼットから適当な服を取り出し着替え、

ギターケースは見つからなったから

ギターをそのまま担ぎ、

一枚だけ写真をポケットに仕込んで外へ出た。

そのうち乗せる人数が増えるだろうと思って

買った大型の中古車のトランクに

ギターとそれを鳴らすための道具を載せ、

私は運転席に座った。

助手席に乗っている可愛い熊の

ぬいぐるみの頭を撫で、エンジンを掛けた。

私は、あの頃に戻るために

思い出の公園へ向かった。


 車を降り、目の前に現れた光景に

私はまるでタイムスリップをしてしまったかの

ような感覚に襲われた。

思い出の公園は、

あの頃と全く変わっていなかった。

相変わらず無い人気と、

ぽつんと一つだけ設置されているベンチ。

周りを取り囲む木々の緑もそのままだった。

私は車のトランクを開け、

ギターを担ぎ公園の敷地に入っていった。

昔、ボロボロだったベンチは

今では朽ちようとしているように見えたが、

座ってみると意外と安心感があり、

重たくなった私の体重を支えてくれた。

ポケットから写真を取り出し、一瞥する。

ギターを構え、私は目を瞑った。

頬を撫でる優しい風と草木の匂いの中で、

あの頃の記憶がシャボン玉のように

浮かんでは割れていった。

その一つ一つを味わうように、

私は過去を喰らっていく。

勝手に体が動き出して、

勢いだけの雑なギターの音色が聞こえてきた。

新たに浮かんできた思い出の中で私が、

こちらを指差し怖がっている。

大人になってしまった、

私の姿を見て恐怖している。

固く瞑っている瞼の隙間から、

生温かい涙が溢れてきて止まらなくなった。

私は、大人になんてなりたくなかったのだ。

あの頃からずっと、大人になるのが怖かった。

そして私は、こんな大人で我慢できなかった。

あの頃に今も戻りたいよ、

そう願った、次の瞬間だった。

私のギターに合わせて、歌声が聞こえてきた。

あの頃からほとんど変わらない、

耳の痛くなるような歌声だった。

目を瞑り、視界の無い中でも

私にはあの子がすぐ近くにいるのが分かった。

それからは、夢中で演奏をした。

かつての私達がそうしたように、

大人になんてならないように。

私達は、過去を喰らい尽くした。

この小説は

バーチャルシンガーの「花譜」さんの楽曲、

「過去を喰らう」をモチーフにしています。

もし不快な思いなど

してしまったらごめんなさい。

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