龍の兄弟
とある東の国のちいさな村に千里という1人の少年がいました。千里は両親とたくさんの弟たちと狭い家で貧乏なくらしをしていました。村での飲み水は限られていたので家族の多い千里の家では山から湧くきれいな水を汲みに行かなければ足りませんでした。重い桶を担いで往復するその仕事はとても大変なものでしたが、家族でその役割をしたのは長男の千里でした。その日も千里は険しい山を桶を担いで登りました。
千里は水を汲みながら空を見上げました。いつもは澄み切ったきれいな空が今日はどんよりと曇り、雷のゴロゴロという音も聞こえていました。千里はどこかで悪いことが起きているようなそんな胸騒ぎがしました。
「今日は龍の機嫌が悪いのかな」
この山には白く美しい龍が住んでいましたが、その龍は天気を操る龍でした。その龍が嵐でも起こせば千里は家に帰れません。
「早く水を汲んで帰ろう」
急いで水の入った桶を担ぐと重い桶に身体がよろけて千里は水をぶちまけてしまいました。すると近くでパリパリンと硬くて薄い何かが割れるような音がしました。それは千里が水をこぼした先、苔むした大きな岩の間から聞こえました。千里は岩の間をのぞきこむとそこには卵がありました。卵には千里がこぼした水がかかり、つやつやと濡れています。
「でっかい鳥の卵だなぁ」
卵は千里の手のひらほどの大きさがあります。そしてそれは淡く光る不思議な卵でした。
パリ……パリ……
卵はまた音を立て、その真ん中にヒビが入ります。そして小さなヒビからは桃色の口先が見えました。くちばしの先の小さな角がガリガリと殻を少しずつ剥がしていきます。千里は早く帰ろうと思っていたことも忘れて、じっと卵が孵るのを見つめていました。しかし、殻が硬いのか、ヒナの力が弱いのか殻はなかなか割れません。
キューキュー
卵の中からは助けを求めるようなか細い声が聞こえてきます。とうとう千里は見ていられずに手を伸ばし、殻を割るのを手伝ってあげました。千里が空いた穴から指を突っ込むと殻はパリパリと砕けていきます。そしてとうとう中の雛が殻の外へと飛び出しました。千里は胸に飛び込んできたその生き物に驚いて尻もちをついてしまいました。小さいけれどそれは龍でした。千里はあたりをきょろきょろと見回しました。
「お前、もしかしてこの山の龍の子なの? 親はどこにいるの?」
千里は龍に質問しますが龍はそんなことお構いなしに彼に甘えます。すると乱暴に木をなぎ倒す音が近くて聞こえました。男たちの低い声もしています。千里は慌てて桶を担ぐと龍を抱いて背の高い木の裏に隠れました。それは武装した男たちでした。男たちは湧き水の近くに腰掛けると水を飲み始めました。中でも目立っていたのはやせ男と大男の兄弟でした。
「兄貴、生捕りにしてやろうと思ったが残念なことをしたな」
そう言いながら大男は腰に引っ掛けた鎖をジャラジャラと揺らして鳴らしました。やせ男の兄は細く生やしたひげを指でなでます。
「あの龍は強すぎた。やらなければこちらがやられていたさ。隣国では大地を揺るがす黒龍を操っていると言うが……生捕りに成功したのには何か秘密があるのだろう」
「何にせよ、龍を手に入れてこの国を手に入れる俺たち兄弟の計画はパアだ」
大男はそう言うと体に見合わない情けないため息をつきました。
「そう落ち込むな。龍の卵がこの山のどこかにあるはずだ。あの龍を襲っても嵐を起こさなかったのはこの山のどこかにある卵を守るためだ。龍の卵をみつければ中の生死に関わらず、この国の権力者に成り上がるくらいの金が手に入るぞ」
千里は見つかってしまうのではないかと、心臓がドキドキとしていました。何も分かっていない龍はキューンと千里に甘えると千里はしっと龍の口を慌てて押さえました。千里の喉もゴキュっと鳴ります。しかし、幸なことに男たちは湧水の音で千里と龍に気づいていませんでした。
