第57話 Past Maidens
2009年12月25日。
時刻はちょうど0時。この日は始まったばかりだ。隆は雑貨屋Dream Houseにいた。
白いたぬきの怪物に変身する時と、黒い魔法少女に首を切られて意識を取り戻した時の記憶をボーッと思い出す。さらに、詳細はわからないが自分が知るはずの無い事実を一つ知っていた。
「やっと終わったんだね……」
バイク事故から目覚めて色々知っていた時と同じように、異常者から怪物を作る能力が消えた事を知っていたのだ。
隆はため息をつき、今までを一人で振り返ようとする。だが、その時間はなかった。
チリンチリーン。
ドアベルが楽器のように綺麗で、それでいて慌ただしい音色を奏でる。もはや、懐かしい音だ。空いたドアから寒い冬の空気が入る。
「隆くん! 異常者やっつけたよ!」
亜美子が元気よく店の中に入ってきた。その笑顔は変わっていない。
だが、変わったこともある。ピンクの石のハートのネックレスが、薄紫の石のハートのネックレスに変わっていたのだ。ピンクと青が混ざったかのような、亜美子と夢奈が混ざったかのような綺麗な薄紫色。
変わったことはもう一つあった。その事実に隆は言葉を失う。
「ん? 隆くん……どうしたの……?」
亜美子が不思議そうに尋ねる。隆は声を振り絞って言う。
「左腕……」
亜美子の左腕は時間が巻き戻っても喪失したままだった。
「あぁこれね……まぁ仕方ないよ」
亜美子は諦めたように力なく笑う。隆の目が潤んでいる。
「僕のせいでこんなことになってごめんね……」
深々と頭を下げる隆に、亜美子は優しい声で言う。
「隆くんだって、私を助けるために自分の腕を犠牲にしてくれたよね。それと同じようなことをしただけだよ」
「……僕が一人で異常者を仕留めていれば、亜美子ちゃんが犠牲になることもなかった。本当に何もできなかった……」
亜美子は隆の暗い声は何度も聞いたが、今までで一番暗い声だ。亜美子はそれを照らすように言う。
「そんなことないよ! 隆くんの力があったから勝てたんだよ!」
「え?」
隆からこぼれ落ちそうになる涙を、亜美子の言葉はそっと止める。亜美子は、異常者との戦いや他の星の話を隆に話し始めた。
人間に知覚できるスケールを超えた話であり、隆はただ驚くことしか出来なかった。そして、それだけのことを成し遂げた亜美子を一瞬神のようにも感じた。だが、やはり目の前にいる亜美子は、自分の知っている亜美子であった。
隆の後悔は消えない。それでも亜美子の優しさに触れて、隆の顔は明るくなった。
「本当にありがとうね亜美子ちゃん。僕も少しは役に立てたんだね。和泉さんも力を貸してくれて良かった。あの子の記憶が僕にないのが、本当に悔しいよ」
「良いんだよ、隆くん。夢奈ちゃんは私の記憶の中にちゃんといるから」
亜美子は薄紫の石のハートのネックレス見て、右手でそっと触れる。隆はその光景に微笑む。
「和泉さんだけでなく、あいつまで亜美子ちゃんを助けに来たんだね。
……あいつの件はごめんね。亜美子ちゃんにお姉ちゃんを失った悲しみを与えたくなくて、黙っていたんだ。他にも色々隠し事して結果として傷つけて……本当にごめんね」
隆はまた深々と頭を下げる。亜美子は慌てて言う。
「いいよいいよぉ! 私だって隆くんの気持ちを考えないで酷いこと言ったし、お店のもの投げつけちゃったし……私の方こそごめんなさい!」
亜美子も深々と頭を下げる。
約5分後、亜美子の方が先に顔をあげる。
「そういえばさ、お姉ちゃんがどんな人だったか聞かせてもらえる? 私、前の世界のお姉ちゃんの記憶しかなくてさ……」
隆はすぐに顔をあげる。
「前の世界の記憶がまだ残ってる!?」
焦っている隆の顔を見て、亜美子は慌てて話す。
「大丈夫だよ! 廃人になんてならないよ! 前の戦いで普通の人間と変わっちゃったからかな?
