第56話 終わりが見えたよ、家に帰ろう
亜美子がいなくなり、異常者に耐え難い孤独が襲う。
「寒い……寒い……寒い……」
半透明の七色の光の球体の中は決して寒くはない。だが、異常者はたった一人で宇宙空間にいる。この寒さはその恐怖そのものだ。もちろん、それだけでは終わらない。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」
一度大きな悲鳴をあげると、異常者はもう声を出さなくなった。亜美子の血の毒が作動したのだ。身体を動かせず、声を出すことさえできない。
さらに、異常者の全身を生身の人間が即死するくらいの痛みが襲う。
あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ! 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いッ! 痛いよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーッ!
だが、この球体の中では死ぬことができない。死ぬような痛みが続いていく。異常者の記憶が走馬灯のように蘇る。
なんでだよ……何でだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ! あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!
異常者の記憶の中に出てくる人物の顔が、黒く塗りつぶされているのだ。誰が誰だか全く判別がつかない。名前さえも思い出せなくなっている。
異常者の記憶の中にいる顔のわからない人物達が、頭の中で代わるがわる話しかけてくる。
「橋とはキモ騎士ととククク希薄ねスクのマトは能登」
「覇気と三木は木の葉暦の礫増し箱気乗りは切茎まはりきの晴れの木の茎膜の尻のクマのり」
「阻止とは真鳥ノレ氏は熊木の九里レクト牧野春の子非力の野茂シネは母の葉のリハは海苔日のねひり」
「ストはきまし日のりき日のくこ機器もひきひそり基礎リノまち」
「木橋もキレとは気は霜はふぁ日レリ」
「シスリノヒリノレヒから任コンのコンりみるすみなみけミリのまひマネと寝て」
「市浜野リキの暇式くら毛コルマレ毛見るきけれ真野美馬の母クソ真紀子日もキマ捻りくれこり蹴れひねり暦ひむ」
「刃物トリキ捻れとれ日霧の晴れも暇のリレかの引間乗り切れ区コネの軒暇物知りリノも死ね日三木も巻きヒリノ」
「なたらゆな様よタフなんな日な泡あやワカハタハタわなわなわなふなかふあやあやあユア地踏まぬあやあやん那覇にハサミ左派やら田谷田谷タナ棚田」
「スリとは燧の式レコヒレリノ舎人ひりとノレ暦日リレくこるりレミね真レリレミ」
何を言っているかわからない言葉が、異常者の中で鳴り止まない。それはもはや言葉とさえ認識できないただの雑音だ。
お願いだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! やめてくれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!
前の世界の記憶の影響で異常者は人と接した記憶さえも失ったのだ。普通の人間ならそのまま廃人になってしまう。だが、この七色の光の球体の中では、廃人になることはできない。この精神的苦痛をはっきりと認識してしまうのだ。
あぁ……苦しいな……苦しいな……苦しいな……苦しいな……苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな苦しいな…………………………………………
70億9574万5740年4ヶ月15日後。
亜美子はまだここに戻っていない。異常者は変わることなくまだ苦しみ続けている。天文学的な時間の間、死ぬこともできずに、ずっと変わらぬ苦しみの中にいるのだ。
たが、変わったこともある。この場所に新たなる太陽系が生まれたのだ。太陽系が存在しないこの空間は、アンチテーゼとして存在して証でもあった。だが、似て非なるものではあるが新たなる太陽系が完成してしまったことにより、それさえも崩れ去ったのだ。
亜美子が戻って来たのはそれから8億6439万7392年5ヶ月28日後のことであった。
「わぁ! すごい! 海ができてるじゃん!」
いまだに苦しみ生き続ける異常者には目もくれず、亜美子は新しくできた星に目を輝かす。
この星は地球によく似た真っ青な星だ。原始的な生命は誕生しているようだが、知的生命体は誕生していなかった。