「この広い山で手のひらほどの小さな卵を探すのか? 兄貴、俺はちまちましたことは大嫌いなんだ」
「それなら心配ない。安い金でも喜んで動く奴らに探させればいいんだからな」
兄弟は似た顔でニヤリと笑い合います。そして腰を上げ、男たちはその場を去って行きました。
「まずいぞ。あの人達はお前を探しているんだ」
ここにいれば龍の子はすぐに見つかってしまうでしょう。千里が真剣に考えているとぐーっと龍のお腹が鳴りました。
「お腹がすいているんだね。確か、龍は綺麗なお水を飲んで生きているんだよね」
千里は空になった桶に水を汲み、龍にあげました。すると龍はごくごくと美味しそうに水を飲みます。桶の水を飲みほすと幸せそうに千里にすり寄りました。千里はその姿が可愛くて背中を撫でてあげました。龍がキューと上機嫌に鳴くと不思議なことにどんよりと曇っていた空が晴れていき、太陽が出てきました。太陽の光に照らされた白い龍の鱗が虹色に光ります。
「うわぁ、きれいだなぁ! 僕、お前みたいな雲を見たことあるよ。たしか彩雲っていう雲なんだ。そうだ、お前の名前は彩雲にしよう。彩雲は僕が守ってあげるからね」
千里が言うと彩雲は返事をするようにキュンと鳴きました。
千里は彩雲を服の中に隠し、家に連れて帰ることにしました。家にしか居場所のない千里はそれしか考えられなかったのです。帰ると家の前では母親が腕を組んで千里を待っていました。
「千里! どこをほっつき歩いていたんだい!?」
「あの、それが……母さん、実は……」
千里は口籠もりました。母親の背中では生まれたばかりの小さな弟がグズグズと泣き、家の奥にもたくさんの弟たちがお腹が空いたと騒いでいます。千里の声は弟たちの声にかき消されてしまいました。
「あー、うるさくって何にも聞こえやしないよ! 千里、早く水を瓶に移しておいで! さっさとおしよ! 今日は忙しいんだからね!」
千里は担いでいた桶を下ろしました。カランカランと軽い音に母親は桶の中をみます。桶に水は1滴も入っていませんでした。水はすべて彩雲が飲み干してしまったのです。
「空じゃないか! さては水をこぼしたんだね!? 役立たずの息子だよ!」
母親は怒り千里を叩きました。千里はジンジンと痛む頬を押さえながら母親に事情を説明しようとしました。しかし、それよりも前に服の中にいた彩雲が飛び出してフーッっと母親に威嚇しました。それと同時にピシャーンと千里と母親の間に雷が落ちたので母親はギャーっと悲鳴を上げました。
すると騒ぎを聞きつけた父親が家の中からやってきました。
「なんだ今の雷が落ちたみたいな音は……ヒック。お前、千里を山に行かせて龍の卵探しにやるんじゃなかったのか? 早くしないと他の奴に先を越されるぞ、ヒック」
父親は赤くなった顔でしゃっくりをしながら言いました。
「あんた、今、あたしの目の前雷が落ちたんだよ! 千里が変な生き物を連れてきたんだ!」
母親は父親の背に隠れて指差します。父親がずいっと千里に顔を近づけると鼻をつくような酒の臭いがしました。
「こりゃあ、龍の子どもじゃねぇかぁ! おえらいさんの話じゃ探しているのは卵ってことだったが」
彩雲はまたフーフーっと荒い息を吐くと頭上に暗い雲が立ち込め始めました。千里は彩雲をなだめるように撫でます。
「大丈夫、この人たちは僕の家族なんだ。だから大丈夫だよ」
すると雲は消えていき、彩雲は顔を千里の胸にすりつけました。
「これは幸運が巡ってきたぞ」
千里に懐いている彩雲を見て父親が悪い顔で笑います。
「あんた、どういうことなんだい?」
父親は母親の耳元に近づきました。
「さっき来た男たちが言っていただろう。龍の卵を見つけたら大金を払うと。死んだ卵にあれほどの大金をかけているんだぞ。生きた龍の子ならどれだけの値がつくか想像できるだろう?」