それに、前の世界の記憶のおかげでお姉ちゃんのことがわかったから、むしろ感謝しているよ!」
隆は亜美子が大丈夫だと言ったのでその言葉を信じることにした。
「それなら良かった。あいつの話ね……もちろん! いっぱい話すよ!」
隆は亜美子の姉、つまり恋人のことを言葉通りたくさん話してくれた。戦いの全てが終わっても、隆の心には自分のせいで恋人を死なせてしまった自責の念があった。だが、それ以上に恋人の妹に、恋人の話ができることが嬉しかったのだ。
亜美子は隆の話があまりにも細かく多すぎるので、少し引いていた。だが、大好きな姉が隆にこんなに愛されていたと知る事が出来て、嬉しかった。自分が失った姉との時間が埋まっていくような感じがした。
亜美子は懐かしそうに言う。
「私ね、5歳くらいの時に人とおしゃべり出来なくなったんだ。もしかしたら、お姉ちゃんがいなくなって寂しかったからかもしれないね。
でも、小5の時に夢奈ちゃんと同じクラスになったの。私、どうしても夢奈ちゃんと友達になって名前を呼びたくてさ。だから、頑張って声かけたんだ。そうしたら夢奈ちゃんと仲良くなって、他の人とも話せるようになって、昔の明るい私に戻れたの。
……きっと、お姉ちゃんが私と夢奈ちゃんを出会わせてくれたんだね」
もちろん、亜美子は姉がいたことすら覚えていなかった。だが、隆の話を聞いているうちにそんなように思えたのだ。
隆はにっこり笑う。
「僕もそう思うよ。あいつは明るくて優しい亜美子ちゃんが大好きだからね」
その言葉を聞いた亜美子は少し寂しそうな顔になる。
「私は優しくなんてないよ。優しかったら異常者にあんな酷いこと言わなかった。夢奈ちゃんを傷つけたクラスの人達と同じだよ……それに、隆くんがいなくなったら、私はもう明るくいられないと思う」
夜に力を使ってしまった亜美子はわかっていた。その代償は夜明けと共に必ず支払わなければならない。それは、同じく力を使ってしまった隆と会うのがこれで最後であることを意味している。
地球がなくなってしまった世界では、夜明けは起きないため代償を支払う必要はなかった。
もちろん、亜美子はそのことも知っていた。だが、それでも地球に戻りたかった。確かに、辛いことも悲しいこともあった。でも幸せなこともたくさんあった。そんな大切な地球を元に戻してあげたかったのだ。
隆は優しい声で亜美子に言う。
「亜美子ちゃんは優しいよ。僕だったら異常者を苦しめたことを絶対に疑問にすら思わなかった」
亜美子は力なく言う。
「……それは私の弱さだよ。隆くんみたいに強くないから自分がしたことを後悔しているだけだよ」
隆は首を横に振る。
「違うよ、亜美子ちゃん。亜美子ちゃんは強いよ。優しさは強さだ。でもね、強さに疲れたなら弱くても良いんだよ。誰に対しても優しくある必要もない。
明るさだってそう。明るくいられない時は明るくなくて良い。病む時は病んだって良いんだ。でも、何があっても、生きることだけは最後まで諦めないで欲しい。約束できる?」
「ありがとう……約束する」
亜美子の目から無限にも思えるほどの涙が溢れてくる。亜美子は絶対に生きることを誓った。その顔は力強い笑顔だ。
その後、二人は思い出話に花を咲かせた。辛いこともたくさんあったが二人は楽しく最期の談笑をしたのだ。
そして、楽しい時間はあっという間に過ぎ、もうすぐ夜明けを迎える。
「私、そろそろ帰るよ、最後にお父さんとお母さんの顔を見ておきたいからさ」
「ちょっと待って」
隆は店のカウンターに行き何かを握る。そして、それを亜美子のところまで持って来た。
「亜美子ちゃん、手を出して」
「ん? うん」
きょとんとした顔で亜美子は右手を出す。隆は左手で掴んでいた大切なものを置いた。
「これを亜美子ちゃんに、持っていて欲しい」
亜美子の手にはたぬきのスタンプが置かれていた。亜美子の姉が隆のために作ったものだ。夢奈もそうであったが、特異点である者は例え存在が消えても、存在した証を少しだけ残せるのだろう。
亜美子は右手をぎゅっと握りしめる。
「ありがとう。大事にするよ」
隆は満面の笑みを浮かべる。
「こちらこそありがとう。またね」
