第3話 時計は左回りでも
前回のあらすじ
絶対絶命のピンチを変なたぬきに助けられた亜美子。
その後、亜美子は夢奈と無事に合流でき、たぬきも黒いプテラノドンを倒す。
さっきの出来事は夢奈なのか。亜美子は自分の部屋のベッドで目を覚ます。
え? 何? さっきのは夢? ……そうだよね。あれは夢だ。きっと夢だ。あんなことが現実に起きるはずがないよね。
全身から汗が噴き出ている。呼吸も荒い。あんな怖い夢を見れば当然そうなるだろう。
そういえば、今何時かな。
亜美子は目覚まし時計を確認する。外は若干暗く、これから陽が登るくらいの時間だろうか。だが予想外のことが起こり、亜美子の顔がみるみる青ざめていく。
これは偶然。これは偶然。さっきのは夢。さっきのは夢。
2時50分で止まっている目覚まし時計の前で、亜美子は自分にそう言い聞かせた。本来の時間を確認しようと、携帯電話を掴む。
「痛ッ」
手に小さな痛みが走る。
まさか……
ドクドク。心臓の鼓動が速くなる。亜美子はゆっくりと自分の左手を確認する。
何で? 何でこんなことになっているの?
亜美子は完全に混乱してしまう。夢と思いたいさっきの出来事と同じ怪我が、左手の甲にあったのだ。
……落ち着こう。一旦落ち着いて考えよう。
亜美子は携帯電話を持って自分の部屋を出て、物置部屋へ入った。
亜美子は48歳のお父さんと44歳のお母さんの3人で暮らしている。それぞれ、自分の部屋を持っているが、亜美子の部屋の隣に、同じくらいの大きさの部屋が一つだけ余っており、物置部屋と化している。
亜美子は何故かその部屋が大好きだ。嫌なことがあるとこの部屋に閉じこもり、そこでボーッとしている。この部屋は何だか暖かい。いるだけで心が癒されていく様な空間だ。家族にそのことを話したこともあったが、言うまでもなく同意は得られなかった。
亜美子は深呼吸をして、携帯電話で時間と日付を確認する。
「4月……12日……」
時間は朝の5時前。朝が弱い亜美子が、こんな時間に目覚めたのは初めてだ。今は不思議と眠くない。むしろ頭が冴えている気さえする。そして、その冴えた頭が、突拍子もない結論を叩き出す。
「怪獣が現れて……たぬきが倒して……時間が……巻き戻った……かも?」
常識的に考えたら絶対にあり得ない事だ。だが、そう考えないと目覚まし時計のことも、今の時間のことも、左手の怪我のことも全く説明がつかない。
もし、違うなら自分の頭がおかしくなった可能性がある。でも、ただでさえ悪い頭がおかしくなったとは考えたくなかった。
亜美子はもう少し考える。
時間が戻ったとしても同じ日が繰り返される訳ではないよね。もし同じ日が繰り返されるなら、私は寝坊するはず。そもそも巻き戻る前の記憶すら残っていないよね。……あれ? 私なんかすごくない?
頭の良くない自分が、ここまで考えられたことに驚く。
……今日はもう怪物は出ない気がする。よし。なんか大丈夫な気がする。今日は行こう。気分転換大事!
恐怖心はあったが亜美子は夢奈に会おうと決心した。確認した訳ではなく全く根拠の無い話だが、直感であのたぬきが怪物を倒してくれたと思い、決断したのだ。
出かける準備をするために、亜美子は洗面台へと行く。鏡には前回と同じ髪がボサボサの自分が映っている。でも前回とは違い、まだまだ時間はある。汗も沢山かいてしまったので、シャワーを浴びることにした。
支度を終え左手に絆創膏を貼った亜美子は、物置部屋で時間を潰す。遅刻するとまずいので時々、携帯電話で時間を確認しながらただボーッとしていた。
明るく活発な亜美子だが、こうした何もしない時間も結構好んでいる。
しばらく時間が経ち時計を見ると、そろそろ朝ごはんが出来そうな時間になっていた。
「お腹すいたなぁ」
亜美子は下に降りる。
「おはよう」
亜美子が挨拶すると朝食を食べているお父さんとお母さんもおはようと挨拶をする。お母さんは、絆創膏が貼られた亜美子の左手を見る。
「どうしたの?」
「ベッドから落ちて怪我しちゃった」
「気をつけなさいね」
今度はお父さんが喋り出す。
「亜美子、今日は友達と遊ぶのか? いつもはもっとギリギリに準備するのに、今日はやけに早いな……まさか男か?」
「もぉ! そんな訳ないでしょ! 夢奈ちゃんと雑貨屋さんに行くの!」
お父さんの言葉に顔を赤くしながら亜美子は反論した。その様子を見てお母さんもお父さんも笑っている。亜美子も内心嫌な気分ではなかった。
だが、プテラノドンを見たかどうか、両親に聞こうと思ったが、このやりとりのせいでなんとなく聞くタイミングを逃してしまう。
「今ご飯作るから待っていてね」
お母さんは席を立ち台所へ向かうと、亜美子は席に座る。