すると母親は目を見開いて千里を見つめ、顔いっぱいに笑顔を浮かべると先程叩いた頬を優しく撫でました。
「千里や、さっきは叩いて悪かったよ。痛いかい? 私を許しておくれね」
「うん、僕も全部水を龍にあげてしまってごめんなさい」
「いいんだよ、その子もかわいそうにね。大丈夫、母さんたちはちゃんと世話してもらえるところを知っているからね」
千里は母親の言葉にほっと胸を撫で下ろしました。彩雲は襲いませんがシャーっと警戒しながら母親を見ました。
母親は千里と彩雲を山の麓にある洞窟へ連れて行きました。その洞窟の奥にはきらきらと光る水晶の部屋がありました。その4隅には杭とお札が貼ってあります。
「母さん、ここは何なの?」
千里は不安になって母親に尋ねました。
「大丈夫、お前が何も心配することはないさ」
母親はいつもは見せないような優しい顔で笑います。すると突然、千里は後ろから強い力で掴まれました。
「本当に見つけてくるとはな。しかも生きた龍の子を」
低い声が洞窟に響きます。掴まれた腕はギギと骨が軋み、重い痛みが走ります。腕を掴んでいたのは水飲み場にいた大男でした。大男は千里から彩雲を引き剥がすと杭の中に彩雲を投げ入れました。彩雲はすぐに千里のところへ戻ろうとしますがバリッという音と共に見えない壁にはじまれてしまいました。
「子龍のお前には出れないさ。元は母龍の生捕用の結界だからな」
後からはやせ男と千里の父親がやってきました。結界にはじかれた彩雲は痛そうに倒れていましたが雷をまとわせて怒ります。
「岩に囲まれたここでは雷を落とすことも嵐を起こすこともできないぞ」
やせ男は意地悪く声をあげて笑いました。
「彩雲に意地悪するな!」
千里は捕まれ腕を振り解こうとしますが、びくともしません。
「汚くて生意気なガキだ」
大男はさらに強く千里の腕を掴みました。千里は痛くて泣きながら悲鳴をあげます。するとそれを聞いた彩雲は千里を助けようと起き上がりもう一度結果にぶつかりました。
「彩雲、だめだよ。怪我をしているじゃないか」
ぼろぼろになりながらも彩雲は結界にぶつかるのをやめようとはしませんでした。やせ男はその様子を見て、にやりと笑います。
「どうやらこいつはお前を母親と勘違いしているらしい。おい、そいつを思い切り地面に叩きつけろ」
大男はやせ男に言われた通りに千里を地面に叩きつけました。すると彩雲は怒り、牙を剥きました。やせ男は彩雲に言います。
「おい、龍。お前が暴れるとこいつはもっと酷い目にあうぞ」
すると彩雲はシャーと威嚇し、その場に座り込みました。その様子を見て男が満足そうに笑います。そして千里の両親に袋一杯の銀貨を渡しました。
「息子に龍の世話をさせろ。うまくやればまた金をやろう」
「へぇ、ありがとうございます!」
千里の両親は男たちに何度もヘコヘコとお礼を言いました。
「彩雲」
千里は横たわりながら彩雲を呼びます。彩雲は千里の身を案じるようにキューと小さく鳴きましたが、千里は痛さと恐怖で動けませんでした。
それから千里は男たちに言われた通り彩雲の世話をしました。山の湧き水しか飲まない彩雲のために千里は1日に何度も水を汲みに行きました。険しい山道を何往復もするのは大変でしたが、水をあげる時は彩雲が嬉しそうにするので千里も頑張れました。
男たちは彩雲の力を使って国を好きなように動かしました。彼らのやり方に逆らう村や町には嵐が襲い、雷が落ちました。彩雲は休む間もなく力を使わなければならないのでいつも元気がなくぐったりとしていました。
「彩雲が可哀想だから休ませてあげてください」
千里は何度も男たちに言いましたが言うたびに彩雲の前で痛めつけられました。そうすれば彩雲が男たちの言うことを聞くからです。千里は夜になっても家に帰らず彩雲を抱きしめて眠りました。彩雲は千里のお腹に顔をこすりつけます。