隆は左手を亜美子に振る。
「今日もまた会えたんだからきっとまた会えるよね。その時は、一緒にお店やろう! またね!」
亜美子はたぬきのスタンプを握った右手を隆に振る。
チリンチリーン。ドアベルの音色も亜美子に別れを告げた。
夜明けまであとあと少し。
隆はその時を静かに待っていた。亜美子がいなくなってからは、ずっと砂浜の写真を見つめている。
この写真は本来なら恋人の姿が写っていた。でも、今は砂浜の風景しか写っていない。それでも、隆にとっては恋人の写真なのだ。
そんな静寂の中。それは聞こえた。
チリンチリーン。
隆は一瞬、亜美子が忘れ物でも取りに来たと思った。だがおかしい。ドアが開いた様子がないのだ。隆が不思議に思い、ドアの方を向く。
「本当に素敵なお店だね」
そこには一人の少女が立っていた。隆の顔は涙でぐちゃぐちゃになる。全身から込み上げる思いを、声に変えてその名前を叫ぶ。
「夢奈ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」
隆の目の前にいるのは、自分の恋人であり亜美子の姉である少女、加藤夢奈だ。隆が卒業した中学の制服、今の自分と同じウェーブがかかった長い黒髪、180センチある隆よりも20センチほど低い身長、14歳に見えないほど老けているが優しそうな顔、眼鏡をしたキラキラと輝いている瞳。
あの日の加藤夢奈だ。
「久しぶり隆。しばらく見ないうちに随分、見た目が変わったね。その髪型、私みたい。私より似合っているかも」
加藤夢奈は隆の顔を嬉しそうに見る。隆は泣き叫ぶ。
「ごめんね、ごめんね、夢奈。あの時、痛かったよね? 助けてあげられなくてごめんね。俺がもっともっと強かったら、夢奈も亜美子ちゃんも亜美子ちゃんの親友も、誰も巻き込まなかった。辛い思いなんてさせなかった。
俺は……夢奈との約束を破ってあの力を使って、たくさんの犠牲者を出して……それでも、あれを倒せなかった……
でも、終わったんだよ。亜美子ちゃんが終わらせてくれたんだよ。夢奈の妹は、本当に強い子だよ。
夢奈……夢奈……ごめんね……」
加藤夢奈は隆にそっと近づく。永遠に会えないはずの二人の距離が縮まっていく。
そして、その身体を強く優しく抱きしめる。隆の身体に加藤夢奈の体温が伝わる。
その髪からは甘いシャンプーの香りもする。加藤夢奈が消えてから、隆は同じシャンプーを使っていたが、それも7年前に生産が終了している。本来ならもう終わってしまった香りだ。
何もかもが懐かしく、何もかもが愛おしい。
「謝らなくて良いよ。だって私、怒ってないもん。もし、世界中が隆を責めても、私は味方だから。
ずっと、私の彼氏でいてくれてありがとうね。隆は誰よりも強いよ。いなくなった女をこんなに強く思ってくれる男なんていないもん。
Dream House……私の夢も私の代わりに、その強い気持ちで叶えてくれた。亜美子だって隆がいたから勝てたし、亜美子の親友だって隆がいたから報われたと思うの。
……本当にありがとう。大好きだよ、隆。今までよく頑張ったね。お疲れ様」
涙が止まった隆は加藤夢奈を強く抱きしめる。二人の身体は淡く光り、徐々に薄く透き通っていく。
隆は加藤夢奈の肩に両手を置く。右腕も動いたのだ。お互いが少し照れ臭そうに見つめ合う。
「ありがとう、夢奈。これからも、ずっと大好きだよ」
「私もだよ、隆。10年近くもいなくなってごめんね。でも、もうこれからは一緒だよ。また、二人でゼリーでも飲もうね」
加藤夢奈は当時新発売だった飲むゼリーが大好物だった。あの日と何も変わらない加藤夢奈に、隆の口元が笑う。
二人の身体は近づいていき、唇から一つの淡い光になっていく。そして、その光は朝の陽射しにかき消された。
照井隆、加藤夢奈、加藤亜美子、和泉夢奈、四人の瞳に朝陽は映らない。それでも、太陽はこの星を優しく照らす。光は、この世界は優しく照らす。
魔法少女達と変なたぬき。彼女達の戦いは誰の記憶にも存在しない。過去にだけ存在する。
四人が護ったこの世界は、明日の光へと突き進んだ。
最終章 Shining-明日の光へ-【完】
【次章】Extra2