男かぁ。私にもいつか好きな人や彼氏ができるのかなぁ。
ぼんやりとそんな考えが浮かぶ。亜美子は顔が可愛いにもかかわらず、恋愛経験がなく告白もされたことがない。
そもそも、中学生になってから男子と遊んだことないなぁ。
小学校高学年の時は、よく遊ぶ同じクラスの男の子が一人いた。テレビゲームを手伝ってもらったことが一番印象に残っている。
しかし、中学では同じクラスになっていない。中一の終わりくらいに連絡先は聞かれたが、何回かメールしただけでそのまま疎遠になってしまった。
まぁ確かによく遊んでたけど、今も昔もただの友達って感じかなぁ。
「はい。できたわよ」
そんなことを考えているとお母さんが朝ご飯を持って来る。目玉焼きとウインナー、そして焼いた食パン。
「今日も美味しそう。いただきます」
どれも美味しく食べた亜美子であったが、大好きなウインナーだけを残した。流石にあんなことがあった後に、肉を食べる気にはなれなかったのだ。お母さんは不思議そうに言う。
「あら?ウインナー食べないの?」
亜美子は本当のことを言えるはずもなく出まかせで答える。
「最近、太っちゃったから実はダイエットしていて……せっかく作ってくれたのにごめんね」
「なるほど」
お母さんはそれ以上は何も聞いてこなかった。
ふぅ。突っ込まれなくて良かったぁ。……って私がダイエットするのがそんなに自然なの? え? 太った? ……本当にダイエットしようかな。
ダイエットについて検討している間に、もう家を出ても良い時間になっていた。
「ごちそうさま。もう行くね」
亜美子はそのまま玄関に向かい家を出る。
扉の向こうはやはり先ほどと同じ様に晴れた空だ。時間に余裕があったので、もちろん今度は普通に歩くことにした。
5分ほど歩くと、黒いプテラノドが出現した付近のゴミ捨て場にたどり着いた。亜美子はゴミ捨て場に何気なく目をやる。すると、そこにはあるものが捨てられていた。全身から血の気が引く。
「嘘でしょ」
亜美子は小さく声を漏らす。そこにはプテラノドンのソフビ人形が捨てられていたのだ。その色は黒ではなく、ごく一般的なプテラノドンだ。亜美子の頭に、ある言葉が蘇る。
君は君のできることをするんだ。
亜美子はその人形を拾い上げ、地面に叩きつける。そして、それを何度も何度も踏みつける。プテラノドンの人形の両羽が折れたが、それでも踏みつける。
さっきはよくもッ! これでやっつけてやるッ!
亜美子は人形の胴体を拾い上げると、今度はそれを壁に叩きつけた。
こんなことをして何になるかわからない。そもそもこの人形が人を襲ったかどうかもわからない。それでも亜美子はその人形を破壊した。何となくそれが今の自分のできることのように感じたからだ。
「よし。私の勝ち」
得意げにそう呟いた亜美子は、後ろに視線を感じた。振り返ると30代くらいの男が不思議そうにこちらを見ていたのだ。
あの人、確か……
そう、あの時プテラノドンに殺された男だ。殺害現場を思い出してしまった恐怖心と、こんな姿を見られてしまったと言う羞恥心で亜美子はすぐにその場から立ち去る。
待ち合わせの公園の噴水には、15分も前についた。もうすでに人はそれなりにいて、ジョギングや散歩などをしている。亜美子は下を向く。
やっぱり夢だったのかな。でも、あのプテラノドンの人形は……本当に朝からおかしなことが起きてるよ。どうしよう。……!
トントン。突然、肩を叩かれた。
「わぁ! 夢奈ちゃん? まだ15分も前だよ?」
「おはよう」
突然のことにびっくりする亜美子に、夢奈は笑顔を向ける。
「遅刻しない様に少し早めに来ているのよ。亜美子はいつも遅刻してくるから知らないと思うけどね」
「へへ。ごめんね」
亜美子は舌を出して笑う。だが、どこか無理をしている様な表情だ。
「今日は遅刻しなかったけどどうしたの?」
「実は朝早くベッドから落ちて目が覚めちゃって」
亜美子は絆創膏を貼った左手を見せる。
「大丈夫?」
「大丈夫! 大丈夫! ちょっと早いけどいこうよ!」
夢奈ちゃん……覚えてないんだ。きっと、私だけなんだ……
亜美子は夢奈の反応からあの時の記憶がないことを察し、ホッとした反面少し残念に思えた。
夢奈が辛い記憶を忘れているのは嬉しい。だが、この記憶を誰とも共有出来ないのはさすがに辛い。何故か自分だけが覚えている。まるでこの世界の異物になってしまったような気分だ。
亜美子は暗い気持ちになったが、二人で雑貨屋さんへと向かう。そんな二人の様子を一人の若い男が見ていた。
「あの子、何で怪我しているのかな。気になるけど……まぁいいや」
若い男は独り言を言うと公園から去っていった。