「くすぐったいよ、彩雲」
千里は彩雲を撫でながら笑いました。
「僕は弱いし母親にはなれないけどいつか強い兄貴になって彩雲を助けられるように頑張るよ」
千里は男たちに痛めつけられ身体中が痛みましたが、それよりももっと心が痛くてしょうがありませんでした。
そして何年か経つと子供だった千里は立派な青年になり、彩雲も洞窟が窮屈に感じるほどに大きくなりました。それでも甘えん坊の性格はそのままで大きな顔を千里のお腹にぐりぐりして甘えました。
「くすぐったいよ、彩雲」
男たちは仲の良い千里と彩雲の姿を見てほくそ笑みます。
「こんなに上手くいくとはなぁ。このままいけばこの国だけでなく隣国の支配も夢じゃないぞ」
「噂によると隣国は黒龍に逃げられたらしいからな。攻めるなら龍のいない今が好機だ」
成長した千里たちのように男たちの野望もまた大きくなっていました。
千里は彩雲の力が戦争に使われることを知ると耐えきれず母親にこぼしました。
「彩雲は争いが好きじゃないのに、彩雲の力が戦争に使われるなんて可哀想だよ」
両親は千里のおかげで贅沢な暮らしを手に入れていたので彼をチヤホヤしていましたが、その言葉を聞くと顔色を変えました。
「恐ろしいこと言うんじゃないよ。あんたが裏切ったら家族みんなが食えなくなるんだ。龍のために家族を見捨てるつもりかい!?」
広い家の中からは弟たちが菓子を取り合って喧嘩をする声がしました。弟たちも大きくなり働きにでても良い年齢になっていましたが、千里に甘えてずっと家で喧嘩ばかりしていました。しかし、千里にとっては成長してもかわいい弟たちに違いありません。仕事の大変さを知っている千里は、弟たちに仕事をさせるのはかわいそうだと思いました。
「ほら分かったなら、さっさと水汲みに行きな。龍が待ってるよ」
母親は冷たくそう言うと父親と一緒に酒を飲み始めました。
千里は言われた通り、桶を担いで水を汲みに行きました。担いでいる桶も子どもの頃使っていたものよりずっと大きな物ですが毎日それを担いできた千里には重くはありませんでした。千里がいつものように山に水を汲みにくると突然後ろからナイフを突きつけられました。
「それは龍の水だな。龍はどこだ?」
それは若い女の子の声でした。千里は突然襲われて怖くなりましたが、彩雲を狙っているのであれば放ってはおけません。
「りゅ、龍をどうするつもりだ?」
「助けたいのさ。私は空を自由に飛ぶ龍が好きなんだ。だから龍を閉じ込める悪い奴は私が倒す」
千里は女の子から出た意外な言葉に驚き、同時に自由に飛ぶ彩雲を想像しました。
「あぁ……空を飛ぶ彩雲はきっと美しいだろうなぁ」
千里がつぶやきました。すると先ほどとは違う優しい声で女の子は言いました。
「あんた、龍が好きなんだね」
そして彼に突き立てていたナイフを下ろしました。
千里が振り返って見るとそこには旅の格好をした女の子がいました。腰にはナイフの他にもたくさんの武器を持っています。
「いきなりナイフを突きつけて悪かったよ。素手じゃ敵わなそうだと思ってね」
女の子はそう言って笑うとナイフをしまいました。不思議そうに見ていると女の子はさらに目を細めて笑いました。
「私はモシリ。あんたは?」
「僕は千里。でも、龍を助けたいのにそんなすぐに僕を信用していいの?」
「私、分かるんだよね。龍を家族みたいに思っている奴が。だからきっとあんたは私に協力するだろ?」
「家族みたいに?」
「家族は何より大事だからね」
モシリは腰に手を当てて言います。千里は両親と弟たちを思い出しました。彼は家族のために彩雲を救うことはできません。しかし彼女なら彩雲を救ってくれるかもしれないと思いました。
千里はモシリを彩雲のいる洞窟に案内しました。
「こんな寂しい洞窟に閉じ込められて可哀想に。警備もいないし龍を軽んじてるんだね」