亜美子は自分の右手を開いて、その星に向ける。
「えいッ!」
すると、星全体が虹色に光り始めた。亜美子のエネルギーが星の大地や海底に染み渡っていく。こうして、この星に知恵が送られた。
32億5784日10ヶ月23日後。
この星に知的生命体が誕生した。その姿は人間と同じである。亜美子は嬉しかった。自分の子供が生まれたような幸福を感じている。
「元気に育ってね」
新しい星に生まれた人間は文明を発展させていった。人類の歴史から見ると長い年月がかかっているが、宇宙の歴史から見ると一瞬の出来事であった。亜美子はそれを宇宙から楽しそうに眺めている。
亜美子にとって、嬉しいことが起きる。この星の人間が宗教を作った。そして、一神教の神様や多神教の最高神は、必ず左腕がない女性だったのだ。
亜美子は自分の子供たちが、自分を慕ってくれるように感じた。
この星に干渉しないと決めていた亜美子であったが、強く祈られてそれが亜美子に届いた時だけ、自然災害から人間を守るようになったのだ。
そして、亜美子にとってさらに驚くべきことが起きる。ある文明がピラミッドを建設し始めたのだ。
「ここにもピラミッドができるんだね……」
亜美子は様々な星を巡り、そこで他の知的生命体を見てきた。不思議なことに、亜美子が見てきた全ての知的生命体はピラミッドを建設していたのだ。亜美子が作った知的生命体も例外ではなかった。
新しい人類はさらに文明を発展させていった。いくつもの争いや災害を経験した。そして科学が生まれる。
地底や海底に眠る亜美子が送ったエネルギーも発見され、科学に使われ始める。それはさらに人類を発展させ、あっという間に亜美子のいた時代の技術を追い抜いた。
この星の人の生活が便利になるにつれ、神に祈ることはなくなっていった。亜美子は少し寂しかったが、親離れだと思い全て受け入れることにした。
人類の発展は永遠に続かなかった。便利さを求めすぎ環境を変えすぎた故、星が耐えられなくなったのだ。
そして、それは一瞬のうちに起きてしまう。星全体が一瞬光り輝くと、この星の生命の全てが死滅したのだ。もうこの星に生命が誕生することはない。
最初の知的生命体が生まれてから、2億3256万7432日5ヶ月7日後のことだった。
亜美子は思った。
前の世界もこんな感じで一瞬にして宇宙ごと滅んじゃったのかな。でも、きっとみんなどこかでまた元気にやってくれるよね。私達が転生したようにさ。
それでも亜美子は悲しかった。そして、その悲しみも巻き戻った時間に持っていくと決意する。
「あとはゆっくり待とうかな」
亜美子は物置部屋で修行をしていた時のように座り、そっと目を閉じる。
さらに長い年月が経った。
「そろそろだね」
亜美子は目を開く。その目に映る宇宙は至る所に白いヒビが入っており、今にも壊れてしまいそうだ。
亜美子はため息をついて、微笑む。
「長かったなぁ。本当に」
宇宙空間は砕け散り、黒い破片となり宇宙の外に散らばっていく。今まさに宇宙の終焉が始まったのだ。
亜美子は虹色のオーラを力強く全身から出す。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」
黒かった宇宙のかけらは空のような青になる。そして、その全てが亜美子に吸い寄せられていく。
亜美子の身体の中にさらなる力が満ちていく。それは初めて変身した時の感覚と似ていた。
宇宙のエネルギーを取り込んだ亜美子は白い空間にいた。半透明の七色の光の球体に包まれた異常者もいる。異常者はまだまだ変わらず精神と肉体に痛みを受け続けている。
そんな亜美子と異常者の前に、黄色い巨大なピラミッドがそびえ立っていた。
「あなたが教えてくれたんだね」
それは隆がたぬきになる力を得た時に起きたことと同じだ。亜美子は虹の天使に変身したと同時に知ったのだ。地球の力が開放されていれば、宇宙が終わった時に出るエネルギーを使って時間を巻き戻せることを。
そして、直感的にこの黄色いピラミッドが自分にそれ教えてくれたと感じたのだ。さらに亜美子の頭の中に、もう一つの真実が流れ込んでくる。
「……そうだったんだ。前の世界が滅んだ時、助けてくれたのもあなたの仲間だったんだね。何から何まで本当にありがとう」
神の域に達した亜美子ですら、このピラミッドが何であるかはわからなかった。猿が、人間が作った難しい理論を理解できないように、理解することができないのだ。
亜美子はにっこりと笑う。
「私はもう家に帰るよ! また何かあったらよろしくね!」
2009年12月24日から8354億9365万3546年11ヶ月3日後の出来後であった。