モシリが怒ります。彩雲が逃げないので男たちの見張りもさぼりがちになっていました。そして水晶の部屋に着くとモシリは彩雲を見て目を輝かせました。
「なんて綺麗な龍」
大人になった彩雲は洞窟の暗がりでも分かるほどに7色に光り輝き、美しい龍になっていました。モシリは彩雲を閉じ込めている古びた粗末な結界に驚きます。
「こんなものすぐに破れるだろうに。きっと力が弱かった頃、破れなかったから今も破れないと勘違いしているんだね。可哀想な子」
そう言って彩雲を撫でました。彩雲も気持ちよさそうに目を細めます。
「モシリ、彩雲をここから逃してあげてほしいんだ」
千里が言うとモシリは頷きます。
「彩雲、龍はあなただけじゃない。あなたが望めばいつでも自由になれるんだよ」
しかし、彩雲に動く様子はありませんでした。
その時、洞窟の入り口から男たちがぞろぞろとやってきました。先頭に立つのはやせ男と大男です。
「本当に逃がそうとしているとはな」
モシリは剣を構えて彩雲の前に立ちます。
「なんで? いつもはいないのに」
ガクガクと震え出す千里に男たちはにやにやと笑います。
「密告があったのさ。まぁ密告したのはお前の親だがな」
そう言われ子供の頃のように大男に腕を掴まれると千里の体は恐怖で動かなくなりました。
モシリは武器を振りますが狭い洞窟で屈強な男たちに囲まれては、なす術がありません。彩雲はうなり、雷を纏わせて怒ります。するとやせ男が言いました。
「心配するな、命は奪わないさ。お前が言うことを聞かなくなるからな」
すると彩雲は静かになりました。モシリはハッとして千里を見ます。
「千里、龍をここに閉じ込めていたのはあんただったんだね?」
「え?」
千里は驚いて顔を上げました。モシリは大人しく男たちの言うことをきく彩雲を哀れみの目で見ていました。
「彩雲はあんたを守るために自分の意思でここにいるんだよ。あんたも彩雲を家族だと思っているなら、やるべきことがあるだろう?」
モシリの言葉を聞いていた大男が鼻で笑います。
「龍が家族? 笑わせるな。龍は道具なんだよ!」
千里の心に怒りが込み上げます。自分のことは何を言われてもかまいません。しかし彩雲を悪く言うのは許せませんでした。千里は自分を掴んでいる大男の手をもう片方の手で掴みました。大男はその力強さに「ギャッ」と悲鳴をあげます。よくよく見ればあんなにも大きく恐ろしかった大男の手は千里の手とたいして変わりません。千里は拳に力をこめると力一杯大男に振り飛ばしました。千里は細身ではありますが、毎日の水汲みのお陰でそこにいる誰よりも力強くなっていたのです。倒れた大男を見て千里の心臓が激しく鼓動し、耳の奥にドキドキと響きます。
「お前、そんなことをしていいと思っているのか?」
やせ男が言いますが千里はもう怖くありませんでした。
「お前ら、やっちまえ!」
やせ男の掛け声で飛びかかってくる男たちを千里は掴み、振り飛ばしていきます。誰も彼に敵う者はいませんでした。そして千里はモシリを捕らえていた男たちもあっという間にやっつけてしまいました。
「彩雲、おいで」
呼びかけると彩雲は尖った爪を見えない壁に向かって突き立てました。結界はパリパリと音を立てて割れていきます。そして結界から飛び出ると彩雲の胸に飛び込みました。
「彩雲が僕を助けてくれていたんだね」
千里は彩雲抱きしめます。彩雲は返事をするように「キュー」と鳴きました。
「さぁ、早くこんなところ出ていくよ」
モシリが言うと彩雲は2人をその背に乗せました。やせ男が千里に向かって叫びます。
「お前が逃げるのなら今度はお前の家族を痛めつけてやる!」
するとそれを聞いていた両親が悲鳴をあげて洞窟の外へと逃げて行きました。
「お父さん、お母さん……」
逃げていく後ろ姿を見ながら千里が呟くと彩雲が心配そうに見つめました。
「大丈夫、僕には彩雲がいるから。さぁ、行こう!」
千里は彩雲に微笑み出口を指差します。
「まてー!」
彩雲が外へと出ようとするとやせ男が両手を広げて洞窟の出口に立ちはだかりました。
「ここから出さなければ俺たちの勝ちだ! 洞窟には雷を落とすことも嵐を起こすことも出来ないんだからな!」
すると彩雲が上を向いて大きく鳴きます。
「キュウウウウゥーー!!」
まるでそれが合図のようにゴゴゴゴゴと地面が揺れ地鳴りが響きました。天井からは石と埃が落ちてきました。
「なんだこれは、まるで大地が揺れているようだ」
やせ男はうろたえ、千里も何が起きているのか分かりませんでした。モシリは顔を輝かせます。
「私のお母さんだ」
地面が激しく揺れてやせ男がよろめくとその隙に彩雲は洞窟の外へと滑るように飛びました。彩雲が洞窟から出ると地面はさらに激しく揺れて岩が崩れていきます。そしてとうとう洞窟は崩れ、逃げ遅れた男たちは岩の下敷きになってしまいました。
洞窟の外には大きくて立派な黒龍が待っていました。地面を揺らしていたのは黒龍でした。モシリは黒龍に飛び付きます。
「お母さん」
黒龍もモシリを優しい目で受け入れていました。千里は首を傾げます。
「お母さん?」
「お母さんは人間が大好きなんだ。だから悪い役人がまだ生まれたばかりの赤ちゃんだった私を人質にして龍の力を利用したんだよ。人間にひどいことをされても、お母さんは私のことを本当の子供みたいにずっと大切にしてくれた。だから大人になったら絶対お母さんを助けるって決めていたんだ」
「それで本当に助けられたなんてすごいや」
千里が言うとモシリはきょとんとした顔をしてから笑いました。
「あんただって同じじゃん。ずっと彩雲を助けたかったんでしょ?」
彩雲は嬉しそうに千里に顔をこすります。モシリは安心して黒龍の背に乗りました。
「これからどこに行くの?」
「これからもお母さんと一緒に龍を助けにいくよ。龍は私の家族だから」
それを聞いた千里は彩雲と顔を見合わせます。1人と1匹の答えはもう決まっていました。
「僕たちも一緒に行っていいかな」
モシリは満面の笑みで「もちろん」と言いました。
彩雲は千里を乗せて空へ駆け上がります。すると地上から怒鳴り声が聞こえました。
「この親不孝者!」
それは千里の両親でした。
「いいの?」
モシリが聞きました。
「いいんだ。父さんと母さんにもこの狭い世界から自由になってほしいから」
声はどんどん小さくなり聞こえなくなっていきます。空の上から見る地上はどこまでも続き、千里の村がもうどこにあるのかもわかりません。
自由に空を飛ぶ彩雲はとても美しく生き生きとしていました。
「彩雲、ありがとう、大好きだよ」
千里が言うと彩雲は嬉しそうに目を輝かせて彼のお腹に向かってぐりぐりと鼻を押し付けました。
「くすぐったいよ」
千里と彩雲は楽しそうに戯れ合います。
「あんたたち兄弟みたいね」
モシリがそう言って笑いました。
「うわぁ! 見てみろよ!」
その頃、千里の弟たちが喧嘩をやめて空を見上げていました。広い空を人間を乗せた2ひきの龍が自由に飛んで行きます。誰も龍に乗っているのが千里だということに気づいていません。
「俺もあんな風に飛んでみてえなぁ」
弟の1人が言いました。空はどこまでも明るく晴れ渡り、彩雲の鱗はキラキラと虹のように輝いていました。
おしまい
お読み頂きありがとうございました!
お気付きの方もいらっしゃるかもしれませんが、エレファントシンドロームをテーマに書いてみました。子どもの頃の足枷は重く大きく感じるかもしれませんが、今も苦しんでいる方の足枷が少しでも軽くなりますように。
今年ももうすぐ終わりますね。皆様がほっこり幸せな冬が過ごせますようお祈りしています⭐︎